2006年 100km Walk

 
◆瀧  哲郎(岡山政経塾 4期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
心のかたち
「〜2006年度100km歩行レポート〜」





 遥かな道程も小さな一歩を積み重ねて乗り越える事が出来る。一見すれば小さく、無意味な行動が価値を持つ。人類は文化や繁栄を、この小さな一歩から生み出してきた。

 去年の24時間100km歩行から一年経ち、私は自分の答えを探す為に、今年はサポーターとして参加した。私は去年完歩したが、感動よりも安堵しか感じなかった自分に「自分には心が無いのだろうか?」「何て冷たい人間なのだろう」と思い、周囲の感動や悔しさが今ひとつ理解出来ず、あまりにもあっさりとした最後に疑問を感じていた。
 先に結論から述べると、私は人並みの心を、感情を持っていた。去年は何かを感じるよりも、既に肉体と精神が限界だっただけなのだ。



 沿道での応援の次に与えられた役割は夜間のマンツーマンサポートでした。女性チャレンジャーの安全を確保すべく同行した。チャレンジャーである新田さんは元気そのもの。本当に安全を確保する以外に仕事は無かった。
 次に五期の石川君の同行を命じられた。彼は既に限界を突破しており、一歩が数cmにも満たず、一歩歩く毎に悲痛な呻き声を上げていた。凄まじい苦痛だろうに、一度も痛いとも言わず、ただ歩いていた。完歩出来るか?の問いかけにも「歩ききります」と答える彼を見て「バカだよ・・・・・もう時速500mぐらいしかない歩みでゴールなんて到底無理なのに、考えられないぐらいの苦痛だろうに痛いとも言わず、こいつは歩いている。ただ歩いている」そう思った瞬間、涙が止まらなくなりました。壮絶で立派な姿でした。ただ、既に重大な後遺症の可能性や社会復帰の困難さが想像できたので、最後は自分自身の決断でと付け加えた上で、リタイアを勧めました。私としても非常に辛い思いがしました。初めて目の当たりにしたリタイア者。これがリタイア者の無念なのか、これがリタイア者の現状なのかと知った途端、何処か自分が完歩出来た事にあぐらをかいていたのではないかと思えて恥ずかしくなりました。
 改めて完歩は前や後ろを歩くチャレンジャー、不本意ながら途中で力尽きるチャレンジャー、小山事務局長や西原幹事やサポーターや幹事の皆様がいて初めて出来たのだと解りました。
 その後、同期である忠澤君、金関さんのゴール誘導をし、素晴らしいゴールが更なる感動を呼び、人知れず涙を流しました。サポートの大変さと喜びの二つが解った反面、去年と比べて思った以上に使えなくなった足の筋肉痛に苦しみながら、サポーターも準備と練習をする必要があるという課題を頂きました。


 
 歩ける人、歩けない人、ゴールには色んなかたちがある。心のかたちも人それぞれ。だけど、目標に向かい歩く姿は皆一様に立派で美しかった。私の人生も常にそう在りたい。
 今年の24時間100km歩行も、私に学びと課題を与えてくれました。