2012年 100km Walk

 
◆瀧 幸郎(岡山政経塾 10期生 サポーター)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月16日
「去年の感動からサポートへ」



はじめに

 去年のゴールデンウィーク、岡山政経塾の特別例会として100キロ歩行を完歩した際に感じた「感謝」の気持ち。人は一人では生きていけないという当たり前のこと。このことを多くの人にも体感してもらうため、今年はサポーターとして参加すると去年から決めていた。



1.100キロ歩行研究科に参加

 まだ歩いたばかりの現役塾生だからこそサポートできることがあると考え、100キロ歩行研究科に参加した。研究科といっても実質は大会の実行委員、大会そのものをサポートする組織だった。
私個人には人脈もなく、人を動かせる力もないのは分かっていた。研究科に参加したところでお役に立てないかもしれないが、どうしても自分が体験した100キロ歩行の素晴らしさをみんなにも知ってもらいたいという思いがあった。



2.実行委員としての準備

 私はいままで事業を興したことはなく、イベントの主催者側に立った経験もなかった。それゆえ市民大会を開催するのに何が必要なのか、どんな準備をすればいいのかさっぱり解らない状態だったので、可能な限り積極的に会議に参加した。
 100キロ歩行研究科の活動は、小山事務局長をはじめ数名の主力なメンバーが中心となって、まずは市民大会にしたい趣意と大会の概要を固めるところから始まった。さらには後援や協賛など、はじめは単語の違いすらあやふやな状態だったが、会議を重ねるにつれ少ずつ大会のビジョンが明確になっていくのが分かり、とてもやりがいのある活動だと実感し、なんとか成功裏に終わりたいという思いが強くなってきた。

 当初の予想は300名応募の150名参加くらいと見積もっていたが、締め切り間近になって予想以上にどんどん増えるチャレンジャーには驚いた。100キロ歩行に対する興味と関心の高さがうかがえ、主催者側としては嬉しい反面、チャレンジャーが多くなればなるほど難しいのがサポート体制である。これには研究科一同さんざん頭を悩ませたが、最終的にはサポーターのみなさんにかなりの負担をお願いするという形でぎりぎりまとまったのが実情である。
 10期生は練習会担当となってチャレンジャーのサポートにまわることになった。今回から新たに倉敷会場を設け、より練習会に参加しやすい体制を整えた。私もおよそ週2回のペースで練習会に参加し、完歩の為のレクチャーにとどまらずチャレンジャーと交流をもつ時間にもなった。後に、ゴールの後楽園でドラマが繰り広げられることとなる家族にもこの練習会で知り合った。



3.大会当日(タイム記録係)

 前日の強い雨は去り、さすがは「晴れの国」と呼ばれるだけあって天気にも恵まれ、福武幹事のヘリコプターが上空を旋回するなか、一斉にスタートした。
 チャレンジャーがスタート地点からいなくなる頃、実行委員としては無事大会が始まったというひとつの大きな山を越え、ホッとしたのを覚えている。まだまだこれからが大変なのは言うまでもないのだが、去年チャレンジャーとして参加した時には感じたことのない感情だった。
 タイム記録係としてすぐにCPへ移動し、当初の段取り通りタイムチェックカードを確認して入力作業に入った。日陰のない炎天下の真っただ中、同じ記録係の采女さんが持参してくださったテーブルやパラソルが大変有り難かった。私は野外の活動に関して全くの準備不足だと思い知った。その後は次々CPへ移動し、タイム入力を行う作業の繰り返しのため、PCの電源がもたない、閑谷学校など所々で無線LANの電波が届かないなどのトラブルがあったが、一番困ったのが、通過したチャレンジャーとリタイヤした人の全数(215名)が途中から合わないことだった。
 後から分かった事だが、リタイヤ申告漏れや無断で帰宅した人もいたとのことで、それぞれの部署で確認作業に割いた時間は大きな損失だったと思われる。さらに記録係としては後日事務局長に多大なご迷惑をかける結果となってしまった。
 


4.これぞ100キロ歩行の醍醐味

 私はまだ夜が明ける気配のない時間からゴールの後楽園にてタイムチェックや情報収集、その他雑務にまわっていたが、ここで両親と息子の3人で参加した家族のドラマを目の当たりにすることとなる。せっかくなので紹介させていただく。
 100キロ歩行に参加するきっかけは母親だった。普段から運動しないやせ体型で、何をするにもやる気が無く何を考えているか分からない息子さんに何か取り組んでほしいとのことで、親子3人で出場することを提案したらしい。何度か練習会に参加していた方々だったので面識はあったため、CPで出くわすときは声をかけるようにしていた。母親は伊里漁協でリタイヤし、父親は瀬戸でリタイヤ。息子さんは周囲の予想を裏切りその後も歩き続け、ついには予想だにしなかった完歩を成し遂げた。

 母親はゴール地点に先回りして2時間以上も息子の帰還を待ち続けていた。その際に少しお話をする機会があったのだが、「ここまであの子がやるとは思わなかった。見直しました。息子に対する考えを変えます」と言っていた。
 実行委員の仕事が忙しくなり感動のゴールこそ立ち会えなかったが、母親はまだ寒い時間からじっとゴールの方を見つめて待っていた。その姿を思い出すたびに、心が洗われるのを感じる。
 この親子以外にも、家族、同僚や恋人同士など、参加した人それぞれにドラマがあったことと思う。完歩した人もリタイヤした人も、何か得るものはあったはずであり、それはその人を良い方向へと導くものであると確信している。
 うまく表現できないが、サポーターとして参加する100キロ歩行の醍醐味は、チャレンジャーのスタート前の姿と、ゴールに向かう姿がダイナミックに変わってゆくさまを間近で感じることができるからかもしれない。ゴールする瞬間だけを切り取って見たとしても、その感動は共有できないと思う。だからしんどいにもかかわらず、毎年サポートする人が自然と集まってくるのではないだろうか。

 

さいごに

100キロ歩行に関わった全ての人のおかげで、なんとか無事終わることができた。もちろん色々な問題があり、改善点はたくさんあったと思う。来年に向けての課題も多いが、何より傷病人が出ずに、ひとまずは無事終われたことに胸をなでおろすとともに、関わってくれたすべての人に感謝いたします。ありがとうございました。