2005年 100km Walk

 
◆布野 浩子(岡山政経塾 3期生)

「100キロ歩行からの贈り物」



 はじめに
 あの日,5月3日10時から4日10時まで24時間が流れた。今日も同じ24時間が流れている。しかし,あんなにいろいろなことが凝縮された24時間が他にあるだろうか。
 今回の私の結果は,24時間08分100キロ完歩だった。去年は,夜中の12時半に閑谷で一歩も足が前に出なくなってリタイアした。この一年で,私は変わったのだろうか。去年と今年,何が違うのだろう?

 怒り
 今回の100キロ歩行を語るとき,4月17日の35キロ歩行をまず語らなければならない。私の完歩はこの35キロ歩行のおかげだと思っている。去年の経験をすっかり忘れ,ろくな準備もせずに,参加してしまった35キロ歩行。なんとかなるかなという軽い気持ちの結果,大西さんにずっと一緒に歩いてもらわないと完歩できないほど,痛くて情けない歩きだった。自分のいい加減さに腹が立つとともに,こんなしんどいこと2度とするか!という怒りがこみ上げた。私の中で,「今年で100キロ歩行を終わらす」というスイッチが入った。それから,100キロ歩行当日まで常に100キロを意識した。

 だます人・だまされる人
 100キロ歩行を今年で終わらせる!!それだけを心に誓い歩いた。しかし,そんな誓いもしんどくなると,何度となく揺れた。やめたい,リタイアしたい。そんなとき,私を延々とだまし続けた人がいた。サポーターの柳井さん,湊さんである。柳井さんは50キロ地点から,湊さんは柳井さんがダースベーダーになって消えた後から一緒に歩いてくれたのだが,「大丈夫,その調子なら歩ける,歩ける。」と調子のいいことを側で言ってくれた。きっと体はがたがたのはずだが,その言葉に応えるかのように,私の足は前に進んだ。
 私の気持ちが,「もしかしてまだ歩けるのかな。」とだまされると,私の体もまだ行けるとだまされる。だまし上手にだまされ上手,おだて上手におだてられ上手・・・言葉は悪いが,案外とても大切なことかもと思う。

 ゴール
 最後の10キロほどは,本当にしんどかった。体よりも,精神的にまいっていた。せっかくここまで歩いたのに,時間に間に合わないと思ったからだ。リタイアするにも中途半端だし,時間内完歩するのもメドがたたない。気持ちが腐っていた(この表現がぴったり)。
 最後5キロ辺りで恒本さんが,「僕のペースについてきたら,時間内に間に合う。」と言って私の前を歩き出した。間に合うかもと思うだけで,足を進めるペースがはやくなった。最後,目の前で遮断機が下りてきた時,私は急いで走って渡ろうとして,柳井さんに止められた。走れたのに・・・いや,足がもつれてこけてたかな。
 24時間を過ぎての100キロ完歩。でも,ゴールで待っていてくれた仲間がとても喜んでくれた。やっと終わった,やれやれ・・・が実際の気持ちだったが,周りの人が喜んでくれ,握手して,抱き合って,なんだか完歩できてよかったなあとじわじわ・・・

 言霊
 私が100キロを完歩できたのは,本当にいろいろな人が励ましてくれたからである。励ましの言葉の力強いこと,どれだけ心にしみてくることか。元気な心と体でいるときにはなかなか気づかないことであるが,この24時間100キロ歩行では,心も迷い,体も痛い。だからこそ,誰かの一言に心が動き,勇気をもらい,体が反応するのではないかと思う。
 私は,何度も仲間の一言で歩かせてもらった。その積み重ねの結果が100キロ完歩だった。

 終わりに
 さて去年と今年,私は何が変わったのだろうと考えてみた。筋肉がむちゃくちゃついたわけでもない。がむしゃらに練習したわけでもない。・・・確実に年は一つ上がった・・・
 何が違うのか。
 秋山さん,横田さんが50キロ歩いたこと,恒本さんが100キロ歩く確認の電話をかけてきてくれたこと,一平ちゃんのテーピング,整体,ストレッチ,歩き方講座,毛山さんが一生懸命歩いていること,去年一緒に歩いた野田さん,山本さんがワン・ツーを狙っていること,柿本さんが三つ星の靴を買ったこと,高橋さんが家の周りを歩いていること,湊さんが総社の練習の後すごく美味しいお肉を差し入れしたこと,本郷さんの体調がだんだん良くなってきていること・・・仲間がみんな頑張っているということを知っていたということが,去年と大きく違うことだ。(去年は,みんなをあまりよく知らなかった。)
 「100キロ歩く」と腹をくくるのは自分だが,それをやり通すとき,仲間がいると勇気がわいてくる。私はとても素敵な仲間に出会っている。本当に皆さん,ありがとうございました。岡山政経塾,大好きです。