2012年 100km Walk

 
◆野田 恵介(一般参加・ゼッケン:145)株式会社のだ初

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月19日
【晴れの国岡山・24時間100km歩行】



 私が24時間100km歩行に出場した理由は
1.今までの甘ったれた自分に打ち勝つため
2.学生時代、バスケットボール部で1勝の為に全てをぶつけていた熱い気持ちを取り戻す・・・です。

2年前に100km歩行に出場し完歩した、兄からの一言。
『今年から、100km歩行が一般公募を受け付ける。出場したい人はいるか?』
即答で手を挙げた私。しかし、この時、
『まあ、部活やってたから、歩けるだろう…。』という甘い考えがありました。
そして、本番当日、私は痛い目に合う事になる。

【大会前日】 
・本番に向け、準備物の最終チェックをしている時、まるで子供のころ遠足に行くかのようなドキドキ感を思い出した。お風呂の中で自分と仲間がゴールする姿を何回も思い描き、少し早目に就寝した。

【大会当日】
・朝、起きると昨日のドキドキ感は無く、学生時代、バスケットボールの大会前に何度も経験したソワソワ感。昨日、『絶対ゴールするぞ!』という気持ちから『本当に100km歩けるのだろうか?』という不安に変わっていた。『出場するからには、必ず完歩します!』と会社の仲間や友達に断言していた事もあり、自分自身を追い込む為、フェイスブックを通じて再度、完歩宣言をした。
これで逃げ道は無くなった。後はやるだけ!

【スタート】
・胸の鼓動が速くなり、口数が減り、深呼吸をする回数が増える。
緊張がピークになり等々、10:00のスタート。
沿道で見送りに来てくれた仲間にガッツポーズをして、『必ず、完歩してくる!』と叫んだ!一気に気合いが入った瞬間だった。

【10km〜30km】
・会社の仲間たちと、景色を楽しみながら気持ちよく歩いた。
無駄にコンビニにより休憩ばかり取っていた。

【30km〜40km】
・足に少し違和感を感じながらも、良いペースを保ちつつ、歩けた。

【40km〜50km】伊里漁協
・サポートで参加していた兄からの悪戯に合うも、緊張が解ける。政経塾の方が、用意してくれた炊き出し。
本当にうまかった。そして、メッセージ付きのゆでたまごの差し入れ。
『のだ初戦士の意地、みせたーらんかい!』猪木のビンタ、アニマル浜口の応援より、私にとっては気合いが入った。また、仕事を終えた友人が差し入れを持って駆け付けてくれた。『あと残り半分!』兄と友達に背中を押されゴールに向けて再度出発!

【50km〜60km】
・今回の一番の山である、和気閑谷CPまでの上り坂、暗い山道、気温も下がり、孤独との戦いが始まった。

60km〜70km】
・私は、和気閑谷までの上り阪が一番辛いポイントになるであろうと予測していた。しかし、本当に辛かったのはこの下り阪だった。足が言う事を聞かなくなり、下り坂の傾斜で勝手に前に進む。その時、右足が溝にはまり転倒してしまった。
兄に、『夜になったら必ず足元を照らして歩け』とアドバイスを受けていたにも関わらず、足の痛みを和らげるため上を向いて歩いてしまった。
すぐに立ち上がりリスタートした私、「大丈夫、痛くない、行ける、行ける!」と自分に言い聞かせ、ひたすら歩いた。しかし、徐々に動かなくなる足…。その時です、なんと地元の先輩、会社の上司が駆け付けてくれて伴歩してくれたのです。
ずっと隣で励ましてくれたおかげで、不思議と足が軽くなり、ペースも少し上がった。

もしかしたら、この励ましがなければ、『あと、残り30km!』では無く『残り30kmもある』と思ったかも知れない。

【80km〜90km】
・暗い道で道端で倒れているチャレンジャー達、聞こえてくる救急車の音…。どんどん晴れ上がってくる足。
辛い状況が続き、等々右足をかばいながら歩いた結果左足をつり、うずくまっているとき、『恵介、気合いじゃ!強い気持ちを持て!まだ行ける!辛いときこそありがとうじゃ!』という声が。
たまたま巡回中の兄からの励まし。もうダメか?と思った私に一歩を出させてくれた。

