2009年 100km Walk

 
◆佐藤 俊輔(岡山政経塾 期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
『100Km歩行の存在意義を考える』




 5月3、4日と岡山政経塾の看板プログラムの一つである100Km歩行が開催された。
昨年は実際に100Kmを歩いたのだが今年はサポーターとして、100Km歩行を支える側としての参加となった。

 100Km歩行のコースをたどると、昨年、自分が歩いた時の心象風景がよみがえってくる。この場所はとても辛かったとか、このチエックポイントで先輩にマッサージをしていただいた時の心地よい感覚とか、深夜に食べたおにぎりの味とかそのような光景、感覚がよみがえってくる。
 
 そして、8期生の方々、特に伴歩でサポートをさせていただいた工藤さん、ほぼペースが同じでほとんどの時間一緒に歩いた森田さん、工藤さんは当日少し前に足にトラブルが生じ、通院しているということを聞いていたし、森田さんは管理職として多忙な身でいらっしゃるであろうと同時に年齢的にハンディを抱えての参加であった。しかし、前半は無理をしないマイペースで、後半は意地と気力で乗り切ることによって24時間以内完歩を達成する過程を近くで見せていただき、リアルドラマによる感動をいただいたとともに、これほどつらい思いをして100Km歩行に参加し、達成する意味は何なのだろうかと考えさせられた。

 100Km歩行を行う意義とは何だろう、100Km歩行を達成したら人生にどう影響していくものだろうか。世の中にぽつりぽつりいる唯物論者、すなわち、信念とか志というものの大切さ、重要性を理解していない人々からすると100Km歩行は過酷なスポーツ程度にしか考えられず、政治と経済を学ぶはずの岡山政経塾にこのようなプログラムがあることを不可解に思うだろう。このような人々はすべて技術によってケリがつくと考えている。いい物、サービスを提供することはもちろん人々を誘導していくことも、女性を口説き落とすこともその手の技術を体得すれば済むという考え方である。
確かにこの点は一理ある。大概の事はその手の技術を体得すればいい線まではいく。むしろ技術の重要性を知らない人が失敗していると言っていいだろう。しかし、技術オンリーの人は短期的にはうまくいっても長期的には人がついてこないし、技術オンリーの人はその技術力に上回る人にいずれ負けて行く運命をたどる。結局、技術の背後に奥深い人間性の裏打ちがなければ、短期、長期を含めた仕事、人生での成功はないのではないだろうか。すなわち、プロフェッショナル(仕事人)に限定して言えばスキル(技術力)とマインド(人間力)両者の総合力によって人の価値が決まってくるということだ。

 そして、100Km歩行はスキル(技術力)とマインド(人間力)両者の重要性を学ぶ格好のステージとなる。100Kmを完歩するためにはあらかじめ己の状態を知り、体力、歩き方、スピード、豆対策等スキル(技術力)に係る戦略、戦術が必要であるとともに自己の限界を知りこれを乗り越えることによって自分との勝負に勝つことによる自信、それに裏打ちされた深い思いやり、またサポート隊に対する感謝等を学ぶことができるのではないか。そして、これが無意識ながらもチャレンジャーのその後の人生(職場、家庭)に色濃く反映されて行くのではないかと思う。

 また、来年、数十名のチャレンジャーが参加する。そして無意識ながらも何かを得ていくはずである。この与えてくれる目に見えないものこそが100Km歩行の存在意義そのものであると考える。