2006年 直島特別例会
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◆布野 浩子(岡山政経塾 三期生)
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直島合宿レポート
「瀬戸内市行革シンポジュームを主催して」
岡山政経塾に入塾させていただき,私はこれまでに多くの気づき,多くの仲間を得,実行する勇気をいただきました。また,自分自身の地域に対する責任と願いもあらためて認識することもできました。そして今回,瀬戸内市が合併して2年目にあたる年に何かアクションをおこしたいと思い,まちづくり行革シンポジュームを瀬戸内市で開催することにしました。
三重県に総務部長として出向され,情報公開から事件が起こり,本腰を入れて三重県の行革を行われた村尾先生の経験からくる「あつい言葉,思い」を,瀬戸内市の市民と行政に携わっている市役所職員全ての人に聞いてほしいと思い,村尾先生に瀬戸内市まで来ていただきました。
福武幹事にも応援していただき,9月2日のシンポジュームは,内容としてはとても満足のいくものでした。このようなシンポジュームに興味の無かった友人たちが,「村尾先生の話に引き込まれた」「こんな有名な人たちの話が瀬戸内市で聞くことができてうれしかった」「福武さんのまちづくりの話は具体的でおもしろかった」等,いろいろ感想を教えてくれました。アンケートでも,主催者側がうれしくなるような感想を多くいただきました。
本来なら,さあ,またこれから仲間と一緒に進みましょう!!と行くところなのですが,今回はそうではありませんでした。多くの反省と,失望が私の心を支配し,前に進めないでいます。
機会があれば村尾先生,福武幹事の思いを伝えるシンポジュームをしたいと思っていました。それは,一流の方の「話,思い」は経験からくる強い言葉で語られ,その言葉は私たちの心にドンっと届き,その心のエネルギーが世の中を変えていくのだと思うからです。それを3月頃から具体的に形にしていきました。 「住みたい瀬戸内市を創る市民ネットワーク(SSネット)」の仲間達と会議を行い,市役所と協働しようという話になり,今回は市役所の企画部と一緒にシンポジュームを企画していきました。村尾先生が真剣に行革に取り組まれているとき,枕元に木刀をおいて寝ていたというお話を以前されていましたが,「変えていく」ということは本当に大変な事だと思います。でも,住民が自分たちの自治体に興味を持てば、賢くなれば、そんな思いをしなくてもきちんと行革を進められる,もっといいまちづくりができるはずと信じ、準備を進めていきました。
7月の直島例会では,男前小山さんをはじめ,福武幹事にもたくさん助言をいただき,このシンポジュームをどういう方向にもっていくか,私なりに考えていきましたが,組織の中でも考え方や感じ方の相違がもちろんあり(組織だから当たり前のことですが),いろいろお互い妥協しながら,またシンポジュームにかける時間と情熱を見つけながらの準備でした。
その時福武幹事から宿題を出され,まだ提出できていない物に,「ヨットの町として知られている所の財政がどうなっているか調べたらおもしろい」というのがあります。瀬戸内市には牛窓という観光名所があり,そこを世界一のヨットハーバーにするというミッションが福武幹事から出されていますが,ヨットがその町にどれくらい潤いを与えているか,調べてみるのはおもしろいと思います。ただ,データが英語だったり,イタリア語だったりすると読めません。まいったなあ・・・という段階で止まったままです。どなたか一緒に調べてください。(ここはチーム瀬戸内の出番でしょうか。)
今回のシンポジュームは,住民が賢くなるためのものではありますが,行政に携わる方達の意識を変えたいという気持ちもありました。行革を主導していくには行政のみなさんです。村尾先生が一生懸命されてきたことは,納税者に対する説明責任をとるということです。そこから新しい地方自治が始まると、私もそう思います。これからの地方自治を担う行政の方に,是非聞いていただきたかったので,市長さんや助役さんに,このシンポジュームを職員研修にしてほしいとお願いをし,了解を得ました。ちょうど夕張市が財政再建団体となり,自治体の危機感もあるはずと思っていました。
