2011年 100km Walk

 
◆義若 智康(岡山政経塾 10期生)

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月16日
「自分との闘い」



(1) 100キロ歩行の存在を知る

 私は、岡山政経塾に入ることを決意したのは2010年の10月頃。政経塾のホームページを拝見して知りました。中学時代陸上部で補欠でしたが今でもジョギングを時々行う等歩くことは嫌いではありませんでした。ただ100キロを歩くということは相当な準備が必要なのだというのは容易に想像できました。11月の例会に参加した後直ちにシューズを買いに行きました。12月の公開例会後、懇親会に参加いたしました。そこで9期の先輩方の100キロ歩行の体験談をお聞きしました。皆さんの熱い語りに気持ちが盛り上がっていきました。



(2) 100キロ完歩をどのように実現するか

 私にとって、100キロは未知の世界でしたが何のために歩くのか深く考えていませんでした。歩けなければ塾の一員になれない、気持の上でずっと後悔の念を抱きながら活動したくないというだけで十分でした。私の少ない経験からすると成功した自分を想像することが大事だと思っています。そこで完歩したイメージ、それも笑顔で派手なガッツポーズをすることを想像していました。僕はこのためにこれを頑張る等と考えすぎて上手くいかなかったのです。完歩する前提のもとどう行動すればよいか考えていきました。



(3) 家族の協力

 私の妻は、練習に快く送り出してくれました。そして練習の状況をとても気にしてくれました。実は彼女は決意表明を会場の後ろから聴きに来ていました。その時の10期生の様子や更に聴いて下さる先輩方の様子を細かく私に話しました。決意表明文が当日までまとまらずしどろもどろでしたが全て見透かされていました。聴くに堪えない言葉で私を罵りました。そして「同期で一番遅れているので100キロで挽回するしかない」と切って捨てたように言い放ちました。悔しいけど言い返すことができないのでとにかく練習しかないと気持ちを切り替えました。娘には連休中遊びに連れていくことはできませんでしたが途中辞めした報告だけは出来なかったので娘のために頑張ろうと思っていました。



(4) 本番

 当日私は、とてもわくわくしていました。練習は出来る限り参加していたので自分自身少し期待していたところがあったのかもしれません。練習で一度だけ足の関節より下が動かなくなりましたが行きつけの整骨院で十分な施術をして頂いていたので心配はありませんでした。当日は勢いよくスタートしました。が、練習と同じペースでした。「いけるところまでいこう」と思い西村さんと一緒に行きました。会う人会う人に挨拶していきました。西村さんの秘書になった気分でした。選挙運動はこんなに大変なのかと思いながら。しかし20キロ手前あたりからマメが大きくなり痛くて歩けなくなりました。足も痛いのですがマメが気になって一気にペースダウンしました。私は悔しくて地図を見えないぐらい握りしめていました。「ここからが本当の100キロ歩行なんだ」とようやく気が付きました。痛くて歩けなくなってからどうするのか。そんな時大好きな箱根駅伝のシーンを思い出し自分に語りかけていました。第86回箱根駅伝5区早稲田大学八木選手に渡辺監督が「八木、気持を切らすな。みんなでつないできた襷だ。」との掛け声を何度も思い出しました。痛い足は昨年の都道府県対抗駅伝3区で東洋大学柏原選手が苦しそうに足を叩きながら激走しているのを思い出し、拳で自分の足を叩いていました。


(5) サポートの皆様の凄さ


 私は早い段階から大きくペースを落としテーピング等サポーターの皆様の手厚い支援を頂きました。至る所で声をかけて頂きました。それも「義若さん」と名前で呼ばれました。箱根駅伝の選手も大学名でなく個人名で応援してほしいと言っていますが、本当にそうだと感じています。皆さんが天使のように見えました。道に迷いそうなところではさっと先回りして顔を出されました。「お客様」のように扱って頂きました。まさに至れり尽くせりでありました。歩いているときは赤いものが全てサポーターの方に見えました。ポストもサポーターに見えました。それもプラスに考えました。



(6) ゴールしたけど

 竹田橋を過ぎて大きく道を間違えてしまいました。真っすぐ行くところメモを読み間違え左に折れて行きました。土手に降りると白線とアスファルトがなくおかしいと思いました。そこですぐ電話を掛けるべきでした。「聞くは一時の恥」結局大きなロスとなりました。これも自分らしいとは思いながら気持ちを切り替えました。ゴール直前になって、それまでよたよた歩いていたのに小走りで「グリコ」でゴールできました。なんでもっと頑張れなかったのか何故あんなに力が出たのか不思議です。最初全力で立ち向かっていたのに体力を温存していたのか自分に甘えが出たのか。ゴールしてホッとしました。それでも自分自身がっかりしました。よくやったと褒めたたえる自分より大したことないなとなじる自分がいて後の自分が大きくなっていました。やはり毎日立ったり歩いたりを継続していることが大切であり、所詮は直前にちょっと頑張ったにすぎなかったのです。ただ完歩した実績で次この経験を生かして歩こうと考えたり、これから歩く人に説得力のあるアドバイスができます。


(7) 本当によかった


 小学校2年生の娘が「ゴールデンウィークの思い出」の作文の冒頭に「お父さんが100キロ歩いて凄いと思った。」と書いてくれたので本当に驚きました。どこへも遊びに連れていけなくて申し訳なく思っていました。家族の協力がなければだめですが、また許されるなら100キロを歩きたいと思います。支えて下さった政経塾ならびに関係者の皆様心より御礼申し上げます。