2012年 100km Walk

 
◆春名 宏司(岡山政経塾 6期生 サポーター)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月17日
「感謝に敵なし、感動に終わりなし」



はじめに

 午前1時過ぎにリバーサイドを出て、岡山方面に向かった時に見えた光景。
昨年までと比べ、圧倒的な数のチャレンジャー達が何キロにも連なり、歩を進めている姿だった。
このチャレンジャーの数の多さは圧巻だった。
改めて、「今年は市民大会なのだ!」と感動した。

そして、もう少し車を走らせ、旭川沿いの道路で見えた光景。
誘導ポイントとなる交差点に、毛布に包まり寒さを凌ぎながら、たった1人で任務を全うするサポーターの姿が見えた。
その後、数ヶ所のポイントを通り過ぎたが、どこも同じような状況である。
このサポーターの姿に岡山政経塾の結束の強さを見た。
1人1人が一つ一つの歯車となって、今回の100キロ歩行を必ず成功させるという決意が感じられた。

この車窓からの光景を見た時、今回も参加して良かったと思えた。



参加目標

215人のチャレンジャーを迎えての今回の100キロ歩行は、小山事務局長と100キロ歩行研究科に属する数名の塾生の皆さんで準備・段取りをされていた。
本当に、これだけの大きな大会をたった数名で切り盛りされた皆さんには、感謝と尊敬の意を払います。
素晴らしい皆さんが段取りしてくれた流れに沿っていくのが我々の仕事。
その中で私は今回、参加する目標を、「絶対に今回の100キロ歩行を成功させるために貢献すること」、「事故無く、安全に全ての行程を終えること」、そして「チャレンジャーの力になる声援を送ること、特に一般参加している親友が、必ず完歩するために声援を送ること」と決めて臨んだ。



感謝に敵なし

 今回は、サポーターも数名の方が一般参加で参加されていて、その中の方と話す機会があった。
彼は普段はトライアスロンに選手として出場されているアスリートであったが、今回はいつもと逆にサポートする立場で参加したいと考えたそうだ。
選手であるとお世話して貰うことが当たり前になってしまうこともあるが、サポート側の大変さや苦労を体験することで、今までの感謝の気持ちを表したいと言われた。
100キロ歩行の中で、私自身も一番にそれを感じ、誰もが口にしてやまないこと、それは本当に感謝することの意味を知ること。
いつでも、どこでも、誰にでも、本当の意味で感謝の心を持つことの出来る人は無敵である。
100キロ歩行は人生の縮図であるとは、何回も言ってきたことだが、若いうちは元気だし、勢いもあるということで、自分の力で何でもやってきたという錯覚に陥っていた、それが年と共に自分の身の程を知り、実は周りの人の支えで今までやって来れてきたのだと気付く次第であった。
そして、人生を歩いているのでは無く、歩かせて貰っているのだと気付いていくのだ。
まだ距離の浅い時間帯の声援は、照れくささや別にありがたくないものかもしれないが、本当に辛くなった時、本当に声援が必要になった時に、その一言に何倍もの力を持たせるために声を掛け続けてくれていたのだ。




絶対に真似出来ないサポート隊

それにしても、今回のサポーターの力は凄かった。
全国に100キロ歩行の大会は何ヶ所もあると聞く。
他の100キロ歩行は体験したことがないのであくまで思い込みだが、政経塾のサポート隊は他では絶対に真似が出来ないものだと思う。
みんなが100キロ歩行経験者であり、同じ苦しみを味わった同じ経験の持ち主であること。
今回はそれにプラスして組織力・結束力の強さが目立った。
誰がたった一人で暗闇の中を待ち続けていられるだろか。全てはチャレンジャーの為に、100キロ歩行を成功させるために、思いは一つだった。
そして、期生が早まるに連れ、100キロ歩行を知り尽くしたベテランサポーターが増え、1人1人の判断能力が非常に高い。
一つ言えば十伝わる、次の流れを予想して動ける、そんな人が多く存在し、たとえ役目は一つ一つの歯車だとしても、その一つ一つの歯車が頭脳を持った考える歯車であることが他では真似が出来ない要因だと思う。



感動に終わりなし

最期に担当した誘導ポイントが予想よりも早く撤収となり後楽園に帰ってくることが出来た。
時間は最期の1時間を迎える午前9時前、クライマックスのゴールシーンを思い存分に堪能出来る時間帯だ。
そこで、思いがけない偶然の出来事があった。今回のチャレンジャーの中で唯一、個人的に声援やメールなどでサポートしていた親友のゴールシーンに立ち会えたのだ。
これもまさに偶然ではあるが、彼のタイムと私が5年前に完歩した時のタイムがほぼ同じだったのだ。
49キロ地点が7分違い、ゴールのタイムが6分違いであった。
彼と私は同じようなペースで前半を過ごし、同じようなペースで後半失速し、同じようなところで、もがき苦しんだ末に100キロを完歩したのだ。
今回の”栄光の懸け橋”となった鶴見橋から一緒に歩かせて貰った時、本当に他人事では無いとはこういうことかと思うくらい嬉しかった。感動した。
他のチャレンジャーにも言えることだが、ゴールシーンだけを見ても、一緒に泣けるくらい感動できる。
それは、私も同じように暗闇の中を一人で歩き、同じように泣きながらゴールしたことのある人間なのだから。
この100キロ歩行の感動は100キロ歩行にチャレンジャーがいる限り、終わりなく続いていくのだと思う。



最期に

100キロ歩行を経験して人は何倍にも成長できる。
そしてサポーターを経験するとまた違った角度から成長できる。
今までは、岡山政経塾に入塾した人だけが味わえる特権だった。
それが、今回から一般参加という形で裾野が広がった。
100キロ歩行を経験したから、本当の意味で感謝の心を知ることが出来た、魂から湧き上がる感動を味わうことが出来た。
「100キロ歩行を経験したから、私の人生は変わった!」
そんな人がたくさん溢れる岡山の未来を想像すると、とてもワクワクする。