2012年 100km Walk

 
◆本多 浩子(一般参加・ゼッケン:200)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月17日
「50歳の挑戦 ありがとう」



●言霊との出会いを若人に…のはずが…

 締め切り5日前の金曜日、24時間100キロ歩行のちらしを届けてくれた。彼は私に「普通の人以上に岐路に自ら立ち続け人生を歩いたホンダは、もういいかもしれないが、若い人に紹介してみてくれる!?」「おっしゃるとおり!」そんな会話を交わし、手にしたちらしの言霊に心が響いた。この言霊を手に締切1日前となった月曜日に若い3人の学生に声をした。「僕はぜひに!」という三宅君に続き、あれよあれよと3人の若人が申し込む運びとなった。「申し込み手続きは引き受けた〜!」という私に、「ホンダは参加しないの…!?」と板谷さん。「え〜え〜え〜、わたしゃぁ、佐藤君のお母ちゃんと同じ寅年よ〜。え〜!!」「え〜!?」あれよあれよと私は、若人3人より50歳の挑戦の場をプレゼントされることとなった。「流れてくる桃は拾う。」これが私のスタートとなった。



●物の準備・心の準備・身体の準備

 何事もまず形から、物の準備をスタート。「100キロを24時間で歩ける靴をください。」私を上から下までしっかり観察した若い店員さんは、「100キロ24時間!」と言いながら店内をぐるぐる回り、蛍光色まっ黄色のシューズを手にした。「やっぱりこれですね。この靴ですよ。必ず歩けます。」とお勧めのシューズににっこり笑顔で呪文をかけてくれた。私は、蛍光色まっ黄色の靴とサポートタイツ、そのうえに着用する若々しいミニスカート、五本指のソックスを取り急ぎ購入した。それ以外は、公式練習開始後、塾生である先輩完歩者の助言をもらい、必需品を準備した。ナップサックは、軽量・小型・身に沿うものを何度もスポーツ店に足を運び選んだ。懐中電灯もより軽量なもの、一つは頭に装着し、もう一つはネックレスタイプにした。形から入ること、そして物の選別、準備がどれだけ重要であったかは、24時間を経験して実感した。出勤前の朝6キロ1時間の歩行に、夕方の水中歩行30分。下見会の参加と公式練習。7キロ1時間の公式練習には、日常性の練習の節目に4回出席。練習が大切なのはもちろんだが、練習を共にした人の存在や塾生の人との出会いは、当日大きな安心を与えてくれるものになった。限られた時間の中での練習にさえ、孤独感を味わった。自ら投げ出せないように、できるだけ多くの人に、この挑戦について表明することとした。飲み会の席では、恰好の肴にされ、1人を除いて誰もがその挑戦は無理だと声をそろえ、過酷な挑戦であることをより自覚した。



●いよいよスタート

 40キロ地点の備前体育館に17時、49キロ地点の伊里漁協までに19時と、シュミレーションしていた通りに到着できた。備前体育館に到着し、すぐさま違和感のある左足をチエックすると、五本指ソックスの拇指球部分はぽっかり穴があいていた。左股関節の痛みは、ポケットに入れていたカメラが災いしていることに気づいた。靴下を着替え夜間の装備をしスタートしたが、足の痛みは相当なものだった。そんなとき、伊里漁協までの間で、長さも重さも適当な杖となる木を手にした。まさに神様から与えられた杖だ。これがなかったらまず完歩は無理だったと思う。




●流した涙

 伊里漁港手前で「追いついたぁ〜」と佐藤君ひとり。学生たちは、最初の10キロチエックポイントで、私とはすでに1時間遅れをとっていたという。途中で2人の学生と離れ、ひとりで歩いたという。彼は聴覚に障がいがある。応援の声が届かない彼は、どれだけ孤独だったのだろうと勝手に思い涙がでた。彼と伊里漁協で食事を共にし、一緒にスタート。そして自分のペースで歩くよう声をした。彼は6時39分に後楽園に到着し、私たちのゴールをひとりで待っていてくれた。彼と別れての私の足の運びは、30歩歩いては立ち止まり、杖にじっと身をまかせ、また次の1歩に時間をかける、その繰り返し。「頑張れ〜」「待ってるよ〜」と車から声をしてくれるサポーター。そんなとき流した涙は、足の痛みの涙ではなかった。サポーターの彼らは、どれだけ気持ちを鬼にして車を走らせているだろう、こんな歩みの私を置いて車を走らせなければならないサポーターを思ったら涙が流れた。そして、今までの人生節目に出会ってきた人、家族を思い、支えられ生きていることに感謝し涙した。

 

●自分の踵を1mmも動かせない状態に、そして完全復活に2週間の時間を要す

 リバーサイドで残り10時間、大原橋で3時間半、どのポイントでも時間は十分だとサポーターは声をしてくれた。しかし、1歩がでないこの足取りでは、間に合わないと思った。しかし、歩くのはやめなかった。完歩できなくとも24時間そこに立つだけになっても、コースにいようと思った。来年もう一度挑戦することを頭に描くと、1年間孤独と闘うことにこのとき自信がなかった。法界院から塾生が伴歩してくれた。24時間コースにいることだけは確信したが、完歩を確信することはできなかった。9時23分、ゴールできたことが不思議だ。その後10時間は自分の踵を1mmも自分で動かせなかった。ゴール直後「来年も歩く?」との問いに「サポーターとしての参加はしないとね。こんなにお世話になったもの…」と。夜な夜な今の時間どこを歩いていたなあとふりかえる日が続いた1週間後、「来年も歩けるかなぁ」と思っている自分がいることに驚いた。でも本当にいい体験だった。来年もこの機会があると信じているが、これから出会う若人に、50歳の挑戦とともにしっかり言霊をもって「晴れの国おかやま24時間100キロ歩行」を伝えていきたい。岡山政経塾の皆様をはじめ、サポートの皆さん、沿道から応援をいただきました皆さん、こんな私を支えてくださった多くの皆さん、3人の若人、本当にありがとうございました。感謝。