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          | 2012年 100km Walk |   
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          | ◆吉富 学(岡山政経塾 7期生 サポーター) 
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          | 晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月18日
 「100キロ歩行レポート 」
 
 
 
 100キロ歩行とは
 
 物事について話をするときは、まず定義をしろ」という事務局長の教えをいま一度思い出し、100キロ歩行について、現状での考えを最初に述べてみたい。
 100キロ歩行とは、限られた時間の中で身体と精神を極限まで追い詰めることで、人間としての成長を爆発的に促すトレーニングである、と私は考えている。
 100キロ歩行は、完歩すること自体は目的ではない。もちろん、完歩することは素晴らしいことである。しかし、100キロ歩くこと自体は手段である。本質はプロセスに宿っている。100キロという途方もない距離を進む中で、チャレンジャーは普段身に纏っている様々な鎧(見栄やプライド等)を捨てる(私はそうだった)。そして、人間としての原点に立ち返り、素の自分との対話を通して、大きな成長のチャンスを得る。
 
 
 
 人間とは
 
 人間とは、読んで字のごとく、「人の間」に存在する生き物である。人間とは、一人ではただの「人」である。人は、人との関わりの中で生活していく中で、「人間」となる。チャレンジャーは、道中様々なことに遭遇する。チャレンジャーは時に笑い、時に泣き、時に怒る。そ
  して、自分は一人で生きているのではなく、他人に支えられて生きていることを悟る(人が多いと私は信じている)。上に述べた、「人間としての原点」とは、まさにここ、人に支えられて生きていくところにあると私は確信している。 100キロを夜通し歩くなんて、冷静に考えれば明らかに、何かがおかしい。そもそも現代人の体はそのような状況向けに設計されてはいないはずである。しかし、日常に身を置いてばかりでは見えないこともある。たまにはわざと道を踏み外し、非日常に足を踏み入れることも必要である。心身を極限状態に置くことで、普段は特段意識することもない、何気ない挨拶や会話は素晴らしいものなのだと気付く。人の繋がりの温かさ、尊さをこれでもかというほど感じさせられる。その意味で、チャレンジャーとサポーターは両輪である。
 人と人との繋がりが、猛烈なスピードで希薄化する現代日本において、100キロ歩行は、人間が人間らしさを取り戻すトレーニングとも言える。
 
 
 
 結び
 
 200人以上になって規模は大きくなったが、100キロ歩行のいいところは、対戦相手が
 い自分ということである。サポート体制も素晴らしく、チャレンジャーは、過酷ながらも有意義な挑戦をすることができたのではないか。
 100キロ歩行、万歳。
 
 
 晴れの日の富士を見ながら
 吉富がく
 
 
 
 
 
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