2016年12月 男木島・女木島・小豆島合宿
自ら考え、行動する~離島が生き残る術~
2016.11.26
紺谷 百世
(岡山政経塾 15期生)
1.はじめに
“今度の地方創生は、国が何をするかではなく、地方がそれぞれ何をするかを、自ら考え、行動するものでなければなりません。そのことが地方創生の根本精神です。”
小豆島町の塩田幸雄町長は自身のブログにおいて「地方創生の根本精神」というタイトルの記事でこう綴っている。今回の合宿では、人口減少が進む離島が生き残っていく術を学んだ。それは、島民が「自ら考え、行動する」ということだ。男木島、女木島、小豆島を訪問し、特に男木島と小豆島町の取り組みが印象に残ったので、以下紹介したい。
2.民間主導の男木島~福井大和・順子夫妻
①小中学校の再開
2014年4月、休校となっていた男木島小・中学校が再開した。再開の活動の中心となったのが、男木島出身で今回ご講演を頂いた福井大和さんだ。
福井さんは島を出て大阪でIT企業を経営していたが、2013年の瀬戸内国際芸術祭の夏会期中、Web制作の手伝いをしに家族連れで男木島で長期滞在をした。娘のひなたちゃんは島の生活を楽しみ、移住をしたいと話すようになった
しかし、そのときの男木島は65~75歳の人が住民の大多数という状況。10年後には人がいなくなり島が終わるという危機感をもった。就学に合わせて島を出るという人もいる状況で、福井さんは男木島を活性化するための基盤となる学校が必要だと考え、再開のための活動を始めた。
Uターンする世帯を3~4世帯募り教育委員会と交渉を行ったり、学校再開を求める署名をなんと10日で900人以上分も集めたりして、なんとか小・中学校の再開に漕ぎつけた。子連れの移住者も増えたことで2016年5月には保育園も再開し、終焉の危機に瀕していた男木島でも今後10~20年後の将来を考える土壌が整ってきている。
②男木島図書館
家族で男木島に移住することが決まった福井大和さんの夫人、順子さんは島での生活を始めるにあたり、島のために自分が地に足をつけて出来ることをしようと考え、図書館の設立を決意した。島で生活する上での不安=島の課題を解決するということが目的であった。
順子さんが考える不安・課題の一つ目は、島には学習環境がなかったことだ。子どもが雨の日に集まることができ、大人が勉強を見ることができる場所をつくりたいと考えた。二つ目は、島の人とのコミュニケーションがうまく取れるかということ。本を媒介としてであれば、老若男女問わず自然なコミュニケーションが図られるのではないかと考えたのだ。三つ目は、集まる場所=おしゃべりをする場所であったこと。島には一人暮らしの高齢者も多く、人の気配がありながらおしゃべりをしなくても良い場所、一人でも気兼ねなく集まることのできる場所として図書館が最適だと感じた。
図書館の設立にあたっては最適な場所探しや、13人いた地権者の整理・交渉など困難を乗り越え、クラウドファウンディングで資金調達をし、自分たちの手でボロボロになった古民家のリノベーションをした。そして、2016年2月から男木島図書館は開館した。
男木島図書館では移住者の相談も受け付けており、移住に際して不安に思うことを解消する場所にしたいと順子さんは話していた。他にも図書館では、男木島に残る伝統文化をアーカイブとして残す活動も行っている。伝統は口承されてきているが、伝統を知っている人は亡くなって次第に少なくなっていく。伝統を確実に承継できるよう本として残している。
福井夫妻は男木島のために何が必要かを考え、それぞれ行動に移していた。本気で島のことを考え、自分たちの生活もよくしていきたいと考えた結果だと思う。夫妻は明るい笑顔が素敵で物腰も柔らかく、ぜひ協力をしたいと感じさせる人柄であった。お二人の考えと行動、そしてそれに協力する人が集まったことが、小中学校の再開、男木島図書館の設立の成功に繋がったのだと思う。
お二人は男木島の生活を楽しんでいた。島の人達でバンドを組んだりもしているそうで、順子さんは島での生活を「第二の青春のようだ」と話していた。現代では地域コミュニティの希薄化が叫ばれているが、男木島にはそのようなことはなく、昔ながらの人づきあいが生きている。都会のような便利さはないが、それを補う地域コミュニティの機能しているのだ。
3.官主導の小豆島町~小豆島町長 塩田幸雄氏
