2006年 100km Walk

 
◆大西 平一(岡山政経塾 2期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「CRYING GIRL」




もう歩けないと泣き、
足が痛いと泣き、
休憩しては泣く。
どんな説得も役に立たないだろう。
一歩、一歩進むしか ゴールには近づかない。
指は腫れ、びっこを引き、泣きじゃくり、そんな君はゴールに辿りつけるだろうか?
でも、泣きじゃくる君をゴールに届けることが僕の使命だ。
そして、あなたが歩くしか僕のサポートは終わらない。



「4度目の100キロ歩行」
 今年は僕にとって偶然にも大きな成果を頂いた100キロ歩行だった。
 3度の100キロ歩行では、「あの時、もっと声をかけていれば、100キロを歩けたのではないか?」という悔いがあった。自分の前で3人がリタイアしていった。1年目は小寺さんの90キロリタイア、2年目は岡ちゃんの70キロリタイア、3年目は久宗さんの82キロリタイア。100キロは、きっと自分の中で決意しなければ歩けない。自分ひとりの闘いだろう。でも、彼らは僕が本気でサポートすることで歩ききることができたかもしれなかったのだ。

 偶然にも、その答えを今年出すことができた。5、60キロで既にリタイアしそうだった杉本さんのサポートにつき、100キロをともに歩いたのだ。彼女の100キロは本当に壮絶だった。残り25キロは足を引きずり泣き続けたままだった。手指は腫れ2倍に膨れ上がり、足をマッサージしようにもパンパンで触るのも怖いくらいだった。友人から電話がかかってくれば、「痛い、痛い」と悲痛な声をあげた。僕にはもう歩きたくないという彼女を説得できる言葉は持ち合わせていなかった。説得ではなく「頑張れ、歩け」と本気で叫び思いを伝え続けた。

 しかし、残り5キロになって時間がなくなっているのに、ゴールに近づくほど彼女の足は前に出なくなり止まりそうなる。彼女には頑張れの声ももう届かなくなってしまっていた。どうしようもなくなり、僕は何も言わずに、背中をポンと押した。彼女はまた歩き出す。そう、まだ歩こうとしている。少しのきっかけを与えれば、彼女はその力を利用して歩き出す力を持っていた。

 後楽園の橋を渡るとき、「着いた」と泣き出してから初めて目を見開いて笑ってくれた。僕から出た言葉は「着いたね。よくやった。」そして、「ありがとう」という感謝の気持ちだった。彼女がゴールした後に、僕の4年目の100キロのゴールがあった。そのゴールもまた光輝いていた。



 今回は、@本気でサポートすれば、チャレンジャーに力を与えることができること。Aチャレンジャーには最後の最後まで前に進む力が残っていること。B泣いた顔よりも笑った顔の方が美しいこと。 を学びました。この学びを活かして生きたいと思います。
 西原幹事、小山事務局長、サポート隊、チャレンジャーの皆様、お疲れ様でした。そして、今年もありがとうございました。