シンポジュームを進めていく上で,一番の問題はどうやって周知させていくかということです。今回は行政,各新聞社の後援をいただいていたので,広報誌,各新聞に記事を書いていただきました。チラシも配っていきました。また,2期生の山田さんが持たれているラジオ番組にも出させていただきました。それでも,なかなか周知は難しく,最後にできることは,やはり!逢沢幹事の街宣車で,瀬戸内市を回っていくことでした。今回も気持ちよく車を貸していただき,また、逢沢幹事から激励もいただき、最後の一週間メンバーと回りました。
直島例会で福武幹事から,「このシンポジュームには,誰でもよぶのではなく,地域のリーダーになるような人に声をかけ,集めるように」とアドバイスをいただいていました。しかし、誰が地域のリーダーなのかわかりません。とりあえず、議員さんと、行政の人、友人、組織がしっかりあるわけではないので動員をかけるなんてことはできず、あとは、このシンポジュームに興味を持って来てくださる人。何人の人が集まってくださるのだろうと不安でした。また,せっかく村尾先生や福武幹事をお呼びしているのに,失敗はできないというプレッシャーで眠れない夜もありました。わたしが抱く自治体への危機感と他の人のそれの温度差を感じて,しんどく思うこともありましたし,胃が痛くなることも・・・何でこんな事始めちゃったかなあと後悔したこともありましたが,しかし,村尾先生のお話が聞きたい!いいまちづくりがしたい!!という気持ちをそのたびに思い起こし,当日にこぎつけました。
当日は3期生の武久さんと岡山空港へお出迎えに行き,ドキドキしながら村尾先生を待ちました。前回市長選の公開討論会の時,皆様にカンパしていただいたお金の残りが,今回の村尾先生の講演料となっていました。お忙しい上に,ハードスケジュールからくる腰痛を患われていた村尾先生がエコノミーで来られた姿を見て,本当に申し訳なく思いました。「お金がもっとあったら」と悔やまれましたが,村尾先生はとても爽やかで,私たちは車の中で打ち合わせをしました。
会場に着くと,準備でみんなはバタバタしていました。駐車場係をお願いしていた人が急病で倒れ,その関係か青年会議所(JC)の人も全く現れず,予想外の展開でした。前回の公開討論会では,JCの方たちと一緒でした。今回は,市役所の方と一緒だし,わざわざ忙しいのに会議に来てもらうのも悪いしと思い,声をかけたのは,シンポジュームのちらしができあがってからでした。一緒に物事をつくっていく過程で,お互い仲良くなれ,当事者意識もできます。今回それをしなかったので,案内をしても反応は悪く,協力もしてもらえず,失敗したと思いました。大変でも,悪いなと思っても巻き込んで行かなくては仲間はできないことを再認識しました。この時は本当に岡山政経塾のメンバーに助けていただきました。5期生の方たちが早めに来てくれていたので,いろいろ奔走していただき本当に助かりました。同じ志を持つ仲間だと信じられる人が側にいてくれ,さっと動いてくれるありがたさを深く感じました。
山陽新聞の記事に,村尾先生の基調講演の内容が詳しく載っていました。大きく紙面をさいて行革シンポジュームのことを書いてくださいました。瀬戸内市の広報にも大きくのりました。シンポジュームの内容は申し分ないものでした。来てくださった方はきっと満足されたことだと思います。
私は今まで期待感がありました。もっとよい世の中をつくっていけるはずだと。住民がレベルアップすれば,みんな少しの力を発揮するだけで素敵な世の中をつくれるはずだと。その期待感があるから,がんばってこられたように思います。今回,市長さんや助役さんに,市職員の研修として位置づけていただきました。しかし600人からいる職員がどれだけ集まったかというと,30〜40人くらいでした。行政改革の話を一番聞いてほしかった,そして村尾先生のお話で勇気と知恵を共有してもらいたかった方たちの意識は,まだまだ昔と変わらないままでした。
また,シンポジュームに参加してくれた方の多くは,60歳以上の方でした。若い人たちは,この瀬戸内市をどうしたいのだろう?自分たちが住むこの自治体をどうしたいのだろう?どんなかたちで,次の世代に渡すのだろう?そんなことは,考えないのかなあ?
