2010年 100km Walk
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◆片山 準平(岡山政経塾 9期生)
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岡山政経塾100km歩行レポート
「24時間100km歩行での学び」
「1年前」
昨年の5月3〜4日、政経塾2期生の方の24時間100km歩行への挑戦に私は個人サポーター・トレーナーとしてサポートさせていただくことになり、その時に初めて24時間100km歩行について知った。
「何が目的でそんな無謀な事をしているのですか?」
これが24時間100km歩行に対しての第一印象。
「100km歩いたからと言って何かあるのですか?ただの話のネタになるだけじゃないですか?」
こんな疑問を抱きつつも、当日の時速計算から日ごろのトレーニングメニュー、食事、テーピング、道具、心構えなどについてミーティングを重ねた。その方はしっかりと道具の準備、体の準備、心の準備をされていた。その入念な準備の結果、見事に完歩(完走?)された。そんな姿を間近で見ておきながら・・・。
「自分の番」
そんな縁があり、その方の紹介で岡山政経塾に入塾させていただくことになった。もちろん24時間100km歩行についても知っていた。今年は自分の番だ。昨年の記憶は薄らいでいた。24時間もあれば100kmくらい歩けれるだろうと余裕を持っていた。そして入塾式での宣言、「去年の記録を塗り替えます」。自分の頭の中に「リタイア」の文字は無かった。
練習会の存在も知っていた。しかし、仕事のため練習会の時間に間に合わないことが多く、もし間に合ったとしても少ししか練習できない、それなら自分で練習をしようと、自分のペースで練習していた。今思えば練習と言うよりも、散歩。目標も曖昧でなんとなく歩いているだけだった。「まあ何とかなるだろう」こんな気持ちのまま散歩していた。
道具の準備もなんとなく必要そうなものを揃えた。靴にいたっては散歩で使っていた靴を、なんとなくつま先が合わない、と直前で変更。
道具の準備も、身体の準備も、道具の準備も、「なんとなく、まぁ何とかなるだろう」。
こんな状態で当日を迎えた。
「慢心・過信」
いざチャレンジが始まると、30kmまでは予想通り何とかなった。サポーターの方々からの声援にもなんとなく答え、ただ歩き続けた。問題はここからだった。30kmを過ぎると下半身が思うように動かなくなった。暑い、しんどい、痛い。そこで初めて後悔の念が生まれた。
「もっと準備できたのではないか。もっと練習できたのではないか。」
30km地点から40km地点までの10kmは、ただ後悔の念しかなかった。自分の考えの甘さにやっと気付き、なぜか人生を振り返り始めていた。今までなんとなくなく生きて、何とかなっていた人生。自分は何をしてきたのだろう。気付けば備前体育館の前での山越えで歩きながら泣いていた。こんな経験は初めてだった。何かに感動したわけでもない、不幸な事があったわけでもない、ましてや泣くほど嬉しい事があったわけでもない。後悔と反省だった。それでも涙をふき、前に進んだ。しかし、そこから自分の心はどんどん折れていった。自分の甘さに苛立ち、怒り、後悔し反省する。これが延々と続いた。さらに、サポートしてくださっている全ての方々、チャレンジャーとして歩いている同期や先輩の方々に申し訳ないという気持ちがどんどんと湧いてきた。備前体育館から伊里漁港への10km、閑谷の山登りの道中、二回も友人が応援に駆けつけてくれた。そんな友人達にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
閑谷の山越え、時速1kmにも満たないペースで心がほぼ折れかかっている状態での小山事務局長からの説教とお言葉。これほど心に響く説教は今までの人生で経験した事がなかった。今までの自分の甘い人生観を粉々に砕く事ができた。ここでも涙が止まらず、声をあげて泣いていた。閑谷学校を超え58km付近、小山事務局長と話し合い、自らリタイアを宣言。本当ならばここで自分のチャレンジは終っていた。しかし、伴歩してくださった方が「片山さんが納得いくまで歩いてください。僕はどこまででも伴歩させてもらいます。」と言ってくださり、60km地点閑谷炊き出しまで歩かさせていただいた。心と身体はもうリタイアしていたが、ただ申し訳ない気持ちと感謝の気持ちのみで2km歩き、60km地点閑谷炊き出しで
完全にリタイア。
18時間19分、60kmで今回のチャレンジは終わった。
「学び」
今回24時間100km歩行にチャレンジさせていただき、学ばせていただいたことは山のようにある。
今までの人生は何とかなってきたのではなく、何とかしていただいていただけである。それをあたかも自分で何とかしてきた、何とかなってきたと勘違いしていた。また、自信と過信・慢心についても気付きがあった。元アスリートとして自信を持っていたが、事前の努力、準備を怠った自分にあったのは自信ではなく、過信・慢心であった。
そのほかにもたくさんの学びはあった。その学びの全てに共通するものは「甘さ」であった。このチャレンジで学ばせていただいたもの全てを身に叩き込み、今後の人生に必ずつなげていく。
「神様はお前にリタイアという結果をプレゼントされた。この体験はお前に多くに気付きを与えてくれた。 神様のプレゼントしてくださったリタイアに感謝しなさい。」
この神様からのプレゼントを一生大切にし、今後の人生の糧としていきます。
来年は必ず完歩いたします。偶然ではなく、必然として。
「最後に」
最高の気付きを得る機会を与えてくださった岡山政経塾幹事の皆様、サポート隊として24時間サポートしてくださった政経塾関係者の皆様ならびに友人達、ともにチャレンジしたチャレンジャーの皆様、本当にありがとうございました。全員完歩の目標を自分が原因で達成できなかったことに対し、本当に申し訳なく感じております。申し訳ありませんでした。
感謝と反省を決して忘れません。ありがとうございました。
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