2008年 100km Walk

 
◆源  真典 (岡山政経塾 5期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
様々な「力」



想い

 ある日、小山事務局長から「今年の100キロ!源!お前サポート隊長な!」と任命されたことが記憶に新しい。薄々は・・いや、確実に私にくるという予感はあった。去年実行委員長の多賀さんは広島で頑張っている。そして、先輩諸氏からは「源〜源〜」という圧力を感じていた。そのおかげで、覚悟が出来ていたことは間違いない。
 
 覚悟があればあとは行動である。様々な配慮を考えた結果、副隊長に三宅さん・井上さん・尭君に声をかけた。3人とも気持ちよく「OK!」と答えてくれたのである。ここで私のやる気も満々である。これは後々になって分かることだが、サポート副隊長は3人より4人がベストであると考える。しかし、その時の私は3人で良い(私を含めた4人)と勝手に決めつけていたのである。そんなことに気づかず私を含めた4人で最初に任されたことは「今後100キロ歩行を続けていくための基本ルール作り」であった。
 
 2月からは、優先順位を上げ、様々なアドバイスを頂きながら議論を重ねました。そして出来上がった物が「岡山政経塾24時間100キロ歩行実施にともなう協議」である。
 サポート初体験の私が大まかに全体を把握できたのも、皆で議論しながら作ったおかげである。やはり、考えながら議論するということが一番腹に落ち、身になる。結果、意思統一のできたサポート隊が完成されたのである。
 もちろん、その中に先輩諸氏の経験と哲学が溢れていたことは言うまでもない。
 
 今回の100キロ歩行に関して、意図していたことが3つありました。
1・無事故無違反であること。
2・全員完歩。
3・将来、岡山の地域活性化につながれば!という個人的な想い。
 
 3を実現させる為には、確実に無事故無違反を貫かねばなりません。たった1回の事故が全てを終わらせてしまいます。未来に繋げる事を自分で決めた瞬間から、責任という重圧が常に存在していたのは間違いありません。しかし、振り返ってみると「先輩諸氏が0から築きあげた100キロ歩行を5期で終わらせるわけにはいかない!」という「想い」が一番強かったのではないでしょうか。そして、5期生全員の心の奥底にこの「想い」があったのも間違いありません。その証拠に来られないはずの5期池田さんが時間を作り、応援に駆けつけてくれました。久しぶりの再会に井上さんと共になぜか抱き合うほど嬉しく感じたのを思い出します。

ミス・ふり・逃げ・反省・気づき・感謝
 
 シフト表を作る辺から私は大きなミスに気づいていたのであります。副隊長がもう1人必要だ・・と。しかし、私は受け入れようとせず、突き進もうとしていたのである。なぜそのまま行こうと考えたのか・・「今さら言ってこられても・・」「最初は当てにせんかったくせに・・」と思われる事が不安だったのである。そう、自分のミスに対して勝手に理由をつけ、ミスに気づかない「ふり」をする弱い部分が顔を出していたのである。ミス・自分の勝手な解釈・逃げという3つが最悪の結果を招いていたかもしれないと心から反省し、気持ちよく「OK!」を出してくれた中屋んには感謝の言葉しか出てきません。そして、今回のサポート隊が完全体になった瞬間でもありました。
 
 丁度その日はサポート隊のメンバーでご飯を一緒に食べ、最も重要なシフト表の作成に取りかかる日でありました。大体のことは頭の中に入っていて、後はどうやってシフト表を作るか悩んでいたそんな時、高畠さんから頂いた1枚の紙・・・完璧なまでのシフト表であった。これも私の思い込みがあり、シフト表があるとはこれっぽっちも思っていなかった。去年の資料は全部もらっていたと決めつけていたのである。恥ずかしい限りである。私は心の中で深く反省し、皆で様々な配慮を考えながら夢中でシフト表を作ったのである。
 
 ここまでの事で私は自分の甘さと多くの方への感謝を改めて痛感した。勿論、リーダーが率先して行動しなければいけないことは間違いないが、こんなに頼りになる先輩諸氏や同志と共に一つの目標に向かう楽しさは格別の味でありました。これは仕事でも同じであります。私は周りをあまり頼りにしていなかった部分が見えたのです。「わしがやらねば誰がやる!」と言った松下幸之助塾主のこの部分だけを抜き取り、全て一人で背負い込もうとし、周りを巻き込んで目標に向かうということを忘れていました。今の段階でそこに気づけた事は私にとって本当に大きく、サポート隊長を任されたことに心から感謝しているところであります。
 