私が思い描く世の中はまだまだ遠いなあと今回しみじみ感じ,気持ちがふさがりました。アンケートでも,若い人をどう取り込んでいくか課題ですねということを書かれていましたが,本当にどうすればいいのか,見当もつきません。いろいろ活動をしている人や団体とつながっていくことが大切だと思いますが,それも現実問題どうすればいいのでしょうか・・・
あれから、3ヶ月経ちました。「ハチドリのひとしずく」の話で号泣し、小山さんに話を聞いてもらい、シンポジュームとは全く関係ない普通の生活に追われ、毎日が慌ただしく過ぎていきます。その間にだんだんと元気になってきました。何をやっても変わらないかもというあきらめが、あの時の私の心にありましたが、でも確かに変わっていっています。
@ シンポジュームのあと、SSネット主催の瀬戸内市の財政の勉強会には、26名の方が集まってくれました(地味な内容なのに!)。
A シンポジュームのあと行われた9月議会では、議員さんの発言も少しいつもと違っていたという話を聞きました。
B SSネット代表という肩書きで、下水道の委員になれました。(NPO資格もない、ただの任意団体でしかないSSネットでは、今回のシンポジュームは瀬戸内市との共催という形はとれないと行政から言われ、市民との協働っていったい何なのだ?と憤った経緯があるので、私にとっては驚きでした。)
C 山陽新聞主催の地域いきいき応援シンポが備前市でありましたが、あんなに大きなイベントにも100人位しか集まってなかったと聞き、300人位集まったこのシンポジュームは、みなさんの関心があったおかげだったのだと改めて感謝しました。
D 岡大の生物学者の白井浩子先生の話を聴く機会がありました。環境問題を熱く語られ、「今の地球や日本を経済で語るのではなく、生物学的に語れば、自ずとしなければならないことがわかってくる」と訴えられました。オゾンホールの破壊が意味することが少しわかり、おもしろい内容でした。そして「心ある生物学者が今声をあげないと地球は大変なことになる」と言われました。この女性も危機感を持って戦っている仲間だと思いました。「ハチドリのひとしずく」です。
E SSネットのメンバーに、5期生の本村さん、安木さんが入ってくれ、行政の方も来てくれて、月1回の勉強会ができています!!
F 若手ピアニストの演奏会に行ったとき、聴きに来ている構成年齢が、シンポジュームと同じ構成で驚きました。若い人をどう取り込んでいけばいいのかわからなくて悩みましたが、もしかしたらこの構成年齢のまま動いていいのかもと思うようになりました。
G このシンポジュームをした日に、我が家にエリックというアメリカからの留学生がやってきました。忙しい毎日の上に慌ただしさも加わった感じでしたが、スムーズによい関係が築けてホストママの役目を果たせたと思います。ところが、ホストチェンジするとき、次のホストファミリーとトラブルが起こりました。大人の判断をすれば、エリックに負担や我慢を強いることになるけど、私自身の問題にはならないとわかっていましたが、それはできませんでした。あきらめるとか、目をつぶるとか、知らん顔するとか私はそれができないんだと自分自身のことに気付きました。お節介であきらめが悪いのです。
劇的な変化はありませんが,でも全く今まで通りではないということが,私に勇気を与えてくれました。
今回,村尾先生と往復の車の中でいろいろと話をさせていただきました。その中で印象的だったのは,議会の活発な活動というお話でした。「最近の行政と住民の協働の中に議会が入っていないが,やっぱり議会がもっとリーダーシップをとらなくてはこれからはだめだろう。活発な議会があるところの地域は変わっていく。」「今日の講演は議員の人を意識して話もした。」とも言われていました。(・・・議員かあ・・・そうかあ・・・)議員さんを選ぶのは住民です。住民はもっと自分の自治に関心を持たないといけないし,選挙がどれだけ大切なのかを知らなくてはいけないです。これからも住民のレベルアップのためできることをまたして行きたいと思います。
私はシンポジュームの最後にあいさつをさせていただきました。村尾先生が瀬戸内市に来てくださった理由を話し,そして会場のみなさんの前で,村尾先生にSSネットの顧問になっていただきました。福武幹事もチーム瀬戸内のメンバーです。こんなに恵まれた環境で瀬戸内市のことが考えられるのは幸せなことだと思います。
引き続き瀬戸内市の財政についてSSネットで勉強会をしています。驚くほどの実態に暗い気分になりますが、できることからがんばっていこうと思います。
卒塾論文を書いているとき、3期生の武久さんから「布野さん、もっとアカデミックに書いて!!」とよく言われましたが、やっぱり難しいです。長い文章を読んでくださってありがとうございました。
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