活動内容
ACTIVITY
2018年 直島特別例会レポート(直島・豊島)
感性を磨く島 2018 ~直島・豊島~
2018.08.04
高田 真也
(岡山政経塾 16期生)
○はじめに
同じ芸術作品を2度見ても、自分が成長していれば、また別の事を感じるはず。小山事務局長より、昨年聞いた言葉。果たしてこの1年間自分は成長したのだろうか。試してみたい。そんな思いから直島合宿に参加することを決めた。何を感じるか。ワクワクする思いを胸にして。
○クロード・モネ「睡蓮の池」
入室と同時に、アーチ型の入口の先に見える大作。今年もここにやってきた。白い漆喰の壁から浮き立つ作品。淡い緑やピンクに彩られている。足元には、一面に敷き詰められた、角の取れたサイコロ状の大理石。そこに立っただけで足を伝ってエネルギーがこみ上げてくる。絵画5点「睡蓮」を見渡せる空間に入ると、自然光に照らされた絵画が自分自身を包み込む。作品のある部屋は丸みを帯びており、四つ角には角がない。180度自身を回転させ見渡しても、睡蓮が連続しているように見える。白と絵画のコントラストにたたずむ自分は、まるで雲の中にいるように絵画を見つめている。 去年この場所で、じっとたたずみ作品を見つめていた、欧州の少年を想い出す。全く動かず見つめる少年に見入り、何を感じ、何を考えているのかと思いを巡らせたものだ。今は自分が思いを巡らせている。私は入口にたたずみ、空間の真ん中にたたずみ、ずっと見つめた。あの時少年が感じていたものを、今は私が感じている。 一通り作品を見終わった私は、ラウンジにてレモン紅茶を注文し、瀬戸内海を見渡しながら、一息ついた。もう一度、モネの「睡蓮」が見たい。思いつた私は、再度モネを見に行った。 (直島芸術作品めぐり)
○福武總一郎塾長 講演
「もの心ついてより、ひとつでもやりつづけていることはあるか」との塾長からの問いに、医療福祉は25年ずっと続けている。トランペットは40歳になって再開し、4年になる。幼少より続けているものはないと思った。あるとすれば、高田真也という存在を生まれてこの方やりつづけているだけだ。とにかくやりつづける。どんな状況でも希望をもってやりつづけろ。そうすれば叶うとの教えだった。 昨年にもこの教えを頂き、私は1年間考えつづけた。人生の目的は、何を手段に、地域に対してどうするのか。人々が笑顔になるよう、音楽と食で地域を巻き込む。月に一回音楽カフェを開催している。プロの演奏家を呼び、おいしい紅茶とデザートで地域住民と交流する。生演奏で「ひと時の癒し」を提供している。この活動が、地域住民のとじ込もりを防止し、身近な相談窓口となり高齢者、障害者の状況変化にいち早く対応することを目指している。地域からの参加者は増えている。活動をアピールし、地域の方が自由に集える場所にしたい。はじまったばかりではあるが、今後も継続していくつもりだ。 また塾長の考える幸せの極意、幸せなコミュニティーに住むということ。 高齢者の笑顔あふれる所。人生の達人が幸せにならないといけないという考え。 個性と魅力のある地域の集合体にする。どんな地域でも自分でやる。自分が倒れるくらいまでやる。地域の為に一生懸命にやっている姿が人々を引きつけ、仲間にし、日本で有数の地域になっていくのだということだった。 この話を聞いていたから、直島合宿最終日の夕方、自宅近くの地元で催された夕涼み会には力が入った。早めに帰宅した私は、出店で任された焼き鳥・牛櫛を一生懸命、焼いた。地元の方と、ビール片手に語らいながら。暑いはずなのに時間があっという間に過ぎた。地域の為になっている、地域の一員になっているという実感が、自分を幸福にした。
○豊島美術館
感性を磨く上で訪れたい美術館。ここで感じる感覚はどう変わっているのか。昨年は主に、視覚で美術館を味わっていた。空までつきぬけた楕円の天井、ぶらさがる糸、グレーの壁、一か所に集まる水。その動きを見て去年は人の心を考えた。水は低い方低い方へと集まる。人間の心と同じだと。今回は、味覚以外の感覚(五感)が敏感だった。 大変暑い屋外から美術館に入場する。ひんやりする。靴下を脱ぎ、歩いた。大の字になって寝転んだ。目をつむった私は寝ている訳ではない。左半身、右半身を種類の違う風が通り過ぎる。一方は冷たく、一方は生暖かい。子供の鳴き声が、遠くの方で反響している。背中からはひんやりしたコンクリートの感覚。目をつむっているからこそ、感覚が研ぎ澄まされる。感じる部位や、感覚が去年と違う。空間に包まれている感じ。体全身で豊島美術館を感じた。
○ちょっとリッチに
ベネッセハウスパークに宿を取った。室内にはジェームズ・タレルの絵。扉を開けて眺める外の風景もまた、絵画の様だった。 白を基調にした室内と、木目。海と遠くに見える島々、青い空。落ち着いた音楽。体感的にちょうど良い温度の室内。申し分ない。早めにチェックインしたが、今日ずっとここにいてもいいと思うほどだった。 夜は欧州スタイルのバスタブに浸かり、外国製のシャンプー、ボディーソープを使用し香りを楽しむ。シャワーの水量が外国の思い出を甦らす。湯上りにはバスローブを着て、テラスに出てみる。ベッドに横になれば、その感覚はまさに極上。寝る前の、一杯のドリンクが熟睡へと誘った。 5:30に起床し、朝のビーチを散歩。波の中を裸足で歩く。朝日の姿はまだない。だれもいないビーチ。砂の感覚が脳内を刺激する。散策の間に山肌よりご来光を拝む。太陽に向かって深呼吸し、道すがら草間彌生「南瓜」を写真に収めた。 海を見ながらのブッフェ。窓から見える、テラス、松、凪の海、青い空が朝食を引き立たせる。全て美味しい。中でもヤギのヨーグルトは絶品だ。至福の時を存分に味わった。
○おわりに
塾長所有のクルーザーに乗船した。運転席まで上がって、見渡すと波の飛沫が頬にあたる。爽快極まりない。瀬戸内海の島々の先に、瀬戸大橋が見える。シンプルに海はいい。クルーザー名「空海Ⅱ」。その名も、空と海の綺麗さから取ったものか、弘法大師様から命名したのか。船内には大山祇神社のお札が祀ってある。悠久の昔、この瀬戸内海を制したものが、日本を制した。昔の人々も同じ海を見て希望に燃えたのか、想いを馳せた。 芸術作品を見て、感じ方は変わっていた。自身の五感をフル活用していたからだと思う。全身で感じた。作品の中に自分が包み込まれているような感覚だった。少しは成長したということだろうか。次回訪れた際は、どんな感じ方をするだろう。 (早朝の南瓜)
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