2011年 100km Walk
|
|
◆源 真典(岡山政経塾 5期生)
|
岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月16日
「サポートとは」
■はじめに
この度の100キロ歩行は、過去最高の100キロ歩行となったのではないだろうか。チャレンジャーである10期生の方は、一人でも歩けなければ来年も歩く!というすさまじい決意と覚悟である。サポート隊は波夛隊長を筆頭に素晴らしいメンバーであり、良い関係を築いてきたことが分かる。その成果が「塾生全員完歩」という結果であったことは間違いない。
■サポートとは
私のGWはここ6年100キロ歩行で始まり、終わる。まず、私の経歴を整理してみよう。1年目、70キロリタイヤ。2年目、妻と共に完歩。3年目、サポート隊長。4年目、88キロリタイヤ。5年目、木下さんと完歩。6年目の今年、普通にサポート。どれだけ待ったことだろうこの責任のないサポートを。と、最初はお気楽に考えていたのである。担当は藤野の交差点。静かで暗い所をどう盛り上げるかを能登さんと考えていた。しかし、藤野へ時間になったので行くと、近くの民家から覗かれていることにすぐに気付き、濱本さんや三島さんと相談した上で、ここは静かに少人数でいくと決定。私と能登さんはいきなりフリーになってしまったのである。ここからがお気楽ではないサポートの始まりである。
10期佐藤くんと藤井さんは私の妻の友人でもあり、今回ご縁があって入塾することになった。しかもこの二人は一緒にゴールし、結婚を誓うと覚悟している。私はこの二人だけは見届けたかった。能登さんは、教育という分野のお仕事。金関さんの息子さん、たくみくんが気になるようだ。12時過ぎてからはこの二人を追ったのである。まず、発見したのは「たくみくん」。18歳の若者が一人で自分と闘いながら歩いているではないか。それを見ただけで鳥肌が立ち、涙が出そうになった。私のスイッチが入った瞬間である。ここからかける言葉が変わった。それまでは「頑張れ〜♪」とにこやかな感じであったが、「絶対に歩くで!」という言葉になっていた。苦しい時間。4度の経験がそうさせた。ここは弱気になっては駄目なのである。力強い言葉が必要な時なのである。18歳の若者がチャレンジした勇気、決意を完歩という結果で終わらせたいと心から思ったのである。何も知りませんが金関家が変わると感じた瞬間でもありました。足を引きずり、歩き始めるその後ろ姿は、素直でかわいい男子から、根性のある強い男としての旅立ちに見えました。
時は過ぎ、先頭集団を行く、夫婦になるであろう二人を発見。見てびっくり!離れているではありませんか!最初は意味が分かりませんでした。藤井さんには9期井上さんが伴歩してくれていたのですが、そんな事は知らず、なぜ違う男と!?我が事のように嫉妬してしまいました。何をしているんだ佐藤君!そんなことでは取られてしまうぞ!またもやスイッチが入った。伴歩の始まりである。キリンビール地獄からJA瀬戸までの間少し話をしながら、ここで離されてはいけないぞ!という願いを込めつつ歩いていると、後ろにいた佐藤くんが私達を抜きにきました。意識は朦朧のはずです。ただ、あきらめないという強い精神力。見る見るうちに追いつきました。そこで見た光景があります。井上さんの行動です。追いついてくると井上さんは反対車線の右に出ました。しばらく様子を伺い、ちょっと前まで戻ってきたと思ったら、立ち止まり、「私の伴歩はここまでです。頑張ってください!」と一礼。鳥肌です。渋い!という言葉以外ありません。男を見ました。ありがとうございます。言葉も大事ですが、生き様、哲学を感じました。一番印象に残ったシーンでありました。言葉だけでは伝えきれないのがくやしいです。
今回のサポートをさせていただき、本当に勉強になりました。私が感じたサポートとは相手の魂にスイッチを入れる。に至りました。そして、そのためには意図する力が重要であります。絶対に歩かせるという強い思い。相手の覚悟以上の覚悟が必要であり、それがないと相手には伝わりません。極限の中で歩いているチャレンジャーにとっては無意識の中だとは思いますが、少なからず、私の意図は通じたのではないだろうか。
■最後に
やはり最高の成長のきっかけを与えていただける100キロ歩行。私は大好きであります。24時間を共にした能登さん。私達のコンビは最強でしたね。だてにお互い4回も歩いていないです。能登さんから学んだ事も数多くあり、まだまだ、書きたいことも沢山あります。意外と走れた自分にもびっくりしました。また、思い出ができた100キロ。逢沢幹事、西原幹事、小山事務局長、チャレンジャー、サポート隊、サポーター、関わった全ての皆さま。本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。来年もサポートします!
そして、お二人は婚約おめでとう!かな?
|
  |
 |
|