2019年5月 丸亀町商店街視察 2019年
歴史に支えられた商店街「高松丸亀町」
2019.05.25
松本 岳史
(岡山政経塾 18期生)
1. はじめに
高松丸亀町商店街、その名に由来があるとおり高松城の殿様が約四百三十年前に丸亀からお膝元に商人を迎え入れて出来た場所であります。
まだ四国と本州が橋で結ばれる前、海上交通の玄関口、交通の要所として栄えてきた高松。工業ではなく商業で栄え続け、その成長はバブル経済の終焉まで続いてきました。バブルが高松にもたらしたのは経済成長だけではなく、土地の高騰による投資合戦であり、土地さえあれば銀行が地主のところに日参して融資を行う。その結果、土地は高騰し空洞化が発生。行政は市街化調整を外すという暴挙を行い、開発と人口はますます周辺へと移行してしまいました。
時を同じくして本州四国連絡橋の完成もあり、本州の資本が大量に流入。たった半径約5キロの圏内にイオン系店舗が2店・イズミ系店舗が3店舗に加え百貨店が2店舗。大型店舗の競争激化により商店街は衰退の一途をたどることとなります。
2. 見る視察・聴く視察(講演)
南北に470メートルのアーケード商店街、その中は天井が非常に高く明るいつくりになっている。当日は四国フェリーにて玉野市側から渡航、バスを利用して三越側からの散策を行いました。
この時に感じた点
① ドームを始め、広場やベンチ・植え込み等。店舗以外の面積が多い。
② 地元では考えられない有名ブランドの路面店。
③ 全国チェーン店の多さ。
④ 地元老舗店の共存。
⑤ 販売・飲食・ライフスタイル提案や医療施設といった業種の区分け
⑥ 商店街の中にマンション?!
以上となっており、特に①に関しては大きな驚きでした。私の知る商店街はそれぞれの商店主が自店舗の前にまで品出しをしてアピールする場所。共有スペースなどという収入にならないスペースは誰も提供しないのが常識でした。しかし丸亀町商店街においては「定期借地権」により、土地の所有と使用を分離し、地権者の共同出資会社が一括して土地を使用するからこそ、来客者目線で商店街の中をゼロから組み立て直す開発が可能になったのだと思います。
これによってドーム広場にある公共の「道路」すらも民間の「土地」で囲むことによってグレーゾーン化し、様々なイベントへ使用する事が可能となったのです。
また⑥の居住こそが今回一番学ぶべき内容であり振興組合が狙っているのは「郊外の大型店から〝客〟を取り戻すのではなく、〝居住者〟を取り戻す」これを理事長は繰り返し強調されておられました。高齢者用のマンションを整備し、診療所をその下層階に設ける。入院施設は必要ない、マンション各戸へ往診すれば診療所の経営も成り立つ。そして近隣の飲食店も連携、メニューには診療所の指導も入るうえに、材料は近隣商店の在庫を責任もって引き取るという自己完結ゾーンが存在していました。高齢者が移住して来ないわけが無い。マンションは完売が続いています。
3. 再生の鍵、土地問題。
現在の法律では地主より借り手の方が権利が強くなる、既得権が邪魔をしてなかなか商店街の方々は店舗を賃貸しなかった。しかもバブルのツケで多額の負債を抱え、銀行から廃業さえも許してもらえない。
ここで行われたのが土地の所有と使用を分離し、地権者の共同出資会社が一括して土地の使用権を持つ形であります。
これによって地権者は保障金により、多額の負債を清算することによって土地は担保・競売を離れ定期借地権契約を結べることとなったのです。それは「オーナー変動地代家賃制」と呼ばれ、地代は劣後配当とする。あえて劣後とすることにより、地権者もテナントの売り上げに関心を持たざるを得ないという、土地があるから権利があるから受益できるのではなく、商店街の復興に半強制的に地権者を関与させる仕組みです。これを60年という期間で設定し、60年後には更地にして地権者に返却する。ただし30年の延長特約有りという、壮大な100年計画がそこにはありました。
では100年後は?今の時代、100年後の予想が出来るわけが無い。しかし430年の歴史を背負う丸亀町商店街、向こう100年を市民が集う場所として現世代が努力すれば、100年後のまちづくりは孫の代が担ってくれると願っての土地継承だと感じました。
4. おわりに
講演の中でお聞きした「長い歴史の中で、土地を手放さなければならない事情の方もおられた。しかしその時に私たち丸亀町商店街は商店街振興組合として全力で買い支えた。土地を外部に流出させない、これこそが先人の知恵でした。」
この事が今回の商店街再生の道、地権者の合意形成の根本にあると学びました。行政や第三者が土地の問題に切り込んでも絶対に解決しない、なぜなら土地の所有者が「私の土地の事は私が決める」といえば、財産権も絡むので絶対に手出しは出来なかったからです。ではなぜ、最初の27人の地権者は合意に至ったのか。
それこそが「地権者同士が解決する合意形成」であったと学びました。
古くからずっと住み続けている、知っている間柄同士。その中で利益が一致した多数が、利益を受けない少数を説得する。行政では有り得ない強引な説得が同じ場所に暮らし続けた住民同士だから出来る、そして合意にたどり着くことが出来た。
今回の商店街再生の道は、それぞれの地権者が抱える沈滞化した問題を持ち寄りぶつけ合うことによって、元来そこにあった歴史ある地力を活性化させられたことによる成功だと感じます。
どこの商店街でも真似たら可能な再生ではないと。
雑記
今回の視察にあたり私はあえて公共交通機関を利用して玉野市から現地へ伺いました、その結果を一言で書くなら「がっかり」でありました。丸亀町商店街の公式HPを参考に「まちなかループバス」を利用しようと1番乗り場で待機、到着したバスの運転手に商店街までの所要時間を聞くと「一時間はかかる、こんなのに乗る人はいない。歩いたほうが早い」と。「西回りの間違いでは?」と尋ねるも「バスで行きたいなら4番に乗れば」と促されました。
ここで終わらない、4番乗り場の運転手に「丸亀町商店街に行きたい、降り場は何処ですか?」と訪ねると「商店街は広いんだからそれじゃわからん」と「三越の近くの広場です」と答えると「三越を知っとんなら、三越で降りられ」こういったやり取りがありました。
成功を納めた影には努力した人がいる、そして努力をしない人種がせっかく成功した物・者の足を引っ張る。地域の努力で再生した商店街、今回は交通機関という第三者ではありますが、今後たった一部の無自覚な振る舞いでシャッター通りと化した商店街へと逆戻りしたり、開発が形骸化するかもしれないという怖さを感じました。