2012年 100km Walk

 
◆坂本 裕貴(一般参加・ゼッケン:94)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2012年5月8日
「限界の先に得たもの」



 僕は今回の100キロ歩行に、何かを変えるためとかではなく、限界を超えた先に自分が何を感じるのかというのを知るために参加しました。
 そのためには何としても完歩しないといけないので、練習会に行けるときには参加し、過去に歩いた方のレポートを見たりしながら、自分なりに心・体・物の準備は進めてきました。ただ、いざ本番を迎えるとすごい緊張している自分がいました。
 それでも練習会や説明会で知り合った方や、6、7年振りに会った元希(保育園の同級生)と話したりして、だいぶリラックスしてスタートできました。そこからは元希と一緒に歩きました。

 最初の10キロは軽い足取りで行けましたが、20キロを迎えるぐらいから早くも足が痛くなってきました。そこで、やっぱり思い通りにはいかないなと改めて感じました。
 なんとか40キロ地点の備前体育館まで一緒に行けましたが、お互い自分のペースで行ったほうがいい結果を迎えられると思い、別々に歩くことにしました。僕はそこで少し長めに休憩をとり、元希には先に行ってもらいました。



 49キロ地点の伊里漁協に着くと本当に辛そうな人がたくさんいて、暗くなったしこれからが100キロ歩行の辛いとこだなという感じでした。そこで元希と再会し、「一緒に行こう。一人じゃやばい。」と言われて、そこで何かピンときて目標ができました。

 それはどんな形であれ二人でゴールすることです。それを自分の中に誓って歩き始めました。このとき元希はかなり足が痛そうでした。それでも結構速いペースで閑谷学校まで行くことができました。
 この時は足は痛かったけど、心にはまだ余裕がありました。ただ、ここから68キロ地点のリバーサイドまでが地獄でした。10キロ毎のチェックポイントを目標に進んでいたのですが、自分たちの疲れによるペースの低下と、暗闇の中での進んだ距離が分からないことで、実際はあまり進んでいないのに進んだ気になって、かなりメンタルと体力をを消耗しました。やっとの思いでリバーサイドに着くと、靴紐の先っぽを踏んでいて紐がぐしゃぐしゃになっていました。

 このころになると、足もとてつもなく痛くなっていました。ここではサポーターの方々に味噌汁をもらったり、ストレッチをしてもらったり励ましてもらったり、他のチャレンジャーの方と励ましあったりで気持ちをリセットできました。
 元希は寝転がっていたので、先にでてちょこちょこ止まったりしていたらすぐ追いついてきました。そこからはまた一緒に歩きました。途中アクエリアスを自販機で買って進もうとしたら、足が全然動かなくなりました。
 動くと膝の裏に激痛が走り、元希との距離は開いていきます。どうしようもなくなり途中の誘導ポイントのコンビニで、何とかならないかとおにぎりを食べました。そこにいたサポーターの方に、時速4キロのペースで休みなく行ってギリギリ間に合うと言われました。

 残り20キロぐらいをこの体力でこのペース。しかもこの先は噂に聞くキリンビールの看板だらけの道。体力はここが限界でした。ただ、少しワクワクする自分も心の底にいました。それはこれまでの18年の人生で、超えることの難しい大きな壁に立ち向かう時こそ、本当の意味で自分が成長できることになんとなく気付かされていたからだと思います。そこでサポーターの方と話をして、おにぎりも食べたしなんとなく行けるような気がして、半ばやけくそで79キロ地点の低温倉庫までは小走りで行きました。

 そこではマッサージをしてもらいました。もう触れられるだけで激痛が走る状態でした。そして練習会でもお世話になった高田さんとも話をしました。そしてなんと、止まったら動けなくなるのにも関わらず、元希が待ってくれていました。
 そこから5キロぐらいは、時速4.5キロのペースで歩くことができました。これは行けるぞ!と思い、気が付くと「元希がおらんかったら俺ここまで来れんかったわ。」と思って泣いていました。なんとか悟られまいと、少し先を歩いていました。



 90キロ手前になり、少し登り坂になって進まなくなると、能登さんが一緒に歩いてくれました。その時はサポートしてくれたたくさんの人たちの温かさを思い出して涙が止まりませんでした。やっとのことで90キロ地点に着くとお茶とゼリーをもらい出発しました。
 もう体はボロボロです。素足で歩いてるような感覚でした。遠くにはクレドとかがある街中が見えます。ついにここまで来たと思うと、歩きながらずっと涙が止まりませんでした。その時も悟られまいとなんとか少し先を歩きました。

 けれど、法界院の辺りまで行く歩道では心にも限界が来ました。暴言を吐きまくって、足の痛さも更に増しました。それでもなんとか元希に着いていきました。後ろには練習会でお世話になった中川さんがいて、少し気が楽になりました。
 残り5キロぐらいからは時間が間に合うか微妙みたいな雰囲気でした。もう意識すら朦朧としていました。それでも、どんなにギリギリでも時間内に元希とゴールするという信念だけは折れていなかったので、なんとか足を前に出してペースを上げました。
 途中能登さんの後輩のじゅんぺいさんに水をもらいながら無心で歩いていました。信号待ちになるとそのまま倒れそうでした。ようやくクレドまでたどり着き、時間を見ると9時40分ぐらいでした。



そして後楽園に続く橋で能登さんが、「よー二人でここまで来たな」と言ってくれました。もう泣く余裕すらなかったです。そして9時50分、元希と二人でゴールテープを切りました。
 もうゴールした人たちやサポーターの人たちが「おかえり」と迎えてくれて、家族もそこにいたりして、ゴールした瞬間はやっぱり号泣してました。人生で一番清々しかったです。

 僕はこの100キロ歩行を通して一番に仲間の存在に感動しました。自分もつらいのに励ましてくれたり、途中一緒に歩いてくれたりしたチャレンジャーの方々、本当に温かくサポートしてくれたサポーターの方々、いろんなところに来てくれていた非公式のサポーターの方々、道に迷わないように立ちっぱなしで誘導してくれた政経塾の方々、時間内にゴールさせてくれた能登さんやじゅんぺいさん、そして最後まで一緒に歩いた元希。他にもたくさんの人のおかげでなんとか時間内に完歩できました。
 周りの人に生かされて自分が活きるということを肌で感じさせてもらいました。本当にいい経験をさせていただきました。ありがとうございました!