小豆島町には2012年度以降毎年100人以上が移住してきており、2015年度にはIターンだけで148人にもなった。岡山県では倉敷市の2015年度移住者数が169人で小豆島町と比較的近い人数であるが、倉敷市の人口は小豆島町30倍以上の48万人だ。小豆島町の移住者数は驚くべき多さだということがわかる。小豆島町長の塩田氏はどのようなことをしてきたのだろうか。きっかけは瀬戸内国際芸術祭であった。
小豆島町出身の塩田町長が島に帰り、町長に就任したのは2010年4月。当時瀬戸内国際芸術祭が開催されていたが、小豆島はほぼ参加していない状況であった。しかし、少ない作品に人が集まっているのを見て、2013年の瀬戸内国際芸術祭からは小豆島町として積極的に芸術祭に関わった。閉校となった福田小学校に福武ハウスを誘致し、芸術祭会期中はアジア・アート・プラットフォームとして、アジア各地域と地元住民、来訪者をつなぐ場所として機能するようにもなった。
瀬戸内国際芸術祭をきっかけにして、島民に自信と元気が戻りつつあると町長は考えている。芸術祭をきっかけで始まったことに持続性を持たせるため、塩田町長は厚生省や環境庁での長年の経験をもとに政策にも力を入れている。例えば、隣接する土庄町と公立病院を統合して医療サービスの充実を図ったり、赤字路線で運賃が高騰していたバスを島内一律300円にして利便性を高めたり、その他にも子育てや地場産業の支援にも力を入れている。
高齢化が進んでいるため人口の自然減を止めることは出来ないが、移住者しかも若い世代が増えていることで、人口減少のスピードは確実に緩やかになっている。
塩田町長もやはり小豆島町のことを本気で考え、町民の生活をよくしようと行動に移していた。塩田町長は毎日ブログを更新し、島のことやまちづくりに対する想いを綴っており、小豆島町をよくしていこうという気概が伝わってくる。首長なのだから地域のことを本気で考えて政策に移していくのは当たり前だろうと思う人もいるかもしれないが、全国の首長でどれだけの人が出来ているのだろうか。塩田町長の下で働く町役場の職員の方の意識も変わり、仕事に対してこれまで以上に積極的に取り組むようになったそうだ。
4.考察
今回の合宿では大きく二つのことを学んだ。
一つ目は「地方創生の根本精神=自ら考え、行動する」ということである。男木島の福井夫妻も小豆島町の塩田町長も、島のために必要なことを自ら考えて行動に移し、島を元気にしている。はじめに紹介した小豆島町の塩田町長のブログには以下のようにも書かれている。
“地方創生には、何かの「きっかけ」が必要です。そして、その「きっかけ」で始まったことに、「持続性」がないといけないと思います。”
今回の合宿では女木島にも訪問したが、女木島では島民の方々の「こうしてほしい」「ああしてほしい」という姿勢が強く感じられ、男木島や小豆島町とは違い瀬戸内国際芸術祭を「きっかけ」にしているのではなく、瀬戸内国際芸術祭に「頼り」にしてしまっているように感じた。やはり私にとって魅力的に映ったのは女木島よりも男木島や小豆島町であり、移住をするとしたらと考えた際に私が選択するのは後者である。離島が生き残っていくためには、「自ら考え、行動する」ことが重要だと感じた。
二つ目は、「生き方」である。男木島図書館理事長の福井順子さんは福島県の出身で、大阪に住んでいるときには福島で測定された放射線量をWebで公開するという活動をしていた。客観的にはとても素晴らしいことだが、ご本人にとっては遠くからちょっと手を出すという程度の活動でよいのかという疑問をもっていたそうだ。男木島に移住することが決まり、「これからは地に足をつけて地域のためにできることをしよう」と考えたことが、図書館を開設するきっかけになったという。私はその考え方や姿勢にとても共感した。私も今後生きていく上で、自分が地に足をつけて地域のためにできることをしていきたいとより一層強く思うようになった。
5.おわりに
幸せになるためには、幸せなコミュニティに住むこと
幸せなコミュニティとは、人生の達人であるお年寄りの笑顔があふれているところ
福武塾長はこう話していた。実際にそれがどういうものであるか、今回の合宿で実感することが出来た。瀬戸内の島々が変わったのは瀬戸内国際芸術祭がきっかけであった。そのきっかけをつくったのは岡山政経塾の福武塾長である。改めて塾長の偉業に感嘆した。
最後になりましたが、このような多くの学びや気付きを与えて下さった関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。