2024年11月 100キロ歩行
『 100キロ歩行に参加したレポート 』
2024.11.03
原 昌広
(岡山政経塾 22期生)
リタイヤ宣言まで
私は最初にリタイヤ宣言しました。西大寺を超え、邑久町に入り、ムラタ製作所のあたりでした。 15キロ地点くらいから足が痛み始め、引きずりながら歩いていました。本村事務局長が言われていたように目の前のことだけ考え、能登さんに教えていただいたように右足の次は左足を出すだけ。柳井さんがご助言くださったように痛いのは気のせいと思い、歩いてきました。
曲がり角を曲がった時、今まで歩いてきた邑久町の風景が、また続いていました。意識が曖昧な私にはそれが全く同じように見え、再度同じ道を歩くように感じました。永遠に終わらない道のりを歩いているように感じてしまい、心が折れてしまいました。
「リタイヤしたいです」と源さんに電話した際に「それは今はできません」と即答でした。2キロくらい手前で様子を見に来てくださっていたこともおそらくあり、力強く即答をしてくださいました。そのお返事があまりにも予定調和だと感じ、その瞬間に『この返事は毎年されていて、予定通りなのだろう。この研修は、ここからスタートするのだ』と悟りました。
リタイヤ宣言後
そこからの道のりは、楽しかったです。自分が見える範囲であくせくしていたのを止め、ある意味“もう自分だけで頑張らなくていい”という感覚になれました。 自分だけが頑張らなくても、今与えられているミッションである”ゴールを目指して歩く”ということを続けさえすればいいと明確に分かり、腑に落ちました。
けがをしたら止めてくださるだろうし、大きなリスクを排除して下さっている安心感に身をゆだねることができました。低体温症にならないように着替えさせてくださったことで、はっきりとサポート体制を感じ心強いと思いました。
足の痛みは強いので休憩を挟みながらですが、歩き続けました。40キロ地点のチオビタ運動公園(旧備前体育館)まで歩くことができました。
皆の力をいただきました。
22期生の釜山さんが一緒に歩いてくださったこともとてもありがたかったです。一人じゃないと何度も思えました。お互いに甘えたり励ましたりしながら、後半の20キロを歩きました。
お名前を記憶できておらず失礼なのですが、一緒にあるいている参加者の方に杖を貸していただきました。そのおかげでかなり歩くことができました。自分のために用意された杖を、私に貸して、先に歩かれました。なんとかっこよかったことか。私も来年の後輩のために何か貢献しようと思いました。
本村事務局長を始め、先輩方皆さんがたくさん応援して下さり、その度に足に力が入るのを感じました。限界突破した後に応援して下さることが、自分の力になると感じました。
来年の100キロウォークは、減量して出ようと思います。すごい研修に参加させていただきありがとうございました。