2005年 100km Walk
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◆小坂 和也(岡山政経塾 4期生)
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「24時間100`歩行日記」
(3月27日)
第三期生卒塾式・懇親会・二次会
24時間100`歩行の話題が中心だったが、当日ブライダルフェアがあり、参加する気のない僕は遠くから話を聞いていた。「この異様な盛り上がりは何?」と不思議な感じ。周囲の人達に声をかけられても「40代は調整に1年かかります。」と笑って答える。
(4月9日)
第四期生入塾式・懇親会・二次会
再び24時間100`歩行の話題で盛り上がる。懇親会の途中で、「参加しない人います?」という司会者からの問いに、僕一人手を上げる。二次会で同期の竹内さん、寺田さん達から「一緒に出ましょうよ。最年長の小坂さんが出れば盛り上がりますよ。」と握手を求められるが、笑って拒否する。
しかし、ブライダルフェアは僕がいなくても大丈夫だし、参加しようかな、と心が揺れはじめる。
その日はさらに飲み続け、そのままホテルのベッドで朝を迎える。
(4月10日)
ひどい二日酔い
しかも、財布・携帯電話・メガネがない事に気付く。ホテルの部屋中を捜すが、見つからず途方にくれる。二日酔いとのダブルの衝撃に仕事が手に付かず早退…。自宅のベッドにて「傍観者でいいの?1年間、同期の人達に小坂さんは逃げたもんなぁ、と言われるよ。」と自分に問いかける。
(4月11日〜12日)
迷い続ける。だんだん今まで過保護にしていた自分をいじめてみたくなる。
(4月13日)
24時間100`歩行にチャレンジする決意を固める。
美人妻に「チャレンジするから動けなくなったら迎えに来てね」と言い地図を見せるが、「私は、岡山の人じゃないので道がわからない」と笑いながら拒否される。続いて次男 広海の部屋をノックし、お迎えをお願いする。彼は、和気閑谷高校に行っていたので了解してくれた。ただし彼はペーパードライバーだった…。
メールにて決意表明。
(4月15日)
岡山政経塾HPの100`歩行レポートを全員分読む(徹夜)。
あまりに壮絶な内容にカクゼンとする。甘い思いが、フッ飛んでしまう。最後は気持ち悪くなってきた。
(4月16日)
ウォーキングシューズ・ソックス購入。
(4月17日)
35`歩行に途中参加。途中リタイア(歩行距離約19`)。みんなが凄く強く見えて、かなりヘコむ。
自分の弱点を冷静に分析すると、全てが弱点の為、ますますヘコむ。体力と根性が無いので、お金でカバーしようと心に誓う。
(4月18日)
24時間100`歩行コースを車で試走。
現実を見てこのコースを完歩できる人は人間じゃないと思う。自分のゴールは閑谷学校と勝手に決める。
(4月20日)
同期の坂本君に薦められたリュック・五本指ソックス購入。
(4月21日)
東京出張。ウォーキングシューズにスーツ姿で夜の銀座を歩く。
(4月22日)
岩手県 安比高原出張。ホテル館内を歩く。
(4月23日)
岩手県 安比高原出張。ピンク&イエロー&グリーンの超派手カッパを買い、吹雪の中約10`を歩く。遭難の危険を感じ、中止する。
