2004年 100km Walk
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◆垰 裕則(岡山政経塾 二期生)
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「100キロ歩行に挑んで」
今回、多くの仲間と共に100キロを歩けた事は、振り返って大変幸せな事でした。このような機会を提供し、支えて下さった幹事の方々・事務局の方々・サポート隊の方々、本当にありがとうございました。そして共に歩けたみんな、ありがとうございました。
今回感じた点の第一は、100キロに向けて歩けば私の特徴が出てしまうという事だった。今回再認識させられた自身の特徴とは、準備不足と諦めの悪さである。靴・靴下・服装の準備は出来ていたが、持ち物の絞込みが不十分だった。結果、私は膨れ上がったリュックを背負って歩き、段々と苦しくなってしまった。私の性格として、どうもある程度までやると慢心する所があるように思う。完歩された方は、やはり持ち物や服装にも注意を払われていた方が多かったように感じた。これからは、些細な点に至るまで全力を尽くす癖をつける。また(傍目から観たらもう限界なのに)ギブアップしようとしない諦めの悪さが自身にある事にも気付いた。今後は、この諦めの悪さがもう少し早い段階から働くように、言い換えればもっと準備から執念を燃やせるようにしたい。全体として、自分自身を点検する良い機会となった。今後の生活を変える基点とする。
第二に、生活の重さを感じた。車で下見させて貰った時(栗尾さん、ありがとうございました)には、大して気にも留めなかったが歩くと色々な事が新鮮に感じられた。それは例えば、そこには何世代か前から人が生活している事を表す古い家屋であり、一家団欒を感じる窓の明かりであり、帰省した孫と嬉しそうに話す人々である。歩くと、車に乗っている時よりも、それらの一人一人の日常を表すものが非常に大切な重いものに感じられた。確かな裏付けは無いが、歩く事とその場所を好きになる事には関係があるのかも知れない。とにかく歩く事で発見する魅力の存在を知って、100キロ歩行後に私は歩く事を選ぶ回数が増えた。分かり切った事だが、物事は色々な面を持っている。それは地域とて例外ではない。その事を100キロ歩行は、改めて実感させてくれた。
第三に、同志の心強さを実感した。もし、独りで100キロに挑んだとしても、もっと早くリタイアしていたであろう。目の前で、若しくは見えない場所で、頑張っている人・支えてくれる人の存在が私の背中を後押ししてくれた。苦しい時・弱気な時に挫けずに歩けたのは、私以外の人々の力による。自分の判断と責任でやらないといけない事は多い。しかし同時に自分独り以上の力を出す方法がある事を実感させてもらった。
これらの経験に基くものは、ずっと私の記憶に残るだろう。人生は、これから先もゴールもまだまだだ。これらの実感からの学びが人生の変わる基点となるように行動したい。
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