2012年 100km Walk

 
◆有岡 美智子(一般参加・ゼッケン:22)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月22日
「節目のチャレンジ・・・」




 「100キロ歩行」朝日新聞に小さく出ていた。 毎朝1時間の適当なウォーキングのみで スポーツ経験なし。無知と好奇心で 「65歳の節目、体力測定を兼ね挑戦!」と意気揚々、能天気な私は軽い気持ちでエントリー。
 主人 (1年の半分をタイのチェンマイにシーズンステイしてゴルフ三昧) が所用でたまたま帰国中。相談する。「ふーん、100キロか、まずはコースの確認を」と車でコースを下見。主人曰く「コースを実際に回って見せれば恐れをなして止めるだろうと思っていた」と。私はといえば、怖いもの知らずで「これで止めたら女が廃る!?」とやる気満々。

 それからは再度じっくりコースの下見。閑谷学校付近ではトンネルを含め雪が舞う中、車から降りて歩かされたり?せめて半分の50キロは経験せねばと近所を朝から夕方遅くまで一緒に歩いてくれたり、コンビニで買い物をする練習までやらされ!?セブンイレブンや、他のコンビニの商品の並べ方を頭に入れ、欲しい商品を探す時間をなくす、カードで買うのと小銭で買うのとどちらがより処理が速いか、あちこちのコンビニで買い物めぐり。足がつった時のため「塩」は必ず持参するように等々、事細かにアドバイスを残してマイコーチは2月後半チェンマイへ出発。

 さあ、これからは一人で100キロ歩行に向けて準備「ワクワク、ドキドキ」。 スポーツウエアー、スポーツグッズなど全く持っていないに等しかったので、リュックサックを始め、あれこれ購入。水を飲むための長いチューブとか必要ないものまで買ってしまったが、うれしくって面白くって部屋中をリュックを背負ってボトルに差し込んだチューブで水をチュウチュウ吸いながら鼻歌交じりで歩き回る。これが私の100キロ歩行訓練。

 さて、いよいよ倉敷の練習会デビュー。他の予定のある木曜以外は参加。「さあ、歩きましょう。」と言われ、ついて歩く。「ちょっと待って、ちょっと待って。」「待ってー、待ってくれー」「コラ、マテー」!?その速さにまずはびっくり仰天!筋力をつけるためとか 。それまでのルンルン気分から一転アスリート気分へ急転換。今更あとに引けない。大げさに言えば私の生き方をダイレクトに実践する機会を与えられたのだ。試金石なのだ。 「本気、根気、負けん気」と歩調に合わせリズムを取りながら歩く。 練習中に 腹痛や、 食べたものを吐いたりと、いろいろ体の変調を体験をしながら速さに慣れていく。気力はあっても非力な体が付いていくか心配しながら本番に向かう。



 いざ本番。
 早朝夫からの励ましの電話に見送られ、後楽園の近くに取っていたホテルから出陣。昨日とうって変わって快晴。大雨、小雨を想定し、雨具を4種類(100円均一も含む)も準備していたが、防寒を兼ねた一番軽い物をリュックに。河原には参加者が続々と集合。練習会場でお会いした方々と挨拶。皆さんのリラックスした良い笑顔に記録を争う大会ではないことを実感。

 いよいよスタート。 上空を旋回するヘリコプターに皆で手を振る。ひたすら歩く、歩く。10キロのチェックポイントに事務局に電話した時応対してくださり募集要項を送ってくださった女性の瀧さんと初対面。(募集要項の片隅に手書きで短くご自分の経験と励ましの言葉を添えてくださっていた。その言葉に励まされ今回チャレンジしようと決めたのだ。たった一言に人を動かす力が。小さな気配り、心配りの大切さをその時学んだ。)

 15キロから25キロにかけて足がつって歩けなくなった。ああ、なんたること「塩」を忘れてきた。周りの人が直す方法を教えてくださったり、倉敷会場でご一緒した方が梅干を下さったり、「だいじょうぶですか」とのサポーターの掛け声に「大丈夫です。」と引きつった笑顔で応える。「こんな距離でリタイアは出来ない、でも歩けない」の繰り返し。どんどん追い越される。小さな食料品店を見つける。塩を買って水で流し込む。少しづつ痛みも取れ何とか歩けるように。

 今回、この大会が単に記録の競争でないことをいろんな場面を通し再認識。お昼時、私の前をふくらんだポリ袋を下げたチャレンジャーが歩いている。「あんなにたくさん食べ物を買って重くないだろうか、たくさん食べる人だなあ」と暢気に考えていた。するとどうも様子が違う。ゴミを拾いながらポリ袋に入れておられたゼッケン49番さん。
 ついうっかり瞬間冷却スプレーを川べりの勾配のある崖に落とし、あきらめていたらいつの間にか柵を乗り越え拾ってくださったゼッケン13番さん、ありがとうございました。それぞれの自己犠牲の精神を垣間見せていただき、この大会の主旨を思い起こされました。感謝申し上げます。スタッフの方は参加者には見えないご苦労の方が大部分であった事でしょう。美味しかった苺、水餃子、メッセージつきのたまご、おむすびなどなど、数え切れない、有形、無形のご親切に支えられ、助けられ、励まされ歩き続けられました。
 夫からは歩く途中何度も電話で安心感と活力を吹き込まれつつ「閑谷学校を過ぎたらフラットな道に出るからそこからは休まず歩き続けるように」との指示に従い、長い、長い道のりを足の痛みを堪えながらゴールの後楽園へ辿り着くことが出来ました。

 厚い人種差別の壁をバット1本で打ち砕いた黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンの名言「不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ」。まさにこの言葉を体感し、これからも「トライ&トライ」「トライ&エラー」の生涯を送りたいと改めて思いました。

 この歳にして初めての達成感、安堵感、感謝の気持ちが入り混じった嬉し涙。こうして私の「65歳の節目 のイベント」は幕を閉じました。大会にたずさわってくださった全ての皆さま。本当に有難うございました。「有難う」この字が示す有難き事、有得ない事に、大会終了後来ているチェンマイより心を込めて感謝とお礼を申し上げます。