2012年 100km Walk

 
◆左子 敏憲(岡山政経塾 11期生・ゼッケン:79)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月15日
「とにかく歩け、歩けば、わかる」



はじめに

 過去、仕事・勉強・スポーツにおいて、自分の限界に戦いを挑んだことがない私が、24時間で完歩するという奇跡を通じ、その原動力となった信頼・愛・感謝を、あますところなく書きました。
 完歩できた自分は、過去とは全く違い、人生と100k歩行を重ね合わせ、何事にも前向きになれています。

 『覚悟があれば、何でもできるという気持ちが、今も湧いてやみません。』



本論

 100K歩行のすべては、ゴール手前の橋のうえに凝縮されていた。
サポーター・一般の方の声援と拍手が、心を包んでいた殻を砕いた。丸裸にされた心が人の優しさに触れる度に、涙が溢れだした。えづきながら、取り乱しての号泣である。
 私は「ありがとう、ありがとう、ありがとう。」と連呼していた。

 『本当に素直になれた自分がそこにいた。』

 ゴールの瞬間、人差し指を天に突き上げた。途中、憎んでいた神に感謝した。
 私の場合、ゴールまでの50kが生き地獄であった。その原因は、両足にできたマメである。指先、付け根、足裏の半分が白くなり、皮膚が動いている状態である。早く処置しなかった私が悪いのだが、本番で残り50kもあるのにそれは無いだろうと神を憎んだ。
 参加の覚悟を決めてから、練習会にはほとんど参加した。準備してきて、この有様。
 情けない、悔しい。仲間の前で、弱音は吐けなかった。

 『神の悪戯か、与えられた試練なのか?とんでもない運命との戦いがはじまった。』

 全くの想定外であった。70kまでは歯を食いしばって根性で行けたが、そこから先は、たった1cmの段差が障害になり、苦痛・激痛が走る。
 「もう歩けない・・・」
 根性も気力も無くなったとき、“諦め”とういう文字が頭をよぎる。
 私を追い抜いていく、同じチャレンジャーが声を掛けてくれた。
 「がんばりましょう! 完歩しましょうね!」
 何人も何人も追い抜いて行くひとが、みんな声を掛けてくれた。
 「その調子、時間はあるから大丈夫!」
 サポーターの方が、車で声を掛けてくれる。

 『励ましの言葉が、“諦め”を排除してくれた。』

 頭の中で、共に練習をしてきた仲間、先輩、家族の顔が浮かぶ。
 みんなの期待を裏切るわけにはいかない。
 塾生にとって、100k歩行にはもう1つ大きな意味があった。それは岡山政経塾の伝統である

 『11期生全員24時間以内完歩!』

 私を最後まで、突き動かしていたのは、11期生全員完歩。これだけだった。
 意識が薄れていく中、ガードレールを手摺がわりにして歩き続けた。
 信号が青に変わっても渡り切れない。横断歩道の真ん中でもう一度、青に変わるのを待つ。
 苦痛・激痛・そして睡魔までが、襲いかかってくる。もうボロボロだ。
 ゴールまであと数キロ、橋まで何も覚えていない。




結論
 

 理屈なんていらない。とにかく歩け、歩けば、わかる。答えは人それぞれ違う。
 私が感じた答えはこうだ。

 『小さな1歩1歩の積み重ねが、とてつもない結果を生み出す。』

 それを、身をもって体感する。途中、支えてくれるひととの触れ合いによって前に進めるのです。ひとりでは、決して歩けなかっただろう。
 完歩を体験することで、人への信頼・愛・感謝をこころに刻みこむことができ、同時に
自信がつきました。
 目標のある人生(100k歩行)と目標の無い人生(どこまで歩くか決まってない)
どちらを選ぶか?100k歩行はそのヒントを教えてくれます。

 『100k完歩したひとは、今後、自信に満ち溢れた人生を送るであろう。』



最後に

今回の運営・サポートを献身的にしてくださった皆様にこの場をお借りし、感謝の意を表します。一般参加で人数が増えましたが、何よりも“無事”であったことが、素晴らしいです。岡山政経塾の結束力のおかげであり、24時間寝ずに共に闘ってくれていたことを決して忘れません。

 『100歩行は、岡山政経塾“最高のチームプレー”でした。』

 きっと、津田永忠も微笑んでいるはずだ。(途中憎んで、ごめんなさい。)
 来年も後楽園で、あたらしい仲間と共に歩いていきます。本当にありがとうございました。