(4月24日)
岩手から横浜に移動。Tシャツ・Gパン姿で、夜の桜木町を歩く。
(4月25日)
横浜みなとみらい〜山下公園を歩く。
美人が多くコース変更数回…
(4月26日)
ゴッドハンド田中一平さんにテーピングお願いする。
(4月27日)
急性扁桃腺炎で岡山市民病院に入院。
24時間100`歩行関連のメールすべて病院に持ち込む。お医者様に100`歩行の話をすると「入院する意味がない!! 絶対ダメです!!」とお叱りを受ける。点滴生活が続く。
(5月2日)
自宅での安静を条件に退院許可をして頂く。
午後よりホテル出社。仕事がかなり溜まっており、夜中12時に処理終了。その後、政経塾のMLを見たら、なんとエイズで入院したとの誤報が流れており、椅子から転げ落ちる。(発信元は男前の小山事務局長であった)深夜2時頃久しぶりに自宅に帰る。
(5月3日)
24時間100`歩行当日
<2:00>
チャレンジかサポーターかでまだ迷う。眠れない時間が過ぎる。誰かのメールで前夜は○○○を控える様にと書いてあった事を思い出し、○○○をしてチャレンジを断念しようか、などど色々な思いが頭の中を駆け巡る。眠れぬまま朝を迎え、リュックに、着替え・ソックス・ドリンク・ワセリン・エアーサロンパス・コールドスプレーを詰め、五本指ソックスをはき家を出る。
<9:00>
迷ったままチャレンジャースタイルで、後楽園に到着。久しぶりにみんなの顔を見て、気持ちがだんだんハイになってくる。
誰か「一緒に行ける所まで行きましょうか?」と言ってくれたら、参加するぞ!という気持ちになってくる。その時遠くから「お〜い、エイズどうだった?」と小山事務局長の大きな声が聞こえた。「陰性でした」と笑って答える僕。
その後、先輩・同期のみんなと話をしていくうちに、こんな中途半端な気持ちでチャレンジする事は、チャレンジャーにもサポーターにも失礼だと思う様になってくる。特にサポーターに迷惑をかける事は心苦しい、やはりチャレンジすべきではないと思い、そっとサポーターミーティングに参加する。自分の体調を考え、「夜から翌日終了までサポートさせてください」と大西隊長に伝える。
<10:00>
全員のスタートを見送り、自宅に帰るつもりが気になって護国神社で車を止め、再び全員を見送る。先頭から最後尾まですでに10分の差がある。ずいぶん先頭がハイペースで歩いている。真夏の様に暑い。
<11:00〜21:00>
自宅にて仮眠を取ろうとするが、みんなが苦しんで歩いている事を思うと眠れず、繰り返し時計を見ては、今何キロぐらいを歩いているのか想像する。結局あまり眠る事無く自宅を出発する。出発前に次男 広海から「パパ 和気は本当に寒いよ。市内と違うよ。」と言われ、真冬用ベンチコートを持って行く。まさかこのコートが役に立つとは…。
<21:30頃>
吉永ローソン着。ニ期生の垰さん、三期生の田中さん、小崎さん、同期の高畠君、高田君とチャレンジャーを迎える。昼の気温が嘘の様に寒い。次男の言った事は本当だった。みんな こんな20度も違う温度差の中を戦っているのか…
<22:10>
同期の瀧君が三期生の本郷さんと到着。二人とも元気そうで安心する。あれっ?一番元気な同期の忠澤君はどうしたんだ?
