2012年 100km Walk

 
◆黒田 健司(岡山政経塾 11期生・ゼッケン:11)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月16日
「100km歩いて気づいたこと」



1.はじめに

 「何のために24時間以内に100kmを歩くのか」、このことは100km歩行に挑戦することを決めた時から、100km歩行完歩以後、今日に至るまで考え続けている。100km歩行に挑むまでの過程、経過、その後感じたことを記す。



2.心・身体・物の準備

 100km完歩するためには心・身体・物の準備が必要不可欠。どれか一つが欠けていてはいけないと言われていた。確かに100km歩行だけでなく、人生においても準備不足は失敗をもたらす。準備できるものはすべて納得のいくまで準備しようと心に決めた。
 第一に心の準備。下見会に参加したら、100kmは想像以上に長く、心が引き締まった。さらに、11期の白川さんと共にバイクで下見をして、一番大事なのは100km完歩するという自分自身の決意だと考え、モチベーションを上げた。
 第二に身体の準備。週1〜2回練習会で7km/1hを歩く練習に参加。参加できない日が続く時は自主練習。
 第三に物の準備。効果があったと実感できるものは、クッション性の高い靴、5本指ソックス、マメ防止のクリーム、アミノ酸、股ずれ尻ずれ防止のためのワセリン、エアーサロンパス。



3.本番

0〜30km
 最初は予定通りのペース。20km地点を過ぎたあたりで疲れは感じていたが、11期の仲間とともに歩いたので楽しかった。

30〜50km
 この地点から、休憩のために腰を下ろすと足が動かなくなっていた。10km毎のCPが遠く感じられ、50kmのCPでは立ったまま炊き出しをいただいた。気持ちが折れかかっていたが、サポーターの方々の励ましに感謝し、ゆで卵に書かれた「何のために歩くのか」というメッセージで心が奮い立つ。

50km〜70km
 山道のアップダウンはそれほど気にならなかった。しかし、暗闇の中、延々と続く山道に精神的にも辛くなる。今まで共に歩いてきた11期のメンバーの背中も見えなくなり、焦りが出始めた。

70km〜80km
 70kmCPに両親が駆けつけてくれた。予定到着タイムより早かったので長めの休憩。両親が来てくれたことは非常にうれしかったが、少し恥ずかしさもありそっけない態度をとってしまった。しかし、不思議と力が湧いてきて、今までの辛さが嘘のように歩き出せた。さらに、100km歩行を10回も完歩したというベテランの方と遭遇し、ペースメイク等してもらい、順調に歩き出せた。

80km〜90km
 上記のベテランの方がしきりに「100km歩行は80kmからが折り返しだと思ったほうがいい」とおっしゃっていた。本当に80kmから体が急に痛くなりだした。右足の側面が異常に痛くなり、足が踏み出せなくなった。それをかばって左足の骨盤も痛くなった。

90km〜100km
 座っていても立っていても痛いのなら必死に歩いて痛みを感じようと決め、歩き出した。中銀本店前で、またしても両親が応援に来てくれていた。「どれだけ過保護なんだ」と言い、家族三人で笑い、両親に本当に感謝した。母はゴール地点にも駆けつけてくれた。ゴール地点では多くの人が迎えてくれた。ゴールの感動より、感謝の気持ちの方が強かった。



4.100km歩行を通して

 100km歩く目的。逆説的ではあるが、誰かに支えられていることを実感するために歩いたのだと私は考えた。共に歩いた同志、サポーターの方々、両親、友人、100km歩行関わったすべての方々が自分を支えてくれていた。100km歩行中、感謝の気持ちで頭が痛くなるほど泣いてしまった。100km歩行後も多くのメッセージや家族の支えがあった。それ以来涙腺が緩くなったのか、100km歩行のことを思い出すたびに泣いてしまう。加えて、心の底から感謝の念と、自分も誰かを支えられる人間になりたいという念が強く浮かび上がる。

 

5.最後に

 最後になりましたが、関係者の方々、本当に感謝しています。ありがとうございました。来年も必ず24時間100km歩行に関わりたいと思います。そして両親へ。直接面と向かって言うのは恥ずかしのでここに書きます。あなた達のおかげでここまで生きてきました。あなた達のおかげで100km完歩できました。これからは私があなた達を支えます。本当にあなた達の息子でよかったです。ありがとう。