2010年 100km Walk

 
◆平田 祥子(岡山政経塾 6期生)

岡山政経塾100km歩行レポート
「結果をどう選ぶか」




 今年も、熱いGWがやって来た。GW=100km歩行と言う方程式が、自分の中にできて、早4年。仕事が2つ程変わり、ライフサイクルの変わりようは多々あったが、100km歩行に携わる。それだけは、変わらない。
チャレンジャーとして2回、サポーターとして2回参加してつくづく感じることは、
「自分の行動がどのような結果を出すか、自分で選ぶ。」を格好つけとか一切無しに、当人に味あわせてくれるという事だ。
 何カ月前から、練習を行い無事、完歩して人には、自分で行った過程に多大なる自信を持たしてくれる。逆に、練習をしていたが、完歩できなかった人は、自らの過程のどこが、間違っていたか、無駄を発生させていたかを痛烈に、そして悲劇的に見つめ直す時間を強制的に与えてくれる。
 何も準備なしに、無事に完歩した人は、自分の体力、精神力に、改めて自画自賛できる程の充実感を得るだろう。
 まったく準備せずに、完歩できなかった人は、自分への情けなさや、応援してくれた人への申し訳なさや、後ろめたさを感じているだろう。

 虚栄や見栄などで、心情を繕おうにも、あまりにも100km歩行は、過酷なすぎるもので、肩書きも何も無い自分が出てきてしまうものだ。 普段の生活の中で、そんな自分を見る事はあるだろうか?

私自身、初めて、100km歩行にチャレンジした時、私は、泣き叫び、不満をぶちまけ、そして、完歩もできずに終わった。今でも、思い出すだけで赤面する醜態をさらけ出してした。そして、2回目のチャレンジの時は、自分でも練習を行い、同期に助けられすぎるぐらいのサポートを受け、やっとの事で完歩ができた。
「歩けた人の理由、歩ききれなかった人の理由」と小山事務局長に言われた言葉がある。
「自己選択した結果」が「理由」になる。と最近では、心底思える。
何を今さら・・・と突っ込みが多々起きそうな発言をしているが、まさにそうなのだと、すんなり心に入りこませ学ばせるのが100km歩行なのでは??と2010年では考えられる。
 
 また、来年もサポート隊の一人として、ひょっこり、参加しているだろう自分がいるだろう。2011年は何を感じ、何を学び、何をチャレンジャーに与えられるか・・少し楽しみである。
 最後に、今年も100km歩行に関わらせていただきありがとうございました。
GWを過ごし、毎年、自分の奢りや見栄や過剰自信を取り除くチャンスをもらっています。
今年度は、ようやく仕事も落ち着きましたので、玉野からちょこちょこ例会に顔をだすよう機会を作っていこうと思います。