活動内容

ACTIVITY

2021年 直島特別例会レポート(直島・豊島)

直島合宿に参加して

2021.10.23

松本 俊二
(岡山政経塾 20期生)

開催日 2021年10月23日(土)・24日(日)

まずお伝えしたいのは、この度の直島合宿を開催して下さりニュージーランドから講演までしてくださった福武塾長、手配をしてくださった小山事務局長、2日間にわたりアテンドして各所を詳しく解説してくださった西美さま、お休みにもかかわらず途中から参加してくださった髙橋さま、本当に有難うございました。
私は直島訪問が初めてだったのですが想像以上によく分かり有意義になったように感じます。
ただこれが全てでないことも理解しておりますので、これからも機会を見つけて訪問したいと思います。

感想

まず驚いたのは玉野から乗船したフェリーの綺麗さでした。乗船時間約10分でありながらの綺麗さは新造船であるとのお話を聞き、ある意味納得も致しましたが、宮浦港に着いてその港の綺麗さに更に驚きました。
これも瀬戸内国際芸術祭が島にもたらせた恩恵なのでしょう。
フェリーや港のイメージはどうしても昔の宇高連絡船が強いせいかもしれませんが最初に頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を感じました。

島に到着後のスケジュールも後から気づくと、すごく練られていたのだなぁと感嘆するほどでした。
単に効率的に回っているのかと思っていたのですが、決してそうではなく、まず地中美術館でアートの見学をし、安藤建築に触れ、その後福武塾長の講演で島への思いから現在の現代アートの島への変遷のお話、その後に島内各所のアートを見学。

アートとは何か?もちろんモネの睡蓮のような代表的な西洋美術もありました。西洋美術は既に社会的評価が高まっており、各々の感想がその作品の評価を左右することはありません。しかし島内のほとんどのアートは現代アートで、社会的評価よりも受け取る個々人の感じ方がそれぞれの作品を評価するところも良かったのでしょう。

また、ベネッセの手がけたホテルや美術館などの設計を安藤忠雄さんが行った点もそのデザインの統一性やこだわり、またその中に織り込まれた各所の遊びの部分まで全てがアートといっていいのでしょう。
それは点在する建築物も含むアートがいつしか線となりそれが面をなし、さらに厚みを持つことで立体を構成しているようにも感じました。

直島はかつて漁業と銅精錬所の島のイメージが強く、精錬所から排出される亜硫酸ガスの影響で島内の山々の木は枯れ果てていたそうです。
1960年代直島が藤田観光を誘致し観光地化しようとした動きがあったが、オイルショックの影響もあり、2年ほどで撤退したとも。
その後に当時の三宅町長と福武書店の創業者 福武哲彦氏との間で文化的な場所にしたいと意見が一致し、哲彦氏の遺志を継いだ總一郎氏がその実現に動いたそうです。
『あるものを活かし、ないものを創る』という考え方の最たるものは「家プロジェクト」でしょう。無人となった古民家をアートを展示して再生させようなど誰が考えるでしょうか?時間が許されればもう少し福武塾長に質問したかった点でもありました。

 私自身飲食店を営んで痛感するのは、お金さえ払えばお店は誰でも始めることは出来ます。課題はいかに継続するか?で、この直島合宿を通じて同じなんだと考えるようになりました。
最初から順風満帆ではなく、始めた当初は島民の方からすると藤田観光の後で福武書店が何かするらしいくらいに、冷ややかに見られていたとのこと。塾長からは、ある程度の賛同を得られるのに約10年かかったとも伺いました。
それは地方都市に大型ショッピングセンターが出来、採算を割るようになるとすぐさま撤退を決めるのにも似た感じを持ちました。住民はそれまでその地域になかったある種有名ブランドに飛びつく。それによって地元の商店は経営難に陥り廃業。その後有名ブランドは採算を理由に撤退、地元には何も残らない。多くの地方都市で悩まされている課題の一つかもしれません。
しかし、直島は違いました。直島と言うよりも福武さんがと言うべきかもしれません。少しづつ島民と対話を重ね、島民を巻き込みながら『アート』と言う文化的なキーワードで世界中の人々を呼び寄せるまでに。結果島内には様々な商店ができ島で暮らす人、生計を立てる人に活気が戻る。

アートは感じるものとも言われますが、いわゆるヨーロッパに代表される西洋美術は、評価が高く、オークションで高値が付くような絵画を鑑賞し、その評価に自分の価値観を寄せに行っているように感じもします。
しかし直島で展開されている現代アートは、それを見る人の感性によって多角的に楽しめる工夫がされているとも感じました。実際今後アートを楽しむため各々の見え方を発表しあう等の新たなプログラムを検討中とも伺いました。アートに限らず日々の生活やビジネスにおいても別の人の考え方を受け入れることは大切なことであるが、主義主張によってなかなかそれが出来ない人もいることも事実。しかしアートを通じてであればそのハードルは下がるのかもしれない。(自分の意見の発表、他人の意見を受け止めること等は、社員教育プログラムで商品化できますね)

さらに地中美術館のナイトプログラムや家プロジェクトの南寺の展示は人の持つ視界の暗順応を活かしたプログラムであった。人間の持つ能力とアートの融合。その発想に至ったアーティストも素晴らしいが、そのアーティストを発掘されたほうもお見事だと言いたい。

捨てればゴミになるものも、素材も活かせば護美とでも言おうかアートとして楽しむことも出来る。
それは現代に生きる我々に対しての教訓を示しているかのようにも感じた。
直島を訪れる多くの観光客が楽しむアートを通じて、その生活に活かされるヒントを得られると世の中のゴミも減少するのかもしれない。

来年瀬戸内国際芸術祭が開催され、多くの観光客が直島をはじめ近隣の島々を訪れると思う。
来島者が増えることは島でお金を使ってくれるのでいい事のように思うが、島の人にとって困ることは何だろうかと考えた時、フェリーや港の混雑、島内の交通ルール、ゴミの処理、喧噪等があるように思います。
今後より多くの島民の賛同を得て末永く継続するためには、そうした課題を少しでも解決に向かう工夫がアートを通じてできないものかと考えてみたいと思いました。