2008年 100km Walk

 
◆沢良木 敦 (岡山政経塾 4期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「おかげ様です」



 今年完歩できたのはみなさんの声援・応援・サポートなどのさまざまなお力添えがあったからこそ、その見える力見えない力を全身で感じられたからこそ、おかげ様で歩ききることができたと思います。本当にありがとうございます。
 
一、 1年目
 一年目は仕事のため、ゴールでのサポートのみ参加。まだ入塾したばかりで不安だらけの時期でした。でもこれはすごいことになるなという波は襲ってきていました。

二、 2年目
 卒塾後の初チャレンジ。距離感がつかめなかったのと、道がわからなかったことなどで、歩くがスピードは遅く90キロでタイムアップ。
 この年、4期生のほとんどが完歩したため、来年チャレンジで歩かないとこれは大変なことになるなという大波が襲ってきました。

三、 3年目
 2回目のチャレンジ。とにかく歩幅が狭いので早く歩こうと決意するが、20キロあたりから苦痛。足が極度に痛くなり、閑谷学校でリタイア。
 この足の痛みや1回目より短かく終わったこと、そしてこの痛みやつらい思いを来年もやるのかどうするんだという不安という津波が襲ってきました。



四、 4年目

1、 頭にずっとある
卒 塾はしたものの何かすっきりしない、何か大きさが大小する魚の骨が引っ掛かったような感じがある。
 取り除くにはやるしかない。でも2回目のチャレンジでリタイアした記憶がもう1年経過したというのにくっきり鮮明に思い出される。だからチャレンジするのかと聞かれると、ものすごく考えこんでしまったし、絶対に勢いでチャレンジするとは口が裂けても言わなかったし言えなかった。

2、 話を聞いていくうち
 私ごとで今年会社を辞め、いろんな方に相談や話を聞いていく中で、「これからの人生を考えれば100キロ24時間なんてたいしたことないよ!って言えるようになろう」って言われたり、励まされたりされているうちに、今年チャレンジしよう、今年もしだめだったらもう2度とチャレンジしないと決めた。

3、 練習会
 とはいえ練習会に参加するのに気後れしてしまって出ず、私みたいな運動歴のない者がいけるかなという思いがあった。だが、本番も近づいている参加したほうがいいOBの方もという練習会メールを読んで、最後の7回恥を忍んで遅いの承知で参加した。
 みんなよりは遅かったが、この練習会のおかげで自分のスピード・時間・距離がわかり、つくづく参加してよかったと思った。

4、 準備
 2回の失敗で、@ライトの重要性、A方向音痴の克服、B荷物を極限まで減らす、Cテーピングを最初からきっちり、など踏まえ準備した。

5、 前日
 なぜか目が冴えて眠れない。集合時間の電話が入ったが、もう朝起きたら7時にでも後楽園に行く予定だった。

6、 スタート
 案の定早く起き、タクシーで7時20分に後楽園着。トイレ行ったり準備体操したりしているうちにスタート。

7、 26キロまで
 日差しが強かったが、まだまだ長い道のりであることを熟知しているので練習会の人たちとペースを合わせ順調に進んでいった。

8、 31キロまで
 飯井までが思っていた通り長かった。この嫌気のする長い道もまだまだ何箇所もあることを熟知しているので足がパンパンになりながらも歩いた。
サポート・マッサージ・フォローしてくれた方にどう感謝を伝えていいかわからないくらいうれしさを感じた。

9、 40キロまで
備前体育館までは水ぶくれがつぶれたり、スピードが出なかったりと厳しい道のりだったが、17時にいったん十分柔軟し、ここからは練習会のスタート(津島モール)と同じなんだ、と言い聞かせて、練習会の風景(メガネの愛眼曲った、裁判所曲った、岡大前歩いてる・・・)を思いながらスピードを出した。

10、86キロまで
 40キロ越えてから86キロあたりまでずっと7期の藤井さんとペースが合っていて一緒に歩いた。初チャレンジの際、一人で歩いて道がわからなくなったりライトが壊れたり大変な目にあったので、今回夜が明けるまで一緒に歩ける方がいて本当にありがたかった。また、その地域の方の穂波橋での温かいお茶や閑谷学校での食事の差し入れにはただただ頭が下がるばかりでした。

11、90キロまで
 だんだん柔軟する時間が多くなり、スピードも落ちてきた。もう着くだろうと思っていた古都宿があまりに遠いことをサポートの方に聞き、愕然とし、もう少しスピード上げないとという声にふくらはぎをたたきまくってスピードを上げた。

12、96キロまで
 あと10キロ、マッサージ・テーピングしてもらい、カウントダウンしながら歩けばいいのよという声に疑念を持ちながら、ここからは未知の道なので案内してもらったり応援してもらったりして、初めての東岡山から高島までを歩いた。この線路沿いは昨年リタイアしたときに車で通った道で、来年歩けるのか不安だった箇所だが、今年サポートの方に送りだされるように4キロの距離を止まらず勢いで歩いた。
  道が不安だったところもサポートの方がいてくれたおかげで助かった。

13、98キロまで
  98キロまで来たあたりから、サポートしてくれたみなさんや、がんばれと言ってくれたみなさん、写真を撮っていただいた方、いろんな方を思いだすのとともに、3年かかったが、みなさんのおかげでやっともう少しで歩ききれるんだという思い、サポートの方の「一歩一歩が完歩に結びついている」(すいません再現できません)と言った言葉に涙が出そうになった。

14、後楽園
  完歩できるということがわかり、安堵と感謝と複雑な気持ちが入り混じり、泣き笑いながら歩いた。
後楽園手前の橋のあたりで、過去3年、後楽園の中からゴールしてくるチャレンジャーを見てきた自分から、見られる自分になったんだと不思議な感覚に襲われた。
 なぜなら、そこで見ている方たちはずっとサポートしてくれていた方たちで、その力があったから歩ききれたのに私一人白いテープ切るのはいいのか、少なくともゴール前にみなさんへ感謝の思いを伝えたい気持ちでいっぱいになりながらのゴールとなった。



五、最後に
  100キロはここ数年の中で越えたい高くて分厚い大きな壁でした。自分で引ける限界をはるかに越えた壁でした。まだまだ越えたいし越えなければならない壁がたくさんあるけれど、100キロを完歩できたことで、自分に欠けているもの、弱いところ、昔はあったのに減ってきているものがわかったので、これから力をつけて越えていけるようがんばっていきたい。
 4年前に入塾してたくさん学んだ1年だったが、卒塾してからもさらに学び、気づき、ともに一歩を出せるみなさんと出会えたことに感謝します。
  本当にありがとうございました。
                                    以上