<22:15>
忠澤君到着。様子がおかしい。田中さんがマッサージ。体温が下がっているので、僕のベンチコートを使って、体を暖める。小崎さんが頭をマッサージ。
<22:25>
三期生の秋山さん、横田さん到着。まだまだ元気。全員で介抱されている忠澤君を見て「な〜に この待遇の違いは…」と笑う。
<23:00頃>
穂浪橋に行って欲しいと隊長より指示有り。急いで向うが、夜でコース逆走になる為、何度も道を間違える。日生の近くまで行ってしまった。吉永から穂浪橋に向う途中、多くのチャレンジャー達を発見。閑谷学校を越えた地点の毛山さん、柿本さんは元気に歩いている。その後はみんな辛そうに歩いている。
<24:00頃>
穂浪橋で最後尾の同期の金関さんを発見。ボロボロになって穂浪橋に到着した彼女にかける言葉がない。もう十分頑張っている彼女に、「頑張って!」なんて言えない。自分の無力さを痛感する。もうここで十分ですよ、と思う。でも彼女は笑って「私、もう少し歩いていいですか?」と言った。隊長から閑谷学校に行って欲しいと指示があり車に乗った途端、泣けてきた。そして、また道を間違え日生に行ってしまう。
<1:00頃>
閑谷学校でリタイヤした同期の竹内さん、日向さん達と会う。隊長から吉永ローソンに行って欲しいと指示があり向う。途中で悪友のニ期生村松君を発見。声をかける。彼は「小坂さん、ここは変なケモノがおる。こえぇ〜」と叫ぶ。確かに山の中から「パォーン」と変なケモノの泣き声。村松君、ここで恐怖に負けてリタイヤ。この時見た星空の美しさに感動する。
<2:00頃>
吉永ローソンにて二期生の山田さん、同期の久宗さん到着。う〜ん、久宗さんはしぶとい。思えば35`歩行の時、絶対勝てると思っていたほぼ同じ歳の久宗さんに抜かれた時、僕の心は折れた。
<2:30頃>
久宗さん再び歩き出す。リタイヤした山田さん、サポート隊の垰さんを乗せ、同期の坂本君、安藤君のサポートに移動する。和気からリバーサイドまで二人の後からライトを照らし見守る。
<3:15頃>
リバーサイドでついに坂本君リタイヤ。かける言葉がない。その後、安藤君を熊山のセブンイレブンまで見守る。後部座席から山田さんと坂本君のイビキ、隣を見ると垰さんもコックリ様になってきた。安藤君は1回も休む事無く一人で歩く。僕もウトウトしながら運転し、安藤君をはねそうになる。(ここではねたら、岡山政経塾に伝説として残った事でしょう。〜サポーター チャレンジャーをはねる〜)
安藤君、熊山のセブンイレブンでついにリタイヤ。道を間違えて2時間余分に歩いても折れなかった彼に「すごいな、こいつは」と感動した。もう夜が明けていた。その後後楽園に向けて車を走らせる。途中チャレンジャー達に声をかけながら後楽園着。トップの三期生加来田さんをはじめ、次々に栄光の完歩者達がゴールのテープを切って行く。完歩されたみんな あなた達は本当にカッコ良かったです。
リベンジされた9名の先輩達あめでとうございます。
毛山さん、ゴール前でサポートしている僕を突き飛ばさないでください。いきなりのダッシュびっくりしました。初チャレンジで完歩した同期の瀧君、増田さん、来年はV2ですか?リタイヤしたみんな 来年は一緒に頑張ろうね!
数々のドラマを見せて頂き、入塾式の異様な盛り上がりがやっと理解出来ました。
<12:00>
自宅にて興奮が冷めず、一人で祝杯を上げる。2日間寝てなかった事と退院後初めてのビールだったので、頭がフラフラして、リビングにて爆睡。
<17:30>
居酒屋で家族と退院祝いをするが、少し飲んだだけで意識を失う。
気が付けば自宅のベッドの上。(翌日、家族の冷たい視線が…)
(5月5日)
ひどい頭痛の中で考えた。来年は必ず後楽園でゴールのテープを切る。僕のゴールは閑谷じゃない。1年かけてダイエットしてトレーニングしてやると。当日のゼッケンをリビングの自分の席の真正面に貼る。
夕方お腹が空いたので、平島のマックに行くが、この場所で三期生の横田さんが無念のリタイヤをしたんだと思うと、横田さんの地縛(しばく)霊がいる様で、8番ラーメンに店を変える。
(5月9日)
24時間100`歩行打上げ
チャレンジしていない僕にとってみんな輝いて見える。
完歩した人も、リタイヤした人もみんな共通の体験をしている。悔しがる権利もない僕はみんなとは別の意味でリベンジを誓う。
(5月11日)
備前・吉永で打合せがあったので、再び100`コースを車で試走。どの場所も苦しんで歩いているみんなの残像がある。この残像は1年間続く事でしょう。
僕にとっての2006年24時間100`歩行はもう始まっている。
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