2006年 100km Walk

 
◆加来田 博貴(岡山政経塾 3期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「サポーターとは?」



 今年の100km歩行には、サポーターとして参加させて頂きました。今回、一番印象的でしかも考えさせられた時間は、金関さんと共に歩かせて頂いた80km地点からゴールまでの約4時間です。「私は彼女に何が出来るのか」、「サポーターとはどうあるべきなのか」またそれを通じ、自分の職である「教育とはどうあるべきなのか」を考えました。このレポートでは、金関さんのサポートをすることになるまでのプロセスも含め、印象的だったこと、考えたこのようなことを書きたいと思います。



 昨年完歩出来たこともあり、「今年は恩返しにと」という思いで参加させて頂いたのですが、とは言え、イベント開始まで、いたってのんき、その反映か歩行訓練も、また歩く格好も準備もしておりませんでした。しかも、イベント終了後すぐに帰郷するつもりでいたこともあり、革靴にジーンズというそれなりの準備しかしていませんでした。それが後々あだになるとは。状況が一変したのは、朝、後楽園でのサポータミーティングでの一言、「では加来田さんには、夕方から女性チャレンジャーのサポートということで、一緒に歩いて頂きます」でした。その言葉に驚いた私に、北川さんだったとも思いますが、「政経塾だもの、突然の決定なんて政経塾らしいでしょ」との励ましは、とても印象的でした。

 さて、チャレンジャーの方々が炎天下歩かれている一方で、こちらは一緒にサポート隊をくませて頂いた野田さんの車で、チャレンジャーの方々を追いかけながらその時が来るのを待っていました。回りが暗くなり始めたのは6時すぎだったでしょうか。その時点で女性中トップを歩かれていた金関さんに、私は市民センターから同伴することになりました。そもそもこれは、暗い中歩くのは女性には危険ということで、男性が付き添うことになったのですが、「お一人のペースで歩かれたいのではないか、また私に気を遣われているのではないか」と感じていたのは正直なところです。市民センターから万富のサンクスまでの27kmを私が同行させて頂いて、それから野田さんにバトンタッチ、野田さんとは再び瀬戸署でバトンタッチしました。私が同行させて頂いていた間には、何度も過呼吸症状となり、車内で休憩させて頂くようになりました。正直この地点で、翌朝の10時までにゴール出来るか確信が持てなくなっていたものです。が、サポートするものが「出来ない」という言葉を発してはいけない、そう私は考えていました。ゴール近くになって、金関さんには何度も「まだ間に合う?」と尋ねられましたが、私は「大丈夫」か「金関さんの気持ち次第です」のような言葉しか返せなかったです。



 東平島あたりだったでしょうか、金関さんはかなりの疲労状態でした。北川さんたちが心配して私ども二人のところへ寄ってくださるのですが、かける言葉も無かったようです。その北川さんの態度には、胸あつくなるものがありました。金関さんは過呼吸状態も頻繁になり、私の気持ちには「もうだめかもしれない」とのあきらめの気持ちが芽生えし始めました。しかし本人は、「なんとしてでもゴールしたい」という意志を発せられている。外見的に無理そうなことが分かりながらも、私は彼女の気持ちだけを頼りに、ゴールを目指すことを決めました。ゴールをすることを決めた、というのは、金関さんが、「もうリタイアします」、と発したとしても何としてでも一緒にゴールしよう、と決めたということです。これが果たしてよかったのか? サポーターとしてよかったのか? 正直、その時も悩んだのですが今でも悩んでいます。これに関連してですが、日頃の私の大学での学生に対する態度について考えました。私は、『学生には目指したものを得ることで得られる「感動」を与えたい、それを私と分かち合わせて欲しい』、との思いでいます。それを今回の金関さんには押し付けたのではないか? 私はこれで本当によかったのでしょうか? また今回金関さんにとった行動とおなじようなことを学生にしている私は、教育に携わるものとしていいことなのでしょうか? いまだに考え中です。



 さて、結果的には金関さんと共に、そして最後は4期生の瀧さんと共にゴール出来、昨年の感動を再び味わせて頂きました。が、その一方で、革靴の底は削れ、おまけに予想外の筋肉痛に苦しむことになりました。なお、靴はもったいないので今でもはき続けています。



 最後に、いつも気付きの機会を頂ける、この岡山政経塾に感謝申し上げます。また西原幹事、小山事務局長と毎年参加され、本イベントを支え続けていらっしゃられることに敬意を表します。チャレンジャー、サポート隊の皆様には、準備の段階できちんとした対応が出来なかったことをお詫び申し上げます。そして、共にサポート隊を組ませてくださった野田さん、多くの感動をくださった金関さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。