2012年 100km Walk

 
◆S.Yさん(一般参加・ゼッケン:141)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月17日
「100km歩く」ということ



目標

 24時間以内(1キロ10分台 なるべく早く)に完歩



準備

 (1)体
 練習会に3回参加 練習会に参加することでアドバイスを聞けることが一番のメリットだと思います。
 仕事帰りのためバッグに多量の荷物を背負いながら歩きました。大変だったけれど、結果的にトレーニングになってよかったと思います。
 自主的に週1回(参加できないときは週2回程度)、距離は6〜10km程度
 ただ、天候不順等(今考えれば言い訳です)を理由にサボりました。
 フォームを意識しながら、スピードはキロ9分以内(時速6.6km)を目標に練習

 (2)心
 岡山政経塾の過去のレポートをランダムに10人ほど拝読
 下見会に参加
 実際のコースを使って練習することにより、本番のイメージを養う
 ルートラボを見ようと思うが、インストールしなければならないので、地図を見ながらイメトレ
 土地勘があるところはざっくり(知りすぎると逆につらくなると思います。)と知らないところは下見やネットを駆使しておくと、不安が解消されるためよいと思います。もし、道を間違えるとUターンするところから自分の力でやらなければならないそうです。(道を間違えなくてよかったと安心したと同時に、己の準備不足を感じました。)

 (3)装備
 帽子、タオル、ドライTシャツ、アームカバー(日焼けするのが嫌でつけていましたが、無駄に体力を消耗する原因になったと思います。お勧めできません。)、機能性タイツ、ランスカ、(ランニング用の)5本靴下、ランニングシューズ、ランニング用のバックパック、Nike+Sportband(ペースや距離、時間を確認するもの)、前側にカード等をいれるものを装着

 (4)心強かったアイテム&持参したもの
 飲料水(最初は1本)、iPodshuffle、Edy(カード 電子マネーの一種)、配布された地図、首を冷やす熱中症予防グッズ、冷却スプレー、絆創膏(10枚ほど用意しましたが、足りませんでした。)、夜用の服(パンツ&長袖 薄いもの2枚)、履き替え用の靴下、カッパ、予備のライト(嫌な予感がしたので常備していました。案の定一つがつかなくなり、持っていて正解でした。)など
 テーピング(&巻く知識)があればなおよいと思います。
 


本番

スタート前
 前日までの大雨が嘘のようにやみ、スタート時には快晴に。予報に反して暑くなりそうだったので、スタート直前に熱中症予防グッズを濡らし、首に巻きました。
 たくさんのサポーター&報道関係者、チャレンジャーの関係者がいて「よし、やってやるぞ!」と気合が入りました。また、練習会に参加した際に出会ったチャレンジャー、政経塾の方にお目にかかれてうれしかったです。

0〜20km(歩いているときのペース キロ10分台)
 途中まではよく知っている道なのでとても歩きやすかったです。歩きながらどこのコンビニで食料を調達しようか・・・と考えながら歩いていました。最初と2つ目のコンビには人が多いだろうからと思いパスし、3つ目と4つ目のコンビニを利用しました。人が多いと思っていましたが、そんなことはなく、すんなりと利用できてよかったです。

20〜30km(キロ10分台)
 日中暑かったせいか、途中気持ち悪くなってしまいました。もっと通気性のよい帽子にした方がよかったのかもしれません。途中休憩したら体調が回復しましたが、次第に足の裏が痛くなってきました。また なぜかこの区間だけ、止まると足がつりました。

30〜50km(キロ11分台)
 アップダウンがきつく、足の裏が本格的に痛くなってきました。特に下りがきつかったです。途中から胃がむかつき始ました。次第に休憩が欲しくなってきたので、40キロからのチェックポイントごとに体を休めながらストレッチ等をやることしました。37キロぐらいから、49キロのチェックポイントへの道のりが分かるのでとても苦痛でした。また、「何で参加したんだろう・・・」と後悔が襲ってきました。伊里漁協でストレッチ等をしたあと、夕食をすこし取ろうと思い、炊き出しの水餃子とドリンクを頂きました。最後に炭水化物系のものをとりたかったのでおにぎりを頂こうと思って少し食べていると気持ち悪くなり、食べたものをすべて戻してしまいました。精神的にはかなり参りましたが、体調はかなりすっきりしました。せっかく作っていただいたのに、またメッセージ付きのゆで卵を頂けず、申し訳なかったです。

