2005年 100km Walk
◆久宗 正
(岡山政経塾 4期生)
「たかが24時間、されど4時間」
「たかが24時間、されど4時間」貴重な体験有り難う御座いました。
5月10日で私も47歳に成りました。年甲斐も無く我ながら無謀なチャレンジをしたものだと反省したり、この年でよく頑張ったなと我ながら感心したりの複雑な心境で、生爪の剥がれた左足の小指の痛みに100km歩行の余韻に浸っています!
今回の100km歩行を振り返って見ると本当に沢山のドラマと気付きが有ったと思います。
24時間で100kmは完歩する事は出来ず東平島交差点の86km地点でリタイヤこそしなっかたが24時間がたってしまい時間切れで今回の100km歩行に複雑な気持ち(ここまで来たら残り14kmなので完歩したい、でも時間が読めない3時間いや5時間かも?潔く時間切れ)でピリョウドを打ちました。来年は48歳に成るリスクを考えながらも再チャレンジに燃えてます。
<100km歩行聴いてから当日まで>
・入塾前の面接で初めて聴くが実感湧かず。(当然トレーニング無し)
・三期生卒塾式打ち上げ会食の時、大西隊長に「無理だろうからサポーターに回った方が良いで」の一言に、不安と闘志の複雑な心境(年齢47歳、体重82kG、体型妊娠8ヶ月のおじ様、運動ここ10年まともにしていない不安、でも高校時代山岳部でアルプスを1週間歩いたことがある闘志)から馬鹿な闘志それも30年前の経験で100km歩行に決意。
・入塾式会食壇上で100km歩行決意からやっとトレーニング開始。夜1時間5km数回、2時間10km1回のみで毎日は続かず3日坊主の繰り返し。愛犬は一度散歩に連れて行くと今日も行けると思い鳴き続けるが体が動かない。
・西大寺までの35km歩行参加。7時間半の経験と途中までの同じコースの体験は今回の100km歩行に大きな意義を感じた。まず今までに経験の無いアスファルトの固い地面は聴いてはいたが靴が良くないと足を痛める。靴が軽い方が楽かと思い買っていたが、結果足首とアキレス腱を痛めてしまった。帰って靴底厚手の物を購入したが足が痛くてトレーニングできず。
もう少し早い時期にこの35km歩行をして置けば本番までに調整が出来ると思われるが、時既に遅し。
もう一つの意義は35km歩いて夕方岡山駅に着いた時残り65kmは丁度津山までの距離であり、この疲れた体と足で朝まで歩けば100km歩行になると思った瞬間、身の毛もよだつ思いで想像も付かなかった。でも正にそれが100km歩行なのだ。
・100kmコース下見で3.5時間車で回った時には更に疲れが出ました。「本当に是を歩くの?とても考えられない〜!」
・1週間後嫁さんと二度目の下見。「多分リタイヤするから迎えに来る為にルートを見とこうか」に嫁さん呆れ顔「こんな距離無理だわ、今からでもサポーターに代わったら」だって!
<100km歩行当日>
足首に痛みを残したままの当日を迎え、当然自力では車で帰れないと思い津山からリュックを背負い電車で岡山駅へ到着。
前回35km歩行の時は駅から後楽園まで歩いたのに、迷わず路面電車に乗る自分に「本当に100km歩く気あるのか?」
位の落ち込みで不安でした。後楽園まで歩いてリタイヤしたら洒落にならないし。更に不安なのは新しい靴にしてから練習が出来ていないので、靴は硬く既に数箇所当たりが有る様だ。
0〜10km
スタート直後から10分もしない内に既に最後尾集団となりどんどん前のグループから置き去りになる。
東山当たりでなんとなく不安が的中し靴があわず既に豆が出来た様子。豆は潰さない方が良いと聴いていたので気を紛らわす為にリュックからラジオを取り出して聴きながら歩くとまた調子が出てきた。
チェックポイントではなんとか作り笑顔で通過。
10〜20km
笑顔で通過して間無しに痛みが増してくるのを実感しバイパスガード下に座り込み早くも靴を脱ぎ捨てる始末「わ〜ひで〜!」既に左小指裏に大きな水泡が出来ているではないか、「もはやこれまでか!たかが10km位でこの状態なら100kmなど無理」同じリタイヤするのなら早目がいいかも?でも最初に止めるのも悔しいしせめて2番目以降にしないと、と独り言を言いながらリュックからスペア―の35kmの時に履いた靴を取り出し履き替えた。なんとなく履き慣れているのでこちらの方が足にはあう事は分かっていたが靴底の薄さ等を考えると100kmは無理と思ったが新しい靴も不安だったので持ってきておいた。
何でもかんでもリュックに入れてきたので重かったが正解だと苦笑いで再スタート。
この間に、寺田さん金関、森本ペアーに追い越され遂に四期生最後尾となる。
