はじめに
高松市丸亀町商店街は江戸時代から430年の歴史を持つ商店街である。高松市の中心部に位置する総延長2.7㎞におよぶ全国でも有数の成功をおさめている商店街。今回の視察によってなにを学び、自分の住む地域で実行していかなければならないかを考えていきたい。
①丸亀町商店街を視察
高松三越を挟んで丸亀町商店街はある。以前は1番街、2番街などと呼ばれていた。現在ではA街区からG街区までの7街区に分かれている。この各街区においてそれぞれコンセプトがあり、A街区にはブランド店舗と広場が中心となり、B街区にはフードコート、C街区には美と健康、D,E,F街区には2019年からの開発になるがファミリーカジュアル街、G街区にはマンション、ホテルが中心となっている。これは一般的な商店街と異なり商店街の中にコンパクトシティが成形されている。また、各店舗の並びの有効活用が印象的である。それは来場客が入りやすい1階では全国的にも有名な店舗が並んでおり、2階にはカフェや個人店舗が入っている。一般的に2階店舗には1階店舗の住居や空き店舗になっていることが多い。しかし、丸亀町商店街では2階の有効活用で空き店舗がなくゆっくりと時間を過ごすための工夫がされている。
②高松市丸亀町商店街振興組合 古川理事長の講演
丸亀町商店街の再生は1988年から始まる。瀬戸大橋の開通と共に大手企業の進出の危機感からすでにシャッター街になると予測されていたからだ。また、県内人口も100万人をきることも予測され、周辺の大手企業と丸亀町商店街が共存するには150万人の人口がいなければ存続できない試算を割り出していた。
衰退の要因としてバブル崩壊による地価の高騰で都心部の空洞化、市街化調整区域の全廃による都市の拡散と続く。
再開発に至るまでさまざまなイベントを行ったがイベントによる町おこしは失敗に終わった。バブル崩壊で商店街を営む店舗が負債を抱える中、行政のみに頼らず民間主導の再開発に切り替えていくことになった。
まずは全国の成功例をベースとするのではなく、失敗例を徹底的に研究し学び取ることで成功に導く方程式を作った。そして、空洞化による居住者の実態調査では75人であることから住居者を取り返すことも目的とした。しかし、大きな壁が立ちふさがる現実も存在した。それは土地問題である。具体的に言うと所有権の問題であり、再開発には200億の試算が出されたわけである。
そこで振興組合は所有権と利用権を分離して民間と民間が契約を行い廃業支援のもと一括運営管理を行ったのである。つまり、土地を保有する人が持っていながら店舗自体は白紙にすることとし、新しい店舗が入ることができたのである。これにより、200億もの試算が3分の1の70億のコストに抑えられている。そして、収益の分配により所有者も負債の軽減につながったのである。
また、丸亀町商店街の未来像としては高齢者のダウンタウンインフラを行い、安全安心のまちづくりで再整備していくことが今後の課題となっている。その問題点として丸亀町商店街周辺には大学病院などは多いのだが、クリニックなどが少ないため、町営のかかりつけ医の取り組みがされている。実際に商業施設を1F、2Fに、3F、4Fを総合メディカルセンター、5F~9Fまでをマンションとした居住区にしている。これは、高齢者にも子どもを持つ居住者にも合理的であり、マンションにかかる経費が安価であるため幼少期から高齢期まで安心して暮らせることができるのである。
③おわりに
丸亀町商店街の特徴というべきはテナントミックス(職業の再編成)と土地所有者の利益分配、そして、一生住みたいという魅力あるまちづくりである。歴史ある商店街で土地を外に流出しないという風土が丸亀町商店街を再生可能とされたと考えられる。では、自分の住む地域ではどうか?大手企業が立ち並び大手企業同士が顧客の取り合いとなっている。商店街との共存をせず、商店街はシャッター街が立ち並び、街並みは居住区がひしめき合っている。古川理事長がおっしゃっていた「需要があれば、供給が必ずある。」という言葉が今の自分の住む地域にあるだろうか?と考えさせられる。今回の視察でさまざまな視点を学ぶことができた。今回、学んだことを多くの人達に伝えて、自分の住む地域の再開発の一助となっていきたい。
以上