50〜70km
(キロ10分台)
 食事がきちんと取れていないので、とても不安になりました。(表示されているカロリー数は2000を越えていました。)途中のコンビニでゼリー飲料を購入し、少しずつ食べました。気持ち悪くなったらどうしよう、反対にハンガーノックになったらどうしようと心配でしたが、両者とも杞憂に終わりました。気温も低くなってきて、スタート時のように歩きやすかったです。また、途中で頂いたイチゴの発酵水(?)がとてもおいしかったです。
 しかしだんだん暗くなってきて、道があっているのかと不安になることが多々ありました。また夜になると、車やバイクから声を掛けられることが多々ありました。声を掛けていただくのはありがたいのですが、「後ろから接近→急にスピードを落とす→何か叫ぶ→急にスピードを上げて去って行く」ということでとても怖かったです。慣れてきて2~3時ごろになると恐怖はなくなりましたが・・・
次回女性の場合伴歩は必須のようにしていただくとありがたいです。(防犯ブザーみたいなものを持つと精神的に安定するとも思います。)

70〜80km
(キロ10分台→11分台)
 チェックポイントのリバーサイドで70kmから世界が変わると仰っていました。そのときは「嘘つけ。とりあえず今のところ順調に歩けている。なぜ残りの3割ごときが歩けないんだ!」といきがっていました。しかし、75kmを過ぎると嘘みたいに 途端に歩けなくなりました。足取りが急に重くなり、足の裏がますます痛くなり、小指の爪があたって血が出ていました。

80〜90kmまで(キロ11分台→12分台)
 辛すぎたり、でも「ここまで歩いたんだもん。リタイヤするのは絶対に嫌。時間内に完歩したい。」という思いが強くなったり、完歩できるのかと不安になってきたり、今までの人生の色んな感情も湧いてきたりとで、途中から泣きながら歩いていました。練習会で、「足が動かなくなったら、腕を振れ」というアドバイスを頂いていました。アドバイス通り必死で腕を振りました。もう「腕を振ること」と「根性」しか残っていません。いままでチェックポイントで休憩をとりながらストレッチをやってきましたが、休憩することさえできなくなりました。休むとリタイヤへの道 一直線になりそうでした。
 80数キロ地点から政経塾の方が伴歩してくださいました。もし一人で歩いていたら絶対にゴールできていなかったと思います。ありがとうございました。

90〜ゴールまで(12分台→13分台→14分台と順調に(?)ペースが落ちました)
 次第に足の感覚がなくなってきました。足がまったくいうことを聞かない。少しの段差、少しの勾配が信じられないほどの苦行。あともう少しというのは分かる。普通ならすぐに着ける距離なのに、たどり着けない。1キロの基準が変わった?道が伸びている?後○キロっていうのは嘘っぱち?ランニングマシンの上を歩いているのかと思うくらい進まない。信号が変わってから歩き始めても、変わる前に渡りきれない虚しさ。
 でも、「頑張れ」の声援。
 振り返ると、ここまでの軌跡(いや奇跡?)。必死で、必死で腕を振りました。
ゴールすると全身の力が抜けもう歩けませんでした。数秒前まで歩けていたのが嘘のように全く歩けませんでした。でも、充実感でいっぱいでした。閉会式まで時間があったので、ストレッチを長い時間かけてやりました。



最後に

 完歩できたのは95%声援やサポートのおかげ、残りの4%が同じチャレンジをしている仲間、残りの1%が自分の意地だと思います。意地の起因は周りの応援だったりと人に由来するものです。「東日本大震災のボランティアで人の力は絶大だ」と感じましたが、改めて偉大だと感じました。
 また時間が経つにつれ、今ではやったことが信じられなさ過ぎて、本当に歩いたのか、夢ではなかったのかと疑問に感じました。が、夢ではないことを痛みが教えてくれます。やり遂げられたのは関わってくださった方々のおかげだと思います。本当にありがとうございます。またいつか参加してみたいです。とりあえず、来年はサポーターで。

 また100km歩行とは関係ないかもしれませんが、(100km歩いた痛みでちゃんと歩くことができず)お店で、電車の中で、街中で・・・たくさんの方の優しさを実感しています。(現在進行形です。笑)
 ありがとうございます。あなたが思っている以上にあなたの行動はかっこいいです!

 最後にもう一度。みなさん、ありがとうございました!