2004年 100km Walk

 
◆妹尾 映理子(岡山政経塾 二期生)

「24時間 100キロ歩行へ挑戦]




 64km。100キロを目指して歩き出した私のリタイアした地点だ。午前1時。一位の人の感動のゴールを目のあたりするちょうど一時間半前である。この64km、動かなくて痛い足に悔しい思いをしたが、15時間の間、サポート隊の方に本当に励まされ、元気付けられた。このレポートをお借りして心からお礼を言わせて下さい。本当にありがとうございました。
 前日の5月1日。3期のTちゃんに100kmを車で案内してもらった。忙しい中ありがとう。そして、完歩したちゃん、尊敬です!100kmを体験している間中、私はずっと考えていた。私はどこまで歩けるだろうか。明日、ここを歩いているだろうか。何を考えて歩いているんだろうか。100kmという未知の経験に、とても不安であり、とても緊張し、またとても楽しみだった。


 
 5月2日。後楽園には、白装束も、ターバンもいなかったが(スーツはいたが)、懐かしい顔が、ちょっと緊張した顔で集まっていた。女性たちは、日焼け対策バッチリで、大西の平ちゃんはお金にものを言わせて(本人は全否定)、ハイテク装備。ショートカットの武久さんはその辺りに買い物スタイル。思い思いのスタイルで、Am10:01に出発。うす曇りの中、集団で歩き出す。
 ぞろぞろ歩き出す40人強の集団で、河本直子さんと並んで歩く。まずは沖田神社を目指す。東山峠を越え、百間川沿いを歩く。大西の平ちゃんと岡さんと、この4人でつかづ離れず。時々永野さんと会う。11:59分、10km通過。この時、すごく後ろに小林先生軍団、新田裕子を発見、後で会う。この間、楽しみはコンビニで平ちゃんに何を奢ってもらうかの1点にしぼられた。直子さんと「平ちゃんにおごってもらおう」を合言葉に歩いた。コンビニでの食事。普通より少し高いおにぎりとアミノバイタルを平ちゃんに買ってもらう。平ちゃんありがとう。この10キロは元気だった。次の大富の三叉路を目指す。



 ここでも直子さんと歩き続け、次のコンビニは何を食べようかとか、あれは誰かとか、ぺちゃぺちゃ話しながらてくてく歩いた。途中、永安橋で、大声で歌いながら歩くちゃんに抜かれる。前の人を抜くときに歌うようで、私と直子さんは本当にビックリした。
 「マツダ」で男前の出迎え。サポート隊や小山さんに出会えるのは何にもかえられないほどうれしく、手を振って「行ってきます」「がんばります」と言っているときだけ、疲れを忘れられた。
 大富の三叉路まで岡さん、直子さんと3人で歩く。14:10、20km通過。20km地点ではバナナを食べる。足の痛い所にテープを貼る。段々足が痛くなってくるのが分る。柳井さんが釣りをしているのに、心がなごんだ。


 
 30kmに向かって出発。この辺りになると、先を歩く岡さんを目指して直子さんと歩き、追いつくと3人で歩く、というスタイルになった。まずは岡さんを目指そう。そして3人で「がんばろう」と。
 この10kmは、動物にいやされた10kmだった。まずは岡さん。岡さんの肩の力を抜いたスタイルに、緊張して入っていた力が抜けた気がする。そして24km地点の山本さん、アンジェラと犬。ありがとうございます。ワニちゃんたわむれて、疲れをいやされる。そして川沿いの鳥。普段だったら、絶対にいやされない鳥に、疲れを癒された。
 だが、この24km地点から、30km地点までが、本当に本当に長かった。歩いても歩いても飯井の交差点に着かない。私は断言できる。山本さんとアンジェラがいた地点は24kmではない。22km台だと。
 28kmぐらいで、直子さんとペースが合わなくなる。直子さんはまだまだ元気で、ちょっとずつ私の前を歩いて行った。この後、直子さんは片山千恵美さん(ストライド法)と100kmを完歩する!本当にすごい!ありがとうございました。


 
 16:24 あえさんのいる30km地点を通過。たくさんの人が休憩をしていた。この時、本当に足が痛くて「あと70kmも本当に歩けるのかなあ」という思いと、「1/3は歩いたんだなぁ」という思いが入り混じっていた。最初、直子さん、千恵美さんと歩き出すが、途中で一人に。てくてく歩くと休憩している二人に会う、というパターンだった。会うとすぐ二人は出発して行った。一人でてくてく歩いていると「備前市鶴山」という看板が出てきた。私の義姉の実家は、そう言えば「鶴海」だったなぁと思い出し、兄に電話してみた。兄は「おめぇ、せっかくのGWに何しょん?歩きょん?精神をきたえとん?あの怪しい塾じゃろ!おめえも、ものずきじゃな。応援に行ったるわ!」と、私の愛するめいっこと、義姉と3人で応援に来てくれた。
 3歳のめいっ子は「えりこお姉ちゃん、何しょん?何で歩いとん?×3」と質問攻め。3歳の子に「新しい自分を」と言っても分らないだろうな・・・・と思いながら。3人の応援は本当にうれしかった。ありがとう。
 この後は、40kmの備前市体育館まで一人旅となる。途中で楽しみにしていた海が見えた。一人旅になると、何とも寂しかった。途中で出会うサポート隊だけが楽しみになった。「あともうちょっとで体育館だぞ!」40km近くになると小田県議とつかずはなれず、という感じになった。そして足をひきずる堀さんと出会う。


