2012年 100km Walk
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◆小野 裕司(岡山政経塾 11期生・ゼッケン:78)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2012年5月7日
「岡山政経塾 100km歩行レポート」
‐目的‐
・24時間で100kmを歩くことの意味を導き出すこと。
・10期生の佐藤修一さんが一年前に歩いた道を、自分の身体で体験すること。
‐準備‐
(1)「心」の準備
・結果で示すこと。(=24時間以内に100kmを完歩すること。)
・100km完歩した自分を繰り返しイメージすること。
(2)「身体」の準備
・2011年11月から約6ヵ月間、スポーツクラブで週2日約1時間半の練習
・2012年3月から約2ヵ月間、週1〜2回練習会で7km/1hを歩く練習
・2012年4月から約1ヵ月間、毎日1万歩を歩く練習
(3)「物」の準備
・ランニングシューズ(アシックス)
・インナー(CW−X)
・テーピング 他
‐足跡‐
0‐30km
今年もチャレンジャーとして参加された佐藤さんと共に歩いた。
サポーターの声援には感謝の気持ちを込めて元気よく応えた。
熱中症にならないように、水をこまめに購入して身体にかけた。
30‐50km
足に少し疲労を感じ始めたが、歩くことに違和感はなかった。
坂を下るときはスピードを落とし、足に負担をかけないように心掛けた。
そのことで、途中一人で歩くことになったが、サポーターの方々が車や道路沿いですれ違うたびに声をかけてくれたので、前向きな気持ちで歩くことができた。
コンビニがないことは事前に把握していたが、準備不足でエネルギー切れになりかけた。
50‐70km
伊里漁協で家族と親族が応援に駆けつけてくれ、再び歩き出す為の力をもらった。
疲労感はあるが、痛みはなく順調に歩くことができた。
途中、同じチャレンジャーに声をかけ、お互い励まし合いながら歩いた。
サポーターの方々の声援にもまだまだ元気に応えることができた。
70‐80km
疲労がとても溜まっていたが、100km完歩の気持ちは途切れていなかった。
私の地元である瀬戸町では、友達が応援に駆け付けてくれた。
またTwitterで100km歩行のラジオ放送をしながら歩いた。
80‐90km
山陽町で急にペースダウン。理由は自分でもハッキリわかっていた。筋肉量が足りないためのエネルギー不足。それと同時に訪れる足の痛み。ここからが私の本当のスタートだった。
一歩ずつ前に進むたびに激痛が走った。
その中で多くのサポーターの声援、またTwitterでの応援が、私の支えになった。
90‐100km
手に何かを持つことも苦痛なほど疲れ果てていた。Twitterの更新も止めた。
中江さんがコースを案内してくれた時に掛けてくれた言葉すら、ハッキリと覚えていない。
ただ、肩を抱いて親身になって声を掛けてくれたことだけは覚えている。
そして私はゴールを迎えた。
100kmゴール後
私は地面に帽子を叩きつけた。
サポーターの方々の祝福の言葉など耳に入らないくらい、自分の無力さに怒りを覚えた。
声援に応えられなかった悔しさ、100km歩行への準備不足、私が期待していた私の姿ではなかった。
‐結果‐
・24時間で100kmを歩くということを通して、私一人では生きていけないことを強く実感した。私が限界を超えて完歩することができたのは、間違いなく挑戦を支えてくれたサポーターの方々のおかげだった。
歩く意味は、日ごろから私を支えてくれている多くの人への“感謝”を再認識することである。
・佐藤さんが1年前に体験した100km歩行を自分の身体で体験することができた。上記を繰り返すことになるが、支えなくして人は生きることができないと感じた。
‐最後に‐
私を支えてくれた方々への感謝のメールの作成中や、シャワーを浴びながら思い返しているとき、このレポートを書いている途中、何度も涙腺が緩んだ。挑戦が終わり、その経験を思い返したとき、本当に多くの人に支えられていることを実感した。
来年は、今年の悔しさをバネにもう一度100km歩行に挑戦するか、今度はサポーターとしてチャレンジャーをサポートするか迷っている。
今後はこの経験とこの想いを一生忘れることなく生きていきます。
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