サークルKで金関、森本ペアーに再会。しばらくの間2人のお尻と後ろ姿を楽しんだがまた一人ぼっちに成る。この間に大きな収穫があり最後まで24時間歩く事が出来た。実はお尻ではなく金関さんのカモシカのような足、是を疲れるたびにガードレールに持ち上げてストレッチしていたのです。私もしようと思い試すが足が上がらない、それどころか引きつりそう、「駄目だ、でもこの疲れた足を何とかしたい」少しづつ持ち上げて伸ばした瞬間不思議な位に足がすっとする快感を覚えました。それからは30分、1時間歩くたびにガードレールに足を乗せてストッレッチしながら歩いたのが大きな勝因でした。
20〜30km
またこの頃から天涯孤独にラジオを友に川沿いの細い道をとぼとぼと歩いていると前から見慣れた車が近寄ってくるではないですか。嫁さんの黒い車が近づくと「迎えに来たよ」この時20km過ぎで3時を回っていて超ローペースでリタイヤ寸前。
でも強がって「何で今日迎えに来た?明日来るように頼んだのに」と言いつつもとても有り難かった。其処からは前との差や先頭との差を偵察に行きメールで知らせてくれたり、次のコンビにまでの距離を測ってくれたりどんどん情報が入ってきて元気が出た。
30〜40km
飯井交差点からは長い上り坂が始まる、先頭集団と4時間以上の開きとなり5時を回っている状態でかなりきつい。峠を下って久々にチャレンジャーに会い心が躍りました。中村さんと日向さんが道端で2人とも杖を横に足を揉んでいるではないですか。やっとの思いで会えたのも束の間で、出光裏の公園トイレ汚いと聴いていたので酒屋さんでトイレを借りている間に2人の姿は無く、また1人でラジオナイターを聞きながら歩く内に右手に入り江を見ながら日が暮れかけ、一段と寂しくなってきました。備前市体育館に着いた頃には既に8時頃となっていた。
ここで実は悲劇が起こったのです。チェックポイントに居た北川あえさんの顔を見た瞬間に感動とサポーターの有り難さに思わず抱きついた(本当に純粋に変な気は無く)のを、すかさず嫁さんが見ていたようでした。暗がりの中に黒い車が立ち去ってかれこれ1時間以上音沙汰が無くなって初めて気付いたのです。今までと同じように少し前のコンビニなどで休みながら歩いて来るのを待っている位に思っていたのが、電話をしたら急に「もう帰るは、私は何の為に来たのか解らない」などなど結構長いやり取りが有り大変でした。夫婦喧嘩をする為に100km歩行をしに来たのではないはずなのに?
あえさん御免なさい結局この変なドラマの幕を閉じたのは「あの時は暗かったからわからないだろうが、若い女の人ならともかくあの人は同じ位の歳のおば様だから」の一言でなんとか治まりました。ほー
40〜50km
昼間の暑さと足の疲れは日暮れの寂しさも手伝って更に自分をリタイヤに誘うのです。そんな時また前方に道端で座り込んでる人影が見えファイトが沸く。5時間ぶりにまたメンバーに出会う事ができた。中村さんと日向さんでした。かなりのダメージで動かれないので、先に失礼してまた1人で暗がりに足を進めるのですが思うように距離は稼げ、ずいたずらに時間ばかりが過ぎていきます。一度に15分から30分のペース距離は1km、2kmと小刻み。
もう限界、50km手前2kmあたり道端の広場にへたり込み、何度となく靴下を取り替えながら来て5回目の時靴を脱いだ瞬間、親指が2本ある!見ると小指が親指に負けない大きさ、五本指靴下が良いと誰かが書いていたので今回其の五本指を買ったが脱ぐのが大変です。親指のように腫れた小指を靴下から外すのがとんでもなく痛いのです。脱いでビックリです、水ぶくれが全体に広がり爪は完全に浮いて水ぶくれの上で申し訳程度に張り付いているだけ。もはやこれまでか「リタイヤするから迎えに来て」と嫁さんに電話したら「直ぐには行かれない」の返事。「何で、こんな時のた
めに来てる筈なのに」来るまで待てない小指の疼き。どうせ爪は死んでるだろうと思
い水疱を思い切って潰しテーピングで縛り上げると、痺れのせいか感覚が無くなる。
ひょっとしたら50kmまでは歩けるかも?靴も最初の物に変えてみた。こちらの方が幅広で靴底が厚くていけるかも。
駄目元で選択した事が幸いしたのか結構歩けるではないか。その時後ろから一つの明かりが近づいて来るではないか。日向様が1人でした。中村様は、と聞くとリタイヤしたと言われビックリ。これが初めてのリタイヤ情報でした。既に10時を回って居る。後でわかったのだがサポーターの方々は常に情報交換しているがチャレンジャーにはあまり教えない事になっていたらしい。おかげで皆リタイヤ一番だけは避けたいと思い歩けたのかも。
50kmポイントでは比較的調子が良く直ぐ出発できたが、既にこの時点で13時間経過してしまっている。先頭との差はかなり開いているが、まだいけるかも!
