2012年 100km Walk

 
◆多々納 悠(一般参加・ゼッケン:27)株式会社カートップ

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月6日
「24時間100km歩行に参加して〜全ての方に感謝!〜」



昨年12月、会社の社内メールで、「24時間100km歩行」の参加者を募っていました。
 添付されていた案内チラシを見ながら、「今まで私は、一度も自分の意思で何かを決め、それを成し遂げたことがない」、ということに気づきました。小さい時から、誰かに気を遣うばかりで、自分を貫くことが怖くなっていましたし、人に合わすことが自分への「逃げ」にもなっていました。
 「チャレンジして、自分を変えたい。」そんな思いで、参加を決意しました。

 参加を決めてすぐ、知り合いの陸上選手に助言をもらい、まずは靴と靴下に慣れることに集中しました。2月にあった説明会や、井上さんからのお話で、靴のオススメもありましたが、私はそれ以前に購入していたので、とにかくそれに慣れることにしました。
 運動らしい運動を、ここ10年全く行っていなかったため、初めは通勤や買い物など、日常的な移動を徒歩に切り替えました。3月に入ってから、練習会に参加しました。練習会に参加したのは1度だけでしたが、そこで練習のペースを掴めたため、週に2〜3回、自分の家の周りを歩きました。
 もともと、足の爪が反っているため、練習の段階で足の指を負傷しました。本番では、各指にテーピングを巻き、5本指ソックスを履き、その上から普通のソックスを履きました。

 思ったより難儀したのは、物の準備でした。「あれが要るかも、これが要るかも」とリュックに詰めていくと、思った以上に重くなってしまいました。
 物の面で最も悩んだのは、飲食物です。最初は500mlペットボトルの水を2本入れましたが、重かったので1本に減らし、途中で買うことにしました。食事のタイミングと量で悩みました。常にエネルギーが絶えないようにしたかったため、おにぎりを10kmごとに1個、歩きながら食べることにしました。しかし、おにぎりが10個も入るスペースがリュックになかったため、5個だけ入れて、後は途中で購入することにしました。

 そして、「心の準備」ですが、こんな作戦を立てました。
 ・10kmごとのおにぎりを楽しみに頑張る!(実際に、数種類の味を用意しました。)
 ・足を引きずるのは当たり前!想定内のことと考える!
 ・どうしてもつらくなったら、誰かに電話をかけてパワーをもらう!
 ・「リタイア」が頭をよぎったら、大好物のアイスクリームを食べて復活する!
 ・右足と左足を交互に出したら必ずゴールする!つらくても前進する!
 かなり幼稚な作戦でしたが、マイペースにいこうと決めました。
 体と物の準備をして、いよいよ5月3日(本番)が来ました。朝から緊張でお腹がゆるくなりました。ボイコットしようかと思ったほどです。生まれて初めて自分で決めた、大きなチャレンジを前に、完全に怖気づいてしまいました。
 しかし、会場に着いて、会社の皆の顔を見たり話をしたりしながら、だんだんとテンションが上がっていきました。
本番の歩き方は、あまり飛ばしたり休憩したりせず、常に一定(時速5kmくらい)で歩き続けることにしました。人のペースに合わせるのは非常につらいと聞いていましたので、スタートからずっと一人で歩きました。

 30km地点までは、順調に歩けました。ですが、20km地点(14時くらい?)で頭痛に悩まされました。もしかしたら、軽い熱中症になっていたかもしれません。
 日が傾いてくると、頭痛は治まりましたが、足の鈍痛が始まりました。40kmのチェックポイントで、ライトや反射材の準備に、スタートから初めて座りました。そこから立ち上がった瞬間、驚くほど足が重くなっていました。これからの道のりに不安がよぎりました。

 そして、50km地点、用意していただいた炊き出しを頂いた後、「これからの道のりはつらい!」と確信したため、iPhoneを取り出し、イヤホンで音楽をずっと聞きながら歩きました。音楽に救われました。暗い道を一人で歩くのはとても心細かったので、歌を歌いながら自分を奮い立たせました。

 閑谷(60km地点)に到着した時点で午後10時でした。リバーサイド(70km地点)までの道、歌う元気もだんだんとなくなってきました。リバーサイドに到着後、ベンチに寝転んでストレッチを行いましたが、次に立ち上がるのがつらくなりました。

 ここで、作戦に立てていた「つらくなったら電話をかける」を決行し、応援に駆けつけてくれていた社員に電話をかけました。会社の皆の状況を聞いただけでしたが、頑張っているのが自分だけではないことを知ったので、思い切って立ち上がり、重い足を一歩ずつ前に出しました。
 この、70km地点での経験をもとに、次の80km地点では座らず、90km地点まで一気に歩くと決めました。

 しかし、70〜80kmの途中、生まれて初めて、痛みで泣きそうになりました。歌う元気もありません。「リタイア」の「リ」の字がよぎる直前に、「アイスだ!」と決め、コンビニでハーゲンダッツ(抹茶味)を買い、歩きながら食べました。
 あんなに美味しいアイスクリームを食べたのは、生まれて初めてでした。

 そこからだんだんと足が動き、予定通り90km地点まで一気に歩きました。しかし、最後の10kmが地獄でした。何度も止まりました。
 特に、法界院駅からクレドにかけては、普段からよく通る道のため、余計に長く、つらく感じました。それまで笑顔で頑張っていましたが、この道は死にそうな顔で歩きました。
 ゴールのテープが見えた時には、嬉しくて走ってゴールしました。24時間以内にゴールできて本当によかったです。

 24時間100km歩行で感じたことは、限界を超えたときの感動ももちろんですが、何より、応援して下さった方々への感謝の念が絶えません。

 サポーターの皆さん、各地点で出された食べ物や飲み物、ほとんど頂きました。どれもパワーみなぎるものばかりでした。
 誘導ポイント、チェックポイントごと、元気をもらいました。
車からのご声援、応えられるだけ手を振り返しました。
本当に本当に、ありがとうございました。

 カートップから2名、最初から最後まで応援していただきました。本当に救われました。何度助けられたことか・・・ありがとうございました!

 一緒に歩いたチャレンジャーの皆さん、お疲れさまでした。前に歩いている方の背中を見て頑張れました。

 途中でおにぎりや果物を出してくださった一般の方々、歩道橋の上から声援を送ってくれたご家族、家の塀から大きな声で応援してくれた小学生たち、窓から声をかけて下さったドライバーの皆さん、すれ違う際に声をかけて下さったジョギング・自転車中のスポーツマンの皆様、トイレをお借りした際に励まして下さった薬局の店員さん、本当に本当に、ありがとうございました。
 最後、柳川の交差点で、中年の女性が「よくここまでがんばられましたね。」と声をかけて下さいました。これまでの苦労を思い出し、また、たくさんの方に支えられてきた感謝で、涙が止まりませんでした。

 初めて、自分の意思で「やる」と決めて行った、限界へのチャレンジでしたが、無事、成功させることができました。これからの人生の励みになりました。
 来年も募集があるのなら、是非、サポーターで参加をしようと思っています。応援して下さった皆様への恩返しでもあり、来年度チャレンジされる方への力になりたいです。

 このような貴重な体験をさせていただいた岡山政経塾様に感謝いたします。
 ありがとうございました。