2012年 100km Walk
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◆中川 真寿男(岡山政経塾 10期生 サポーター)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2012年5月16日
「―― 100キロ歩行―サポート隊として ――」
はじめに
昨年、100キロ歩行にチャレンジャーとして参加して、はや1年がたちました。後楽園の入口に立つと、あの時のえらかったこと、つらかったこと、そしてそれを乗り越えて100キロを達成した時の感動がこの前のようによみがえってきました。
今年は、サポート隊ということで精神的、肉体的にはずいぶん楽な気持ちで臨んだのですが、実際サポート隊として24時間を超えるサポートを行い、サポート隊の大変さがよくわかり、先輩たちの昨年の苦労に改めて感謝の念が湧いてきました。チャレンジャーは大きなプレッシャーがあり確かに大変でしたが、サポート隊はある意味それ以上に大変なことが、サポートをして初めてわかりました。
練習会に参加して
今回の100キロ歩行は、広く一般から参加 者を募っての大きな大会になり、それに伴い、今まで岡山だけの練習会場に、倉敷会場が加わりました。私たち10期生はもともと人数が少ないうえに2会場の担当ということで、4〜5人ずつのチームでみんなで手分けをして練習会にあたりました。練習期間も3月、4月と長丁場に及び、週3日の練習は大変でした。昨年、先輩たちも私たちのために練習会を開いてくれていましたが、私はあまり参加できませんでした。エンジンがかかったのが4月の中頃からであり、練習会では、先輩から色々な情報を得て、それこそ身体の準備もそうでしたが心の準備もだんだん高まっていったように思いました。もっと早くから参加していたらと、後悔したことを思い出しながら、今回たくさんの方が参加してくれればいいのにと、思いながら練習会に参加していました。
当初数名の参加しかなくさみしい思いで歩いていましたが、参加してくれた方は一般参加の方ばかりでしたが、熱心に自分を鍛えていました。私たちが先輩から教わったこと、自分が歩いてみて感じたことなどを話しながら、マスカット球場の周りを一緒に歩きました。日によって練習に来る人の数は変わりましたが、多くても10数名であり、内心もう少し参加してもらってもいいのになと思いながら、それでも来られる方の必死さが伝わり私たちでできる限りのサポートをさせてもらったと思っています。練習会が会を重ねると顔なじみの方もでき、気安く話もできるようになり情報交換は進んだのではないかと思っています。そして、練習に参加されている皆さんは、100キロ完歩できる体力と、気持ちと、物の準備もできていると思いました。岡山会場も20名程度の参加であり、参加されていない大勢の人は、大丈夫かなと一人気をもんでいました。
サポート隊の一員として
私たち10期生は、10キロまでの地点と、20キロから30キロまでの地点、それに90キロからゴールまでの地点をサポートすることになり、また伴歩担当にもなりました。時間配分表をみて、時間の長さに驚き、そして場所移動がスムーズにいくかなど不安感もよぎりました。
大勢の方が集まったスタートの場面を見ることもなく、最初の新京橋下の信号場所に入り、チャレンジャーの皆さんを迎えました。スタートの後楽園からあまり離れていないのでたくさんの方が一気に押し寄せてきて、信号を渡って行きました。ここの信号は、押しボタン式で青信号の時間も短く、交通量もかなりありました。信号を待つ時間がかなりあり、チャレンジャーにとっては歯がゆく思ったのか、信号を無視して渡る方もあり、ここはルート変更を考えたほうがいいのではないかと思いました。
次に入江百貨店前の箕輪交差点の誘導ポイントに立ちました。私も昨年、入江百貨店のトイレを利用させていただきありがたかったことを思い出しました。このあたりになると、ぼつぼつ体のいろいろなところが痛くなってきて、えらそうに歩いている人がかなりいました。がんばっている人に「がんばれ」というのもおかしいのですが、やはり口をついて出るのは「がんばれ」という言葉でした。まだまだ余裕の人、集団で話をしながら通り過ぎる人々、しんどそうに下を向いて行く人、色々なチャレンジャーの方が通り過ぎて行きました。
「みんな、100キロ目指して頑張れ」と思いながら声援を送りました。
夜に入り、私たち10期生の受け持ちである90キロポイントに入りました。ここからの時間がとても長く、そして夜更けになり寒さも加わりました。昨年歩いている時も寒さは感じましたが、じっと待っている間の寒さは真冬のようでした。その上、風も相当吹き、本当に寒く震えていました。昨年、私たちが歩いていた時、先輩たちは疲れ切った私たちを色々なところで励ましてくれましたが、待つ間こんなに寒いめをしていたとは思いませんでした。本当に頭が下がりました。今度は私たちの番だ。しっかりお返しをしようと思いましたが、深夜になり襲ってくる寒さにはおうじょうしました。私は、最後の誘導ポイントに当たる市民会館前で「あと、もう少し。後楽園は見えている。がんばって。」と何度言ったことだろうか。みんな疲れ切っていたが、最後の力を出して歩いて行きました。その人その人に、自分との闘いがあり、ここまでたどり着いたんだ、本当に大変だった、よく歩いて帰ってきたなと心の中で思いながら、昨年の自分のことを思い出しながら応援していました。
伴歩をして
夜が明け、6時ごろになると10期生は伴歩のため90キロ地点に集合がかかりました。私も外の誘導ポイントにいた10期生を車に乗せ、90キロの大原橋まで帰りました。伴歩が必要な人にそれぞれがついて、伴歩を始めました。
伴歩は初めての経験で、どのように接すればいいか不安もありましたが、女の人と男の人の二人組に伴歩につきました。天気の話とか風景の話とかしながら、相手に合わせて歩いて行きましたが、二人とも相当無理をしてきたのかだんだん遅れだし、このままでは24時間内に間に合うかどうかぎりぎりのところを歩いていました。女の人は足を引きずりながら歩いており、男の人も相当しんどそうでした。体力的にぎりぎりのところをいっているのはまわりで見てもわかりましたが、100キロの達成感を何としてでも味わってもらいたいと思い、とぎれとぎれにはなっても会話を続け、できるだけがんばって歩いてもらい、時間を見ながら少しだけの休憩も取り、岡山の街まで帰ってきました。しんどいのは変わらないどころかますます辛そうでしたが、あと少し、あと少しと声をかけ、9時50分前に後楽園に帰ってきました。最後に一言「ありがとう」と言ってもらいました。二人とも自分の限界を超えていたかもしれないが、最後までよく頑張って歩かれたと思い、伴歩をさせてもらった私も熱くなりました。こちらも二人に、「ありがとう」といい、伴歩させてもらって、ほんとうによかったと思いました。
終わりに
一般の人をまじえて、大きくなった規模の100キロ歩行の大会が無事終了したことの裏には、本当にたくさんの人々の支えがあったからだと思っています。今回サポーターとして初めて参加させていただき、昨年歩いた時とは違った学びがいくつもありました。チャレンジャーであれサポーターであれ、人を成長させてくれる100キロ歩行だと思いました。この大会運営に際して綿密な打ち合わせを何度も重ねてこられた事務局、研究科の皆さまをはじめ、たくさんのかかわった方々に感謝とお礼を申し上げます。
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