いざ100キロ歩行

 直前会議も無事に終わり、少々の不安材料はありましたが、心と体の準備は万端でありました。朝起きてから「無事に終わりますように!」と快晴の空に手を合わせ、いざ出発。今回はテレビやラジオの取材もあるという事で、一応心の準備はしていましたが・・私のところにカメラが来ることはありませんでした。しかし、そんな事を気にする余裕もなくあっという間にお昼になっていました。

超人西村氏との闘い

 今回は西村さんを筆頭にかなりのハイペースであり、後々まで苦しめられ、泣かされたことが一番印象に残っています。練習会に参加した時に感じた、「もしかしたら飛びぬける人がいるかもしれないな」ということは予想していましたが、トップと最後の差がここまで開くとは想定外の事でした。
 日中は31度という暑さとの勝負。そこに事務局長から1本の電話が「善木さんがいなくなった!」すぐに引き返し捜索に向かい、顔が赤くなり、すでに辛そうな善木さんを発見。暑さにやられたらしく、少し休憩を取るということでしたが心は折れていなかったので安心しました。ここからが勝負の始まりでした。「このペースで大丈夫かな?」という心配をよそに西村さんは坦々と力強く歩いておられました。「もうペース落ちるだろう・・・」と何度思ったか。そんな私を裏切り続けた西村さんは備前の体育館を16時に通過、善木さんは大富の三叉路でその差20キロ。20時にきてくれる予定のチェックポイント担当者が間に合わないのでは・・という不安が現実となり対応の連続。申し訳ないと思いながら善木さんをエリア責任者の副隊長に任せ、切り離すという判断に決める。これで、少し楽にはなったがそれでもトップと最後の差は大きい。もう勝負どころの話ではなく、「どうしよう・・・」と考えに考えているそんな時、救世主が現れたのである。その名は柳井さん。「何をよん!切り離せ!切り離せ!」と一言。「えっ???」私は少し時間が止まり「それ最高っす♪」とすぐに判断し、仲達さんに電話し、西村さんにマンツーマンで付いてもらい、チェックポイントの時間だけ手書きで行ってもらうようお願いしました。
 
 この切り離しが今回の最重要ポイントであり、最高の判断でありました。柳井さんは「こんなことあたりめ〜じゃけ〜」と笑いながら言いましたが、私はその当たり前が出来ませんでした。トップを切り離すという事はあってはならないことだと思っていました。しかし、そんな私の中にある常識をぶち破る判断力の持ち主の知恵は本当に勉強になり、今後何度と迫られるであろう判断にも対応できる自身がつきました。
 
 全てが勉強になった100キロ歩行。いくら企画力があり、計画が整っても段取りどおりにいくはずもなく、その場その場での判断力・コミュニケーション力・行動力・決断力等、様々な「力」が必要であり、現実・事実を知るための情報力から本質を見抜く力がなければこの厳しい時代を生き抜けないと気づきました。一人の「力」には限界があります。チーム力やグループ力の大切さを改めて掴むことができました。そして、人間力とは様々な「力」を高めること、それは経験ではないかということも掴むことができました。
 
全てに感謝
 
 5期生最後の1人安木さんの完歩には様々な想い入れがあり、途中泣きそうになりました。永岑先生の後ろ姿は偉大に見えました。誰もいないチェックポイントを通過し、痛みや孤独と戦いながら坦々と歩いている善木さんの姿には勇気付けられました。逢沢幹事と宇佐美さんの気迫のスパートは見習わなければいけません。西村さんのおかげで様々な勉強ができました。チャレンジャーの皆様には、リタイアという仕事をさせなかった心の強さに感謝しております。あの一杯一杯の時にリタイアが出ていると対応できなかったかもしれません。
 そして、西原幹事、小山事務局長、6年目のサポート本当にありがとうございました!7年目もぜひ宜しくお願いいたします。サポートからの立場でも限界を超え、未知の領域に挑戦することが出来ました。
 サポーターの皆様お一人お一人名前を連ね、一言書きたいのですが、ずいぶん長くなっておりますのでお会いした時に言わせてください!「本当にありがとうございました!」皆様の責任ある本気のサポート受け取っております。感謝しております。

 最後に、副隊長の三宅さん、(100キロ君は最高でした!あれがあったから常に全体が把握できました。)井上さん、中屋ん、尭君、最高のチーム力でした!本当に助けられ心強かったです。
 
 本当に皆様に支えられ、何事もなく無事に2008年度を終えることができました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました!来年もサポートします!