 
 18:55 40km通過。チェックポイントでは、着替えをしていた柳井さんがいた。「おー妹尾。完歩ペースじゃあ」そう。けっこう、いいペースで歩いてきたと思う。この40kmまでは。40km地点で、能登君に抜かれる。「私をおいて行くなんて!」と怒ってみたが、能登君の100km完歩を心から祈っていた。
 また一人旅の始まり。だが、ここからは車のサポートがついてくださった。GWに、先輩から呼ばれたから来て下さったとか。私のペースにずっと、ゆっくりついて来て下さった。ありがとうございました。
 3kmほど歩くと、横田さん、加来田さんと出会う。横田さんは足に豆ができて「痛い痛い」と言っていた。その反面、加来田さんは異常なテンションで、「サー!これからですよぉ!目が覚めてきましたぁ!」と、迎えてくれた。これから少し3人で歩く。この辺りになると何を話しながら歩いたか覚えていない。何だか異常にふくらはぎが痛く、リュックが重かった。途中、コンビニで私を置いて行った能登君に会い、テーピングをしてもらった。これが、5%ぐらい痛みを取ってくれた。そのコンビニで新田裕子と合流。共に50kmを目指す。足が痛い。これが一番辛かったが、一緒に歩く仲間がいて本当に救われた。私達は(私と加来田さんは)しりとりをして歩いた。加来田さんが「しりとりでもしよう!」とハイテンションで提案。新田裕子が「無理!」と0.5秒くらいで返事をしたにもかかわらず始まる。二人でするシリトリは加来田さんが全て「ル」で返すしりとりとなり、大苦戦。「ボール」とか「ゴール」とか。善人面して、意地悪だなぁ・・・と思いながら、海沿いをとぼとぼ歩いた。


 
 21:30 50km通過。半分到達した。
 「やっと半分」、これが本音だった。もしかしたら、100kmムリかもしれないな。と思い出した。新田裕子がリタイア。ここで、あったかいココアをサポート隊の方に頂く。これが本当に美味しかった。サポート隊の方、本当にありがとう。
 座ると立てなくなることを教訓に、立って休憩。そして加来田さんと歩き出す。本当に何を話したか覚えていない。
 足の痛さと戦いながら、それでも前へ前へと歩いた。明らかにペースが落ちているのが分った。ゆっくり歩く私に加来田さんは「ちょっと休憩しましょう」とか「あそこまでがんばりましょう」とか、ペースを合わせて歩いてくれた。まだまだ早く歩けたのに。加来田さんありがとう。
 途中、泣きながら歩く毛山薫に出会った。それとピッタリサポートする○○さん。毛山薫の足取りは本当にゆっくりだったが、それでも100kmを目指していた。私もがんばろう。いけるところまで行こう、と思った。
 後ろからスーツの小倉さんに追いつかれた。ちょうど55kmのローソンだ。ここで加来田さんと別れ、小倉さんと歩くことに。ここのローソンでまた柳井さんに出会う。「妹尾、荷物を置いていけ」。柳井さんの言葉が神様のようだった。ここで元気を取り戻し、閑谷学校を目指した。小倉さんと二人で「ほんとうに田舎だね」と車も通らない道をてくてく歩いた。本当に本当に足が痛かった。そして小倉さんは、またずれが痛かった。
 
 ちょっと歩いては休み、ちょっと歩いては休みと少しずつ歩くとやっと和気閑谷に着いた。するとあえさんと、あやしい洲崎君がいて、小倉さんのまたずれ用のワセリンを手配してくれた。小倉さんは「妹尾ちゃん、ちょっとごめんな」と言って、草むらに入り、ワセリンをぬって、お尻をおさえて歩いていた。
 「私は、はたから見ると変な人と歩いているんだろうなぁ・・・」と思いながら。でもすれ違う車はサポート隊のみなさんだった。ありがとう。
 私の中では世界一長いトンネルを通り、永遠に続く下り坂を歩いた。このトンネルと下り坂は、今までの50kmに勝る長さだった。途中たまちゃんが、一緒に歩いてくれた。「えりりん、もう少しよ。もう少しよ」たまちゃんありがとう。
 そして、吉永南方のローソン。吉田英司さんが、いつもと違う真面目な顔で迎えてくれた。かなりほっとした。



 60kmまで歩こう。それまではリタイアすまい。長い下り坂で、サポート隊の車を本当に魅力的に感じ、ここでやめたら・・・・と何度も思ったが、60kmまで、60kmまで、と思って歩いた私はここでリタイアを決めた。
 64km  15時間 100kmまでは、まだまだだったが、自分の中では良くがんばった、と思う。でもやっぱり100km完歩できない自分が、とてもくやしかった。その後、車に乗って後楽園に帰る途中、前を歩く仲間たちの姿に感動した。

 そして後楽園AM2:30 一位のゴールを目の当たりにする。本当にすごかった。ただただ尊敬である。

 この64km歩行で、私は新しい自分は見つけることが出来なかったかもしれない。だが、仲間の素晴らしさ。そして先輩方の偉大さを実感した。そして素晴らしい貴重な経験をしたと思う。
 多くの方に。本当にありがとうございました。.