2012年 100km Walk
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◆白土 陽子(岡山政経塾 11期生・ゼッケン:193)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2012年5月15日
「やると決めたことをやりきる」
◆はじめに
これまで多くのことを勢いでやってきた私にとって、100キロ歩行とは先の見えない持久戦。限界への挑戦だった。政経塾の同期との目標は、24時間以内に全員完歩。個人目標は、20時間で完歩。目的は、とにかく仲間との約束、自分との約束を守ること。この目的目標があれば、自分はできる、そう思っていた。それは大きな勘違いだった。
◆準備 一度だけ練習会に参加。一緒に歩く人がいることで、自分のペースの変化が分かり、皆さんがどのような準備をしているのか、お話ができてとても参考になった。時間を創って参加すべき。練習は、力になる。
◆100キロの足跡
スタート〜31キロ
10キロを1時間40分ほど。ほとんど休憩はとらず、食事は歩きながらおにぎりを食べ、トイレはこまめに行った。水分も食糧も最低限にして荷物は軽くした。
31キロ〜49キロ
少しずつ足の裏と股関節あたりに痛みを覚え、少しペースを落とした。備前体育館で座ったことで、筋肉のはりを感じるようになったが、まだ計画通りのペース。伊里漁協では、おいしい水餃子とおにぎりをいただき、心も体も温まった。ゆで卵には「楽笑」の文字。半分とはいえ、スタートラインに立ったという気持ちで再出発。
49キロ〜68キロ
足の裏と股関節の痛みが激しくなった。11期の仲間が数名一緒に歩いてくれたが、みんなはもっと速く行けたはず・・・。一歩出すごとに痛くて、鳥肌が立つほどになっていた。
閑谷学校緑地公園後の10キロは、ペースダウンしたせいで距離と時間の感覚が狂い、苦しい時間帯だった。とにかく、リバーサイド目指してひたすら歩いた。痛くても進んでいるから大丈夫と言い聞かせていた。
68キロ〜90キロ
リバーサイドでテーピングを巻いてもらうために、同期と別れた。「ゆっくり行ってるから」と声をかけてもらったことが、この後の道のりの励みになった。1時前にリバーサイドを出て、1人で夜の山道に歩き出したが、とにかく追いつきたい一心で歩いていたので、不安はなかった。とはいえ、足の痛みは増していく。途中で屈伸をしながらとにかく前に進んだ。睡魔に襲われ、靴ひもを結び直しながら、歩きながら、気を抜くと寝ていた。寒さ対策にダウンと防寒具のズボンを着ても寒かったので、夜間の冷えを甘く見てはいけない。
90キロ〜ゴール
90キロの地点ですでにゴール予定時刻の6時半を過ぎていた。足がパンパンで、数十mごとに屈伸しないと進めなかった。痛くて辛くて泣きそうな時にサポーターの方に声援をいただき、涙が出た。声援と「全員完歩」の言葉に支えられて、何とか足を動かしていた。どんどん抜かれて行く中、同期と合流。「4キロで歩けば間に合うから」と言う笑顔を見て、一緒に歩く仲間が身近にいる心強さを感じた。
最後の坂道の辺りで、「先に行ってて」と言われたので、先に行って、待った。90キロからペースを合わせてもらったからここまで来られたのに、先に1人でゴールできるわけがない。この時、「一緒に万歳して、感動のゴールをしてやろう!」と密かに決めていた。
橋が見えたあたりから涙が止まらなかった。途中、多くの方が「がんばれ!」「あと少し!」と声をかけてくださった。本当に本当に嬉しかった。
午前9時35分、2人で万歳してゴール!迎えてくれた友人や仲間が輝いて見えた。100キロを通して、11期の仲間が1つになり、友人との絆が深まり、そして、自分自身への信頼が強まった瞬間だった。
100キロを通してわかったのは、私は、1人で何でもしているわけではなかったことだ。私が力を出せるのは、仲間がいるから。仲間がいたから完歩できた。同時に、自分自信への信頼が高まった。道中、どれだけ痛くて辛くて泣いていても、絶対に完歩できると信じて疑っていなかった。一瞬も諦めなかった自分がいた。
◆最後に
この素晴らしい機会を与えてくださった、運営・サポートの皆さん、本当に、ありがとうございました。チャレンジャーが安全に100キロを歩けたのは、事前準備や当日のサポート体制が綿密に行われていたからだと思います。来年は私もサポートに回り、安全に100キロを歩ける環境を創っていきます。本当にありがとうございました
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