2009年 100km Walk

 
◆山田 浩三(岡山政経塾 2期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「岡山政経塾 100キロ歩行 〜サポーターとして」




☆思えば、遠くへ来たもんだ
 1期生が100キロを歩くのをサポートさせていただいたとき、「完歩」自体が困難でした。知識は少なく経験もなく、靴選びすらわからなかった時代がありました。朝の6時過ぎ、新幹線沿いの道路を歩く、応援をしても何の返事も返ってこない、まったく冗談の通じない柳井さんがいたことが印象に残っています。みんな必死でした。
 今でもチャレンジする皆さんが必死なのは同じですが、いろいろな意味で何もかも厚く豪華になりました。
 100キロに携わってきたすべての皆さんの汗と涙と血と智が、この「行」を支え、作り上げてきたのだと思います。

☆自分のジレンマ
 前回は61キロの吉永交差点でリタイアしました。
 無念さ、達成していないことの恥かしい気持ち、完歩していく塾生の皆さんから取り残されていく焦燥感は、本当につらいものがあります。
 毎年、春になると開腹や膝の手術が続くようになり、年を重ねるだけでなく肉体的に負荷に耐えられないポンコツになっていく身体です。
 最後のチャンスは来るのだろうか。そのために年中通して歩くようになったものの、春になると気持ちが揺れる自分がいました。
 今年は靴を買いました。慎重に、真面目に、へそくりを貯めて靴を買いました。賭けていました。しかし、いろいろなアドバイスや意見に、今年はあきらめました。
 
☆赤いジャケット
 サポーターに徹することに決めました。やるからには小回りと細かな対応が出来るように、負担は大きいのですが二輪でのサポートを選びました。
 チェックポイントから次のチェックポイントの間に、チャレンジャーに対するフォロー、声がけは二輪のメリットがあります。
 担当ポイントが終わった午前2時過ぎからは遊軍として。日が昇ってからは赤ジャケットの応援が見えるように、細かな移動を重ねていきました。

☆歩いてくるのは
 人のかたちをした「感動」が歩いています。
 10キロでも、50キロでも、96キロでも、すべての場面で感動を背負った人たちが、自分に挑戦を続けており、言葉に出来ない存在感がそこにはありました。
 時間に、100キロに、限界にとチャレンジするかたちは違えども、サポーターとして誇りを持って支えたい人たちがいました。
 10人いれば10通りの考えがあります。
 解釈についてコメントはしません。
 100キロ歩行から自分が何を持ち返ることが出来るのか、何を学び、次にどのように活かすのかが試されているのです。

 いつも思うのですが、ステキな24時間プラスアルフアでした。
 サポートをさせていただき、ありがとうございました。
 「ありがとう」という言葉が自然に出る、5月のこのチャレンジに感謝します。