2012年 100km Walk

 
◆高田 和加子(一般参加・ゼッケン:222)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月31日
「励まされ続けた道のり」




 『今年はいいペースだね、きっと完歩できるよ』イベントへの参加から3週間ほどが過ぎましたが、百間川沿いを歩く私に、スタッフの皆さんがかけてくれた温かい応援は今でも鮮明に覚えています。

 去年のイベントで早々にリタイヤした私が、なぜ今年もやろうと思ったのか。それは、テーピングが合わなかったことによる足の不調で、リタイヤしたことが不本意だったからです。私以外は全員完歩した様子を見て、『私だってきっと歩ける』なんてことは、少し頭をよぎりましたが、練習していなかった私にそれをいう権利はないことはわかっていました。ただ、自分のベストコンディションで臨めなかったことが、悔しかった。だから、懲りずに今年も締め切りが過ぎた後でしたが、申し込みをさせてもらいました。
 ただ、『練習しなきゃ』という思いとは裏腹に、練習時間が確保できない。3月から4月いっぱいは家に帰れないほどの日もあるほどに仕事にかかりきりで、練習といえば、休みの日に遠くのスーパーまで往復2時間程度を歩くぐらい。今年も厳しいかなと思いつつ、でも限界までやってやろうと意気込んでいました。



 そして、迎えた本番。携帯音楽プレーヤーを準備していたおかげで、テンポよくスタート。前回は、サポーターで伴歩をしてくださった井上さんと真っ暗な中歩いた長船町を、まだ日が昇っているうちに通過。追い抜いていく人に肩をたたかれて『がんばりましょう』と言われたり、『大変そうなのでどうぞ』とクエン酸の飴をいただいたり、励まされながら、どうにか備前体育館へ到着。途中、「もうリタイヤするんです」と言ってサポーターのお迎えを待っていた参加者の男性に、持っていた最後のキャンディーを差し上げました。私はあの男性の分まで歩くんだなどと、勝手に意気込んだりして。そこまでは調子が良かったんです。
 しかし、備前の市街地に入ってサポーターから『伊里漁協はもうちょっとですよ』と声をかけてもらったものの、全然、見えない。暗い道をどんなに歩いても明かりは見えず、それどころか工場が続くばかり。近所の住民の方が、ゴミを出しに家の外に出てきたので、『漁協を探している』と聞くと、『もうすぐそこだ』と言う。『よし、それなら頑張るぞ』と歩き始めるも、まったく見えない。足はどんどん重たくなって痛いし、音楽プレーヤーも尾中で調子が悪くなって気を紛らわせる道具もなく、一人の戦いが本格的に始まったなと思いました。そして、伊里漁協を通過したあと、閑谷学校までの上り坂は、今まで以上に足が上がらず、本当にしんどかった。
 『閑谷学校でリタイヤしよう』、そう思いながら到着した閑谷のチェックポイントでしたが、知人の小倉県議に『もうちょっとじゃけ。坂降りたら、あとは平坦よ』と声をかけてもらい、歩行を再開。でも、すでに午前1時をまわっており、10キロを3時間半で歩いている自分は、どう計算しても、午前10時までの残り9時間で、ゴールまでの40キロあまりは歩けない。完歩は厳しいだろう。もう十分だよね。そんなことを、頭のなかでグルグルと考えていた時、目に前に吉永のローソンが現れ、リタイヤの電話をかけました。

 結果的に、今回も完歩とはならず、前回よりも大幅に距離は伸ばしただけでしたが、正直、自分では満足しています。練習をしていない私が、気合だけで歩こうなんて 、練習を積み重ねて参加した皆さんに失礼で、そんなおこがましいことは言えません。でも、ちょっとだけでも距離を伸ばして、自分と戦えたこと、それはすごくよかったと思います。

 長い時間をかけて、準備をしてくださったサポーターの皆さん。皆さんを見かけるたびに、元気が出ました。足の痛みが消えました。もっと歩こうと思えました。どんなに遅くなっても、待っていてくれる。そう思えたから、歩けたと思います。寒い中、長時間にわたり、お疲れ様でした。ありがとうございました。
 そして、同じ苦しい顔をしながら山間の道を一緒に歩いた参加者の皆さん。名前こそ存じ上げませんが、いただいた飴やエールはエネルギーとなり、その優しさは心にしみて、励みになりました。私はみなさんの優しさに触れたからこそ、歩き続けられました。いただいた優しさを忘れず、今度は、自分の生活のなかで、ほかの人にも分けていきたいと思います。ありがとうございました。