2005年 100km Walk

 
◆堀内 ともえ(岡山政経塾 3期生)

「人はなぜ100km歩くのか」




 2004年は初の政経塾100km歩行参加ということで何も知らない歩行者、そして2005年は参加2回目、これまた初体験のサポーターとして参加させていただいた。

 サポーターというよりスポーツマンを応援する一人のファンのように、私はチャレンジャーのみなさん(特に同期のみんな)が100km完歩し、一生に残る達成感や充実感(そして開放感や安堵感)を心から感じる姿を見ることに自分の喜びを重ね参加していた。
 一人のファンとして皆さんの補助にどこまでなれたのかは分からない。正直もっとできることがあったのではという点も個人的にはあった。

 実際にサポーターを経験し、全体としてサポーターの役割とはチャレンジャーが安全に安心して歩けるようにすることが一番だと感じた。昨年、今年ともに参加者が全員事故もなく100km歩行を無事行えたのは、サポート隊や事務局の皆様、関係者の方々の努力の結果だったということがよく分かった。100km歩行の道のりは危険な場所も多々ある。日が暮れてから夜の時間は思わぬハプニングも起こりがちだ。今後回数を重ねながら改善策を出し合うことで、安全性の向上につながっていけばと思う。


 サポーターをしながら、待ち時間に小山事務局長と話したことがある。
“なぜ大変なことだと知りながらみんな100kmを歩くのか”
答えは様々、千差万別だろう。
一年前を思い返し、私の場合は、自分を何かに挑戦させたかったから、かな?と考えた。

 そして、その結果に対して。
完歩する人、リタイヤする人、リベンジする人、結果はそれぞれ。
参加する心づもりや練習量や準備内容、その日のコンディション、個人的な身体能力、結果に対する原因は様々だろうが、今その人の人生において、完歩した人には完歩が必要だった、リタイヤした人にはリタイヤが必要だった、リベンジした人にはリベンジが必要だった、と思う。どの結果にも大きな意味がある。それを自分のものにするかどうかは自分次第だけれど、せっかく苦労して歩いたのだから見逃してほしくない。

“なぜ人は100km歩くのか” “そこに100kmがあるから”

みなさんの答えはなんでしょうか。まあ、最初は歩けと言われたから、もありですかね。