2008年 100km Walk
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◆小坂 和也 (岡山政経塾 4期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
〜祈りのチカラ〜
5月3日〜4日が24時間100キロ歩行の日になって今年で4年目となる。
1年目(47歳)オーバーワークがたたり直前入院、サポーターとして参加。
2年目(48歳)初チャレンジ、77キロ万富サンクスでリタイヤ。
3年目(49歳)再チャレンジ、22時間39分で奇跡的に100キロ完歩。
4年目(50歳)初めてお気楽な立場で4月を過ごし、完歩者の特権を味わう。
今年の僕の関心事といえば、一昨年、昨年と一緒に歩き、無念のリタイヤをした同期の沢良木が3度目のチャレンジで完歩できるかどうかの1点だった。
今年、四期生でただ1人チャレンジした沢良木の男気に嬉しくなり、なんとかこいつを後楽園まで連れて行かなければと思っていた。
今年は、家庭の事情(?)で当日、香港から帰国して18時からサポートに参加させて頂く予定だった。
16時に自宅に帰った僕は沢良木の事が気になり同期の安藤に電話をした。すると「トップが凄いペースで歩いています、早く伊里漁港に行ってください」と言われた、慌てて自宅を出て伊里漁港に向かう。
(伊里漁港前・50キロポイント)
途中、先頭の西村さんを車で追い抜き、17時前、伊里漁港到着、杉本さんとチャレンジャーを迎える。
普通、21時までに50キロポイントを通過すれば時間内完歩確率はかなり高い。
今年はほとんどの人が通過した、それも誰も痛んでいない、注目の沢良木は辛そうだったが、身体は痛んでいないと言う、まずはひと安心。
(閑谷学校・58キロポイント)
ここでは沢良木を1キロぐらい伴歩して、いろんな話をして気分を紛らわせる。
次に最後尾で閑谷に到着した宇佐美さんの伴歩をする、僕は宇佐美さんの事を七期生の人だと思っていて「お仕事は何をされているのですか?」と聞いた。
宇佐美さんは「次の選挙の準備をしています」と答えたので、お馬鹿な僕は「県議ですか?市議ですか?」と聞いた・・・しばらく沈黙が流れ・・・・
「東京四区から・・・」と聞こえた時、「あっ!この人は違う」と気がつく。
気まずい空気が深夜の閑谷を支配するなか、伴歩は続いた、この時の宇佐美さんはとても辛そうで、まさか時間内に完歩するとは思わなかった、政治家の精神力の強さは尋常ではない。
(新幹線下・92キロポイント)
2時半から8時頃まで、チャレンジャーをチェックしたが、みんなきちんと挨拶してくれる、辛そうだが痛んでいない。沢良木は7時前に通過した、もう大丈夫、後は4回目のチャレンジの二期生・栗尾さんが間に合うかどうかが心配になる。
(後楽園・ゴール)
8時39分、沢良木ついにゴール、しかしこの男は派手なポーズをするわけでもなく、周りの人達に頭を下げてばかり、この不器用な姿に涙が溢れた。
偶然だが、昨年の僕のゴールと同じ時間だった、不思議・・・。
栗尾さんが気になり、高島駅あたりまで見に行く、能登君・忠澤達ががっちり囲んでサポートしている、これなら大丈夫と時間内完歩を確信する。
9時48分、栗尾さん笑顔でゴール、この愛すべき先輩(?)の頭に水をかけた。
(回顧)
年々100キロは短くなっているのだろうか?
おかしい、絶対おかしい、僕ら四期生の初チャレンジの時、時間内完歩は2名(翌年初チャレンジで時間内完歩3名・合計5名)、大半は2度目で完歩。
四期生まではそんなペースだったはず、ところが五期生から初チャレンジ時間内完歩が半分を超える様になり、六期生は大半が時間内完歩、今年、七期生はなんと全員初チャレンジ時間内完歩、このペースでいくと来年はどうなるの?
負け惜しみですが、リタイヤして屈辱の中から学ぶ事も大切だと思います。
今年、沢良木と栗尾さんが爽やかな感動をみんなに与えてくれました、それは何度くじけてもチャレンジする姿勢に感動したのです。だからみんな二人の時間内ゴールを心から祈ったのです。
みんなの祈りが、想いが、二人の背中を押し続けたと僕は信じています。
他人の事に涙を流すことができる、これが岡山政経塾の素晴しいところなのだろうなと改めて思いました。
こんな岡山政経塾の一員であることに本当に感謝しています。
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