この時、スタートする前に決めていた事を思い出した。『その時の状況を楽しめ!』

まさに『足が棒』状態。良い意味で変なテンションにしてくれた兄。
この時、私は自分の足に『相棒』と名付けて、話掛けまくった。『大丈夫か?あと少しじゃ!』笑いが止まらなくなり、他の人が見ればあぶない人にしか見えなかっただろう。

【90km〜100km】
・ここまで来たら、もうゴールしか見えない。しかし、天敵が私が襲ってきた。『眠気』である。
そんな時、妻と子供から電話が、
妻「今どこ?生きてる?」
私「御津まで帰ってきたで〜」
妻「あともう少しじゃが〜!景色を楽しみながら頑張って〜」
景色?何をのんきな事を…。と最初は思いましたが、ふと周りを見渡すと朝の気持ちよい風景がそこにはありました。
眠気と戦いながら、いつのまにかずっと下を向いて歩いていた。妻の一声と子供達の応援で一気に眠気が覚めました。
しかし、残り4km地点、等々足が動かなくなった。

【ゴール】
・クレドビルがすぐそこに見えているのに、遠く感じる・・・。前に進もうとしても、相棒が言う事をきかない…。
蟻に追い越されているかのような、スピード。タイムリミットまであと1時間…。2kmがこんなにも辛く遠く感じたのははじめてだった。
『やばい!ゴール出来ないかも…』大げさでは無く、本当に危機を感じた…。そんな時、またしても後ろから声が!
『何をちんたらあるきょんな〜!もう少しじゃ!死んでも完歩せい!』かなりきつめの言葉だが、私に渇を入れてくれたのは、またしても兄だった。残り1kmゴールまで励ましてくれた。そして、後楽園の橋の手前。先にゴールした仲間達の声援!
橋の上にいた、観光客にしか見えなかった父の姿が。自分でも分からないぐらい不細工な歩き方だったと思うが皆さんの温かい声援を受けながら9:41にゴール。

【最後に】
・100km歩行の参加理由の3、私が高校3年生の時、バスケットボールの最後の大会1週間前。
練習中に靱帯断裂。医者から「即手術が必要。大会には出れません」と言われた時、病院で大泣きした。
翌日、監督に足の状況を伝えた…。『お前は3年間キャプテンとして頑張ってきた。たとえ試合に出れなくてもベンチにいてくれ」と言われた。本当にうれしかった、試合に出れない悔しさが少し和らいだ。
しかし、大会前日、ユニホームを渡すとき監督から、「今回、申し訳ないが野田はベンチから外れてもらう。4番は違うメンバーに付けてもらう」という発表があった。
思わずカッとなった私は監督に向かって「話が違うじゃねーか!試合に出れんでもベンチに入れてくれるって言ったじゃねーか!」と喧嘩になり、「やめてやるわー!」と言って体育館を出た。
引き留めに来たメンバーを振り払い、電話にも出ず、翌日の大会にも行かなかった…。
今思えば、監督の判断は正しい。チームが勝つためには、試合に出れない人間より走れる人間をベンチメンバーに選ぶのは当然である。私はどこかで「なんで俺が?あいつより頑張ってきた俺が!」という気持ちが強かった。しかも大会前日だというのに、皆のモチベーションを下げる行動を取った事。
キャプテン失格である。あの時、きちんと監督と話をしておけば?私が己では無く、もっとチームの事を考えていたら?
しかも、仲間の応援に行かず、一人でいじけていた。いつもどっかでその事を後悔していた。結局チームは県大会、ベスト16で敗退。もし、私があの時仲間を応援していれば、、もっと違う結果になったかも知れない。
あの時のトラウマを払拭する為、何があっても完歩すると心に決めていた。
今回、完歩出来たのは、私一人の力ではありません…。仲間の応援があったからこそ、ゴールが出来ました。
本当に辛いとき、苦しい時に、応援されると人は本来以上の力が発揮できる事が身にしみて分かりました。
しかし、自分のトレーニング不足により、足を痛め、その後一週間、松葉杖生活…。自分の心、体、物の準備不足が招いた結果です。何事においても『準備』をする事が、最大限の力を発揮でき、目標を達成できる事なんだという事に気づきました。
そして来年は、私のようなチャレンジャー達をサポートする側で参加しようと決めました。
サポートする側の学びがあるはず。今回、貴重な経験をさせて頂いた、会社、家族に感謝!死ぬまで青春!!
最後に、24時間体制でサポートしてくれた、岡山政経塾の皆様、本当に心強かったです!ありがとうございました。