2007年 100km Walk
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◆前 秀美(岡山政経塾 5期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「100km歩行というドラマたち」
4日の10時、大の大人たちがきらきらした表情をしながら後楽園で毛虫のようにゴロゴロもがきあっている。「ああ、これだから100km歩行は、なくならないのだなぁ」と思わず笑みになってしまった。 100km歩行をし、たくさんのドラマを見させてもらった。それぞれのドラマの主人公たちは、苦しみ、嘆き、泣きながら、24時間を生きていた。
サポーターは、100km歩行の主人公ではない。私が今回の100kmで、とても苦しみ学んだ点だ。私は去年の100km歩行がとても楽しくてしょうがなかった。しかし、主人公みんなそんなわけではないことを目の当たりにする。
私の声は、何歩、主人公の足をださせてあげることができるのだろうか。「これ以上、進めない」という者を前にして、なんと声をかけるのか。
伴歩している横で歯を食いしばり、前に進むチャレンジャーの姿が美しかった。その人のがんばる姿は、思いが通じているようでうれしく、私の足の痛みを心地よくさせ、サポーターをする楽しさを何度も感じさせてもらった。
100kmをやむなく辞退する主人公もいる。とてもつらかった。自分が挑戦していたときよりも大きな壁であった。悔しかった。まだ輝ける主人公が、「もう舞台を降りてしまう」と、劇の途中で「幕を閉めよう」と言っているようだった。自分の声が届かないことが、とてもつらかった。自分がその人の「ギブ・アップ」を理解できないことがとても悲しかった。
100km歩行のサポートをして、ひとつの壁にぶつかった。「ギブ・アップ」が何であるかが、理解できていない。今まで、「ギブ・アップ」から遠い生き方をしてきのか、人間と生きていくためには、それを理解しないといけないかもしれない。私は、強いわけではない。うぬぼれているのだろうか。つらさや悔しさは理解できるが、「ギブ・アップ」が理解できない。
正直なところ、とにかく悔しい思いが残るばかりだ。この悔しさを乗り越えたい。
24時間100kmチャレンジャー、サポーター、幹事の皆様お疲れ様でした。今年も考えさせられた24時間ドラマでした。本当にありがとうございます。来年も是非参加させていただきます。
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