2024年11月 100キロ歩行
『 100キロ歩行レポート 』
2024.11.03
布野 華子
(岡山政経塾 22期生)
1、はじめに
令和6年(2024年)11月2日(土)に、24時間かけて100キロを歩く、100キロ歩行例会に参加した。
岡山政経塾カリキュラムとして100キロ歩行例会が含まれていることを知った上で入塾を決めていた。それは100キロを歩きたいという前向きな気持ちではなく、いつか襲い掛かる困難のうちの一つであると思っていたからだ。
GWの100キロ歩行イベントのサポートに参加する度、私自身が歩く可能性はないだろうと内心思っていたが、しかし入塾するということは‘’歩く‘’ということ。誤解を恐れず言うのであれば、こうした理不尽なことがわが身に降りかかることも経験しないといけないのかなとなんとなく腹は括っていた。
2、準備について
100キロ歩行例会前に行われた通常例会で、能登先生に「心/体/物の準備」が大事であると教えていただいたが、私が本番前に準備した内容は以下の通りである。
歩く練習を「する・したい派」と「しない・不要派」の二派があるが、私は自分がどれだけ歩けるか確認するため練習をした。最初はただ歩くだけ。自分が何時間で何キロを歩いているかを確認する。その後、何時間で何キロ歩けるか、時速を決めて歩く練習をした。その次に、距離を伸ばした。具体的には、最初は5キロを1時間で歩く練習をした。音楽を聴きながら歩くとスピードが遅くならないのではないかと想定し、足の運び方やテンポ感に合った音楽を選曲した。その後10キロ歩く練習をした。本来は時速6キロ以上で歩くと、100キロ歩行の後半戦がぐっと楽になるのだろうが、そのテンポ感に体を慣らすにはもう少し時間が必要だった。
本番当日の天気は午前中が雨の予定だったので雨具も必要になった。特に靴が雨で浸水することを避けるため、同期生の間で機能の良さそうなシューズカバーを共有した。ただ、一番元気があるときに、雨で体力を奪われるのはどのみち避けられないのだろうなとも思っていた。
また荷物も最小限に抑えないといけない。その上で、必要なものは必ず手元に置いておかなければならない。暗闇の中歩くため、ヘッドライトや手持ちライト、鞄に取り付けるライトの準備。夜間は寒いので上着が余分に必要だったり、カイロを忍ばせたりしていた。足の裏に水膨れができると体験者から散々脅されていたので絆創膏やテーピングも用意した。あとは自身の歩くために燃料となるもの。道中のコンビニで物を買う機会はあるが、疲れるとお店に入る気力もなくなると思い、飴やグミ等も準備した。またトイレに行く回数を減らすため、水分も最小限に抑えた。
3、本番を迎えて
当日は小雨の降る中、足場の悪い河川敷を朝9時から歩いた。ようやくたどり着いたコンビニで身支度を整えようとしたが、段々と激しくなった雨風の中で無駄な動作をする時間が惜しくなり、ずぶ濡れのまま進んだ。シューズカバーは途中まで役に立ったものの、雨の激しさから結局は浸水し、足取りを重くしたのでカバーは外した。
午後を過ぎて晴れてからは楽だった。日差しを受けながら歩いたので体温も上がった。人と喋る気力もあった。しかし21時に50キロ地点に着いた時点で、ここから地獄だとは思っていなかった。
21時以降の歩行は暗闇の中の閑谷越えが待っていた。明かりが少なく、道順が不安の中、伴歩の方にずっと道案内してもらった。残りの距離を時速何キロで歩く、という計算をしながら、私を励まして歩いてくれた。しかし体全体が疲れて重くなっている状態で、なかなか足は前に進まず、時にはしゃがみ込んだりストレッチをしたりして痛みを軽減しながら歩いて行った。
閑谷を超え、70キロ地点の休憩所で豚汁を飲んだ時は本当に体の芯が温まるのを感じた。カイロを準備し、体を休めることができたので、その後はリフレッシュした気分で川沿いを歩くことができた。しかしそれも5キロまでだった。それ以降は再び足のだるさと眠気との闘いだった。目をつぶって歩いても伴歩の方が付き添ってくれる、待っていてくれる。本当にありがたい存在だった。しかし85キロ地点では既に朝日が昇っており、もう9時に到着するのは間に合わないだろうと思っていた。
