2007年 100km Walk

 
◆三宅 雅(岡山政経塾 5期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
■ 挑 戦 ■




今年も100kmもの長丁場へ臨む、挑戦者達のドラマが繰り広げられた。

それぞれの目標に向かい、それぞれの準備と、それぞれの覚悟の下、それぞれの自己との戦いがあった。そして、極限状態の自分との対話や仲間との連帯の中で、それぞれの得難い「気づき」があったはずである。

何かに「挑む」姿というのは、否応なしに回りの者を巻込むようだ。

途中のサポート地点となったコンビニで幾人にも聞かれた。
「何やってるの?」
「へぇーーーー、24時間で100km歩くの、すごいねぇー」
「頑張ってね」
見ず知らずの人々が、無条件に応援してくれる。

そうした話題をきっかけに、それぞれの出身やら趣味やら、あれこれとつい話の花が咲いてしまい、ついさっきまで赤の他人であったのが、しまいには10年来の友人であったかのような笑顔とともに別れを惜しみつつ、出発する。

人生という舞台を生き抜くとは、決して自分一人で成せることではないことを再確認させてくれる。「よき社会」とは、そうした人々との拘わり合いから作り上げられていくものであろうことを予感させてくれる。

そんなことを考えさせてくれる24時間であった。



また、100km歩行のサポートとは何かについても、多くのことを考えた。
結局、歩くのは挑戦者達自身であり、自分に与えた試練に立ち向かい、完遂するか、どこかで折り合いをつけるかも彼等自身に帰する。サポーターに出来ることはとにかく無事にゴールにたどり着けるよう、手配りをし、最低限の物的支援をし、後は静かに見守るだけだ。

昨年挑戦者として100kmを歩き、またかつて幾度となく市民マラソンに参加した経験もあるが、サポーターとして支援する立場になるのは今回が初めてであった。沿道の応援は、確かにありがたいものであったが、なぜ好き好んで苦しい思いをしている自分に、あれほど熱心な応援をしてくれるのか、正直不思議な感覚も少しあった。

しかし、支援する立場に身を置いて改めて見えてくるのは、何かに真摯に「挑む」姿の健気さ、気高さである。そういうものを間近に見たとき、多くの人は自然な発露として「ガンバレ」と言ってしまうのだろう。

100km歩行に携わった事務局、実行委員、サポーターの全ての皆様、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。この良き伝統が、より良く、無事息災に続きますように。