2012年 100km Walk
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◆内村 理佳(一般参加・ゼッケン:93)
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晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート 2012年5月7日
「色々なドラマがあった100kmを終えて 」
「色々なドラマがあって100km歩行楽しかった。」そう思えるのは、100km歩行から数日経っているからだと思います。
練習会には7回くらいしか参加できなかったけど、他に自分のできる範囲で練習をして職場には階段を使って出勤してきました。本番の目標は行けるところまでは時速6kmのペースで歩き、あまり休憩しないで前に進むというざっくりしたものでした。
練習では10km以上続けて歩くことがなかったので、どれほどの疲労が来るのかわからず、時速6〜6.5kmのペースで伊里漁港まで歩きました。30kmくらいから少しずつ足が疲れていましたが、周りにいた男の人たちもそう話していたので自分だけじゃないならまだまだ頑張れるという思いで歩きました。
おいしい水餃子を頂いて伊里漁協は18時に出発。何としてでも閑谷学校のトンネルを夜中に一人で通ることは避けたいと歩く前から思っていました。閑谷学校に到着するまでの坂を何度か登っていく間に少しずつ暗くなり、ライトはつけていましたが、トンネル辺りを歩くときは5人ほど一緒で同じ職場の先輩二人も一緒でとても心強かったです。リバーサイドまでは必ず誰かが周りにいて、話したり冗談を言ったりすることでしんどいながらも頑張れました。
リバーサイドを出発したのは21時15分。「右側を歩きながら左に折れてください」と言われたようですが、最初の方しか聞いておらずそのまま左に折れることなく右側を歩きました。間違えているとは思いもしませんでした。40分ほど歩き、下見でも見たことのない景色。前を歩いていた同じ職場の先輩が電話をし、ようやく道を間違えていることを認識しました。車で迎えに来てもらい、方向音痴な自分に自己嫌悪し泣きながらリバーサイドへ戻りました。迎えに来てくださったスタッフの方、横で泣いてごめんなさい。ちょうど1時間ロスし22時15分リバーサイドを再出発。スタッフの方にたくさん励ましてもらい、「ここからだよ、後楽園で待っています。」の言葉で気持ちを切り替えることができました。
ここから残り5kmまではほぼ一人。自分との対話を繰り返し、「温かい職場で緩く仕事をしているからそんなことになるんだよ。道を間違えるなんてお前の人生と一緒だろ。・・・。だけど、根性で乗り切ってきたことはたくさんあった。バスケの試合でもそうだし、書道で何百枚と書いて作品を作ったことも。間違えたことは取り返しがつかないけど、それをプラスに出来る力をお前なら持っているだろ。」そんなことを思いながら歩きました。80kmまでは時速6kmで歩きましたが、なかなか誘導の方に会わないのでまた道を間違えているのではないかという不安や足の痛みでペースも落ちていきました。そんなときに救護班のスタッフの同じ職場の先生に会うことができ、励まされることで本当に歩く力になりうれしかったです。90kmを過ぎ、足の痛みを超える腹痛に襲われ、泣きながら呻きながらフラフラ歩いていたら車で通ったスタッフが気づいて下さり、トイレまで運んで下さいました。本当にすみませんでした。

最後は足が動かず眠気もありましたが、練習会でも一緒に歩き、前半も話しながら歩いていた男の人が横で歩いて下さったお陰で4時37分ゴールまでたどり着くことが出来ました。同じく道を間違えた先輩も、追いついて来て一緒にゴール出来ました。
ゴールしたときはうれしいというよりやっと終わったという感じでした。その後、嘔気・嘔吐・下痢に襲われ、バスで休もうとしたものの立ち上がれず救護班の先生たちをフルに使い、家で点滴をすることとなりました。そのお陰でその日の午後には復活しました。
先生方迷惑かけてすみませんでした。本当にありがとうございました。
閉会式に出てみんなと写真を撮ることも出来ず、いろいろと迷惑をかけてしまったスタッフにもお礼を言えず残念でした。本当に本当にありがとうございました。
声をかけて下さったり、おいしいものを提供していただいたり、道を誘導してもらうことがなければ100km完歩は出来なかったと思います。素敵な思い出になりました。いろんな人に感謝です。
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