しかし、もし9時に間に合わなくても大丈夫だという気持ちもふつふつと生まれていた。自分でもやれる準備はしてきたつもりであったし、100キロ歩行はスタートしないとどんな困難が待ち受けてくるかわからない。何より、自分の準備不足な部分も、サポーターの方や伴歩の方があらゆる方法でサポートしてくれた。ここまで頑張ってきた上でのリタイアは、むしろよく頑張ったと自分を褒めてあげるに十分だと思った。残念がったりすると、サポートしてくださった皆様に悪いとも思った。そういう心づもりをしながら、赤磐で朝焼けを見た。
しかし私が100キロ歩行を綺麗な思い出にしようと画策している一方で、サポーターの方は全く違う考えをしていた。「なんとか間に合わせます」と運営ラインに連絡していたのだ。それから残り15キロを歩く間、「ちょっとペース上げようか」「走れる?」「下り坂あるから走ろうか」「荷物持つよ」「暑かったら服置いていっていいよ」とにかく身軽に歩けるようにとあらゆる人から手が差し伸べられた。最終的には飲み物とタオルだけ、しかもそれすらもサポーターの方が持ってくださった。私は完全に歩くこと、足を前に進めることにだけ集中せざるを得なくなった。
道中何度か「9時に間に合わなくても構わない」「完歩できなくても問題ない」と伴歩の方に愚痴をこぼしていたが、「9時に間に合うのと間に合わないのでは全然違う」と励まされ歩いてきた。どう違うのかがその時点では全く分からなかったのだが、伴歩の方が頑なにその条件を譲らないのでついていくしかなかった。そもそも例会が「24時間で100キロ歩く」ことなので、GWのイベントとはまた違う気持ちで臨むべきだったのかもしれない。そういった点では、私の心の準備不足だったのだろう。
残り5キロ地点で同期が応援しに来てくれた。見知った顔を見て少し安心し、私からも一緒に歩こうと冗談を言える気力が沸いた。周囲の声に背中を押され少しずつ足を進めた。ちょっとでも緊張を緩めると足が遅くなるので、タオルを持ってサポーターの方がずっと引っ張ってくれた。走ったり、歩いたり、文句言ったり、「あと少し」が全然あと少しじゃなかったりしたが、最後はサポーターの方が街頭に立って応援してくれて、先に到着した人たちもゴール地点で待ってくれていたので、なんとか自分の足でゴールできた。
到着時間は9時15秒を過ぎていたが、出発時刻が9時45秒だったので、ぎりぎり24時間以内に完歩できたという記録になった。本当に奇跡的なゴールだったらしく、多くの人が泣いて祝福してくださった。
4、おわりに
今回100キロ歩行例会に臨むにあたり、限界に挑戦すること、その先で気づきを得ることが目的だった。実際、体験談の方の話では、改めて感謝の念が大事だと聞かされていたが、今回自分が経験し、まさにその通りだと思った。
自分が完歩することができたのは、伴歩の方が時間を測り、道を案内し声かけをしてくれたからこそであった。サポーターや伴歩の方がいたからこそ、ルートや時速に頭を使うことなく、足を一歩一歩前に進めることに集中できたのだと思う。
そして、100キロ歩行の準備段階から同期生同士で励まし合えたのも、私の心の支えになった。同期生の進捗状況を聞くたび、みんな頑張っている、私も頑張ろう、と思えた。その事実が励みとなって歩き続けることができたのだと思う。
また、自分はリタイアしても問題ないと思っていたが、周りの助けによりなんとか諦めずにゴールできた。「9時に間に合うのと間に合わないのでは全然違う」その通りであり、私は今まで自分の限界を自分で決めていたのかもしれないと反省した。
改めて、自分の気づかないところでたくさんの方に支えていただきながら、自分が今の今まで生きながらえてきたことに気づけた。周囲の方に恵まれてここまで来られたことに、改めて感謝を伝えたい。本当にありがとうございました。