2009年 100km Walk

 
◆荻野  朗(岡山政経塾 7期生)サポート副隊長

岡山政経塾100km歩行レポート
「サポ−ト隊としての24時間100キロ歩行」




昨年、チャレンジャーとして「100キロ歩行」に参加させていただき、今回、サポート隊副隊長として「24時間100キロ歩行」に参加することとなった。
ある先輩から、政経塾も100キロ歩行も3年ひとセットという話を伺ったことがある。
その話通り、チャレンジャーとしての参加とサポート隊としての参加は全く異なる研鑽だった。
当日に向け、会議・資料作成・下見会・練習会への参加など、事前に要した時間は100時間くらい。
まさに、準備8割・当日2割だった。

事前準備に関して
50名を超えるサポーターを統括するには、当初の想像を絶する準備が必要だった。
幾度も行った会議で痛感するのは、定義の重要性である。
サポートの目的は最初に討議したが、詳細な部分で何度もぶれた。
主催者とサポート隊の役割・位置関係も不明確だった。
何が目的であり、何は手段なのか? 何度もぶれ続けたような気がする。
手段に過ぎぬ事項を直前期に変更することは避けるべきと強く感じた。
すべきことは、大義となる目的の決定、その目的の中の優先度の決定、この優先度に基づき手段となる実行項目を洗い出すことである。

当日に関して
事前に時間をかけ準備できていたこと、当日の仲達隊長・大原隊長補佐の強いリーダーシップ、そして100キロ歩行を心底愛しているサポーターの方々のご協力のおかげで、当日の運営は比較的スムースに行えたと思う。

サポート隊として、目的はさておき、手段として恐れていたことは、トップと最後尾が離れることだった。
事前の対応手段として、「トップは昨年の2位の難波さんタイム・最後尾は、昨年の最後尾タイムを想定し、それ以上早い・遅い方がでた場合は切り離し個々の対応とする。」としていた。実際に、昨年以上に早い方・遅い方が出現したが、事前決定手段通りの対応ができた。

「東平島〜高島保育園南まで」が担当エリアだった私に、最後に課せられたミッションは、「10時ぎりぎりに100キロ完歩の可能性があるチャレンジャーを如何にゴールさせるか!?」だった。
「過剰サポートはしない。」という方針と「ゴールしてほしい。」という気持ちの葛藤があった。
仲達さんに電話して、「最終者に関しては過剰になっても構わない。万一、10時を過ぎても、とにかく100キロ歩かせる。」と修正方針を共有した。
最終100キロ完歩者は、8:45に宍甘新幹線下にいた。冷静に計算すると10時のゴールは無理だと内心思った。伴歩についてくれた藤井功さんは強い意志でチャレンジャーを鼓舞し続けた。当初弱気に感じたチャレンジャーもゴールが近づくにつれ意識の変化を見せてくれた。最後の2キロは17分で歩いていた。時速7キロを超えるペースである。
人間、限界などない。

車を駐車場に停めて10時を過ぎて後楽園の芝生広場に戻った。
結局、一人もゴールシーンを見ることはできなかった。
そこには、疲労感はあるものの達成感に満ちた笑顔がいっぱいあった。
「良い仕事ができた。」と感じた。
その時、偶然、仲達さんと目が遇った。握手をした時、迂闊にも涙が流れた。
それは、昨年自分自身がゴールした時に流した物と少し違う涙だった。

最後に
いよいよ、次回は、我々7期生にサポート隊が回ってくる。
この素晴らしき研鑽の機会を永続させるために、是非、7期生17名の総力で取り組みたい。


次回に向けてのmemo:
・主催者とサポート隊の役割の明確化。
・サポーター参加者への必須調査事項:氏名、期生、生年月日、サポート可能日時、携帯電話番号・携帯メールアドレス・携帯電話の会社名(ヤフーだと閑谷付近は圏外となる。)、車での参加の可否。(伴歩の可能性のある集団には、その可否も。)
・作成物の事前決定:ジャンパー、Tシャツ、ゼッケンなど、最初に必要物を決め、計画的に作成する。
・まず、理想のサポート体制を決め、「来れる人は来てください」的な参加情報収集ではなく、サポーターの必要人数を調査時点で示す。それを各期生に目標人数として示す。「無条件に参加!」という方ばかりではなく、「自分が必要ならば参加」という方もある程度はいらっしゃるはず。彼らに判断材料を与える。