50〜60km
豆を潰してからは嘘のように足が動いた。ローソンまでが快調であり座り込むことも無く、時折ガードレールでのストレッチで足の疲れを取る程度。小倉様にローソンで会ったのもつかの間に、閑谷の坂をまっしぐら。道中のサポーターのお声がけに励まされ、ラジオの感度が悪いのを調整しボリュ―ムを少し上げハイテンション。懐かしいなー深夜番組と思いながら快調に閑谷に深夜1時頃到着。ここで小山様に情報を頂きビックリ。かなりのリタイヤ者が出ている事、私の後ろをまだ金関様が歩いている事。また自分の中から訳のわからない闘志が燃え上がって来た。トイレだけ借りて直ぐスタート、おかしい位のパワーが出てくる。まだまだいける。昼間暑い中スローペースだったので返って良かったのかもしれない。
60〜70km
長い下り坂も快調に吉永ローソンを目指すが深夜の冷え込みと周りの暗さはとても耐えられない。感度の悪いラジオを何度も調整し寂しさを紛らわしたり、リュックから軍手,タオル,ヤッケを取り出し寒さ対策とライトも小型LEDを肩から2台照らしリュックの後ろに1台とで完全武装。重たい思いをして何でも持ってきた甲斐が有ったと1人で感心しながら歩くこと30分位でローソンにたどり着く。ここで山田様に出会ったが、惜しくも山田様はリタイヤされると聞き次なるリバ―サイドを目指すが、悪夢の7kmがここに待ち受けていた。藤野交差点超えた当たりから、睡魔と疲労がピークを迎えた。何度となく道端にひっくり返って休んでいたら、通りすがりの車が事故かと思い立ち止まってくれふと我に返りまた歩く。和気橋手前で夜明けを迎え更に眠気はピークに達する。この和気橋を渡れば誰かに会えると思いながらも橋の根元のバス停に転がり込む。10分余り仮眠をしやっとの思いでリバーサイドにたどり着くが人の気配が見当たらない。一気に力が抜けた!夜通し歩いてやっとたどり着いたのに!「もはやリタイヤか電話をしよう」と電話をとり掛けたときに田中様が現れ一安心。
でもその時田中様に吐いた言葉を今も反省します「どうなって居るんだ!やっとの思いでたどり着いたら誰も居ないが!」等の暴言。田中様御免なさい!話を聴いて納得。私も苦しかったこの時間帯にリタイヤ者が続出だったらしく、サポーターの方々も寝ないで頑張られているのに、本当に大人気ない言葉を吐いたと深く反省。その後すぐに大西様も来て下さりまだ頑張れると励ましの言葉。
70〜86km
本来ならリバーサイドでリタイヤしていたかもしれないが、この頃既にゴールをした人の情報や、残りの歩いているひとが僅か10人程度、自分の前を花房様がまだ歩いている、自分の後ろは既にリタイヤして誰も居ないなどの情報に励まされ「まだ皆頑張っているんだ」と思うと再びやる気が沸き体が軽くなってきた。大西様が一緒に歩いてくれたり、リュックを持ってくれたりで、この時ばかりは本当にサポーターの方々のお陰でここまで来れたのだと感動しました。この感動,感謝に応える為にもたとえ100km完歩出来なくても24時間歩き続けよう!足取りは更に軽く快調で歩ける。このパワー何処から来るのかわからないが昨日の痛みが嘘のようだ。そんな時75km当たりで一番でゴールされた加来田様が応援に駆け付けて下さりまた励まされ感動!残り2時間となり80km地点あたり、100km完歩は無理と思った瞬間に足が前に出ない。靴を脱いで足を投げ出して諦めかけると、また大西様に励まされる。リバーサイドで合流した嫁さんまでが車を降りて一緒に歩き出す。もう最後まで歩くしかないなと思い直し我に返る。残り1時間となり訳のわからない電話を花房様にかける「おっさんも頑張るな〜、もう直ぐ追いつくで〜」などの空元気。最後は東平島の交差点で大西様と片山様にタオルでゲートを作って頂きゴールする。100kmこそ完歩は出来ませんでしたが24時間歩けたことに大満足!感動,感謝、感性の3感応で私の24時間100km歩行は幕を閉じました。
決して1人では成しえる事は出来ない貴重な体験が出来た事を心より感謝いたします。政経塾のこの過酷で無謀な企画、サポーターの方々の惜しみない御支援と実行委員会の練習企画のお陰で24時間歩けたのです。たかが24時間ですが本当に長い24時間でした。24時間=1440分と考えると10分間歩く苦しみが144回なのです。同じ時間をこのように自分の状態により長くも短くも感じるものです。1人では落ち込み諦めかけるが、励まされたり声を掛けられるだけでやる気が起こったり、この体験を元に今後の活動に生かします。
最後に100km完歩された皆様本当におめでとう御座います。またチャレンジャーの皆様お疲れ様でした。同じ苦しみを繰り返さない為にも来年こそは笑って完歩しましょう。
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