2012年 100km Walk

 
◆富田 隆一郎(一般参加・ゼッケン:5)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月19日
「孤独を楽しむ」



◆はじめに
 2012年5月3日。この日、私は50歳の誕生日を迎えました。まだまだ若い「つもり」はありましたが、果たして本当のところはどうなのか。100キロを歩くだけの体力と気力はあるのか。それを試してみたくて参加しました。申込のきっかけとなったのは、昨年12月1日の山陽新聞の記事でした。この日は妻の誕生日。私にとって、このチャレンジは何か運命的なものを感じたので、すぐに応募しました。



◆準備
 100キロを歩くうえでいちばん大切なのは靴だと考え、靴屋さんで「100キロ歩行に参加するための靴をください。」と店員さんに相談しました。その店員さんはウォーキングが好きで、いろいろな大会にも参加しているとのことで、親切丁寧に教えてくれました。大事なポイントとして、「クッションがありすぎる靴は、砂の上を歩くのと一緒で長時間歩くと足が疲れる。特にかかとの部分は硬いものを選んだほうがよい。」というものでした。結局、そのお店にはお薦めの靴はないということになりスポーツ店で購入しましたが、この店員さんのアドバイスのおかげで足にはマメひとつできず、筋肉痛以外ノートラブルで100キロを歩き切ることができました。
 練習会には一度だけ参加しましたが、そのときには7キロを1時間以内で歩くことはできませんでした。その後は、日常歩行において目いっぱい速く歩くことを心がけました。3月にツーデーマーチに参加して、2日間で80キロ歩きぬいたことを心の支えとして本番に臨みました。

 


◆100キロの足跡
スタート〜30キロ
 スタート前から、第10期の中川さんのレポートを読んで、「自分もこのペースで行こう!」と決めていました。自分にとって時速5キロは余裕のある速度ですが、「最初から最後までペースを変えず、チェックポイントではしっかり休みをとる」ことがトラブルなく歩き切るコツだと思ったからです。実際には、沖田神社を11:49、門前交差点を13:23、昼食休憩をはさんで飯井交差点を15:41と順調に通過しました。おにぎりを6個リュックに詰め込んでいたので、チェックポイントごとに1個ずつ食べてスタミナ切れにならないように心がけました。

31キロ〜49キロ
 備前体育館が対岸に見え始めた頃から、足の甲に痛みを感じるようになりました。原因はすぐに分かりました。朝、自宅を出発するときに気合もろとも靴ひもを強く結び過ぎたせいです。痛みをこらえ、沿道のおばちゃんに励まされながら、備前体育館には17:20に到着。足を開放し、屋内の長椅子の上でストレッチとマッサージを行い、スポーツドリンクと飴をもらって出発しました。靴ひもを緩めたおかげで、それ以降足の痛みはなくなりました。
この大会には単独で申し込みをしたのですが、スタート直後から同じ会社の人が何人か歩いている事が分かりました。それまでは別々に歩いていたのですが、伊里漁協で一緒になり話をしながらおいしい水餃子とおにぎりをいただきました。それ以降も歩くときは別々でしたが、リバーサイド、JA岡山東低温倉庫の各チェックポイントで一緒になり、励ましあったりストレッチを教えてもらったりしました。今から思えば、彼らと出会わずひとりきりで歩いていたらどうなっていただろうとゾッとします。

49キロ〜68キロ
 「さあ、ここからが本番!」と気合を入れ直して閑谷学校へと向かいました。坂道は思ったほど苦にならず、順調に閑谷学校緑地公園に到着しました。ここではトイレだけ済ませ、次の休憩所で休もうと思っていました。私は、リバーサイドまでに次の休憩所があると勘違いしていたのです。しかし、歩けど歩けど暗闇が続き、「おかしいな〜、こんなはずでは」と思っていたとき、遠くにそれらしき灯と赤い誘導棒を発見。「あそこまで行けばゆっくり休める」と力を振り絞り、やっとたどり着いたと思ったら全く関係のないカラオケ店・・・。このときばかりは本当にガックリきました。しかも、それから先はコンビニもなくひたすら真っ暗な土手が続き、今回で一番つらい道のりとなりました。
やっとの思いでリバーサイドに到着すると、見慣れた顔の人に出会いました。リタイヤされた方を運ぶバス会社の人です。ホッとしました。靴を脱ぎ、足を揉みながら話を聞いてもらっているうちにだんだんと楽になり、そのうち会社の人も到着してここではゆっくり休むことができました。出発するときに「行ってきま〜す」とサポーターのお姉さんたちに手を振ると、「頑張って!男らしいよ」と励ましてくれました。次のチェックポイントでもお姉さんたちに励ましてもらえると思ったのですが、それ以後のチェックポイントにお姉さんはいませんでした。

68キロ〜80キロ
 リバーサイドを出発してからは、青春時代の懐かしい歌を聞きながら歩きました。大滝詠一やサザンなど思い出深いナンバーを口ずさみながら歩くうちに、「夜中に歌を聞きながら歩くのも楽しいものだな」と思えるようになりました。こんな経験、やろうと思ってもめったにできることではありません。ならば、この際徹底的に楽しもうと心に決めました。途中、100キロくんで進捗状況を確認しながら応援メールをくれている部下から、「どんな気持ちですか?」と尋ねられたので、「孤独を楽しんでいるよ」と返信しました。もちろん、足の痛みはありましたがそれもまた楽しみのひとつと考えて歩きました。

81キロ〜ゴール
 JA岡山東低温倉庫でストレッチを教えてもらいながら、「100キロ歩行は80キロからが折り返し。ここからは休憩を取らず一気に歩き切ろう。」とアドバイスをいただきました。ここまで来れば何とかなると歩き始めると、不思議なことに急に足が軽くなりスタスタと歩けるようになりました。しかし、ここで調子に乗ったのが災いし、山陽道ICを過ぎたあたりからガクッと足が重くなりました。両足首がズーンと痛みます。何度かバス停の椅子に座って休もうかと考えましたが、立ち上がれなくなると怖いので、ストレッチと屈伸運動をしながら歩き続けました。午前4時を廻ったところで最後のおにぎりを食べ、元気をもらったところで「岡山市」の看板が現れました。思わず「帰ってきたぞ〜!」声を上げてしまいました。
これまでにも、いたるところでサポーターの皆さんに声をかけていただき、励まされて歩いてきましたが、90キロを過ぎ市街地に入ってからサポーターの方に出会うと「ありがとう」という気持ちがどんどん強くなってきました。そして、番町の交差点に知り合いの安木さんの姿を見つけたときには初恋の人に再会したかのようにうれしさがこみ上げてきました。そして、6:50にゴール。時速5キロペース+休憩の20時間50分と予定通りの行程でした。




◆最後に
 今回のチャレンジを通じて、沿道で応援して頂いたサポーターの皆さまやこの大会を支えてくださったスタッフの皆さまには本当に感謝しています。ありがとうございました。私自身、大きなトラブルもなくむしろ楽しんで歩けたことは、次にチャレンジする方々にとってもよかったのではないかと思います。「痛い思い、苦しい経験」を乗り越えることには大きな意義があると思いますが、「あ〜、楽しかった」と思えるように歩くこともまた意義があるのではないでしょうか。これからも楽しく歩き続けよう、と決意を新たにしたバースデイでした。