2011年 100km Walk
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◆楳田 祐三(岡山政経塾 9期生)チームドクター
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岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月20日
「サポーターとしての100km歩行からの学び”」
チャレンジャーからサポーターへ
現役生チャレンジャーとして臨んだ昨年の100km歩行から早1年が経過しました。今年は、サポーターとして、そして不測の事態に備えたTeam
Doctorの一員としての参加でした。後楽園に集合し、チャレンジャーとサポート隊の皆の緊張した面持ちを見ると、自然と骨の軋みと腰部の違和感とともに1年前の記憶が甦ってきました。岡山政経塾が与えてくれる貴重な経験の場、単なるEventではなく“経験を通して自分が何を学べるか”が最も肝要という原点に立ち返り、サポーターとしての100km歩行は始まりました。
100km歩行での学びの検証と新たな学び
昨年の100km歩行での学びは、自分の中で曖昧であった“限界”の定義でした。人間が苦境に直面した時に言い訳にしがちなのが“限界”という言葉であること、そして本気で真剣にその苦境に立ち向かう時には自分の言う“限界”を越えて必ず乗り越えることができる、そしてそこに介在するのは揺るぎない個人の決断と信念であり、個人を支える周りの人の応援であり、助けであるということです。幾多の苦難苦境を乗り越えた先に待つものは、限界を越える度ごとに得られる自分への自信と他人への畏敬といった多岐にわたる“成長”であると定義づけました。
今年はチャレンジャーを見守り、サポートする立場として、そして同時に自分の昨年の学びを検証する思いで100km歩行に臨みました。今年のチャレンジャーは24名、各々の意気軒高な歩きを見ながら、この100km歩行までの準備期間を想像していました。-余裕の歩きと称されながら先頭を闊歩していく者-余裕に見えれば見えるほど、恐らく他人が想像もつかない心と身体の準備を積んできたのでしょう。他人のペースに惑わされず自分のペースを刻む者-過去の失敗から得た学び・事前の情報と準備から計算された万全の準備、自信と自負が一歩一歩に込められている。一歩一歩の足取りに本人も周りも不安が感じられるもの-万全の準備とは裏腹に苦戦を強いられて懸命に闘っている姿。24名が見せる歩きの表現型は違えども、各々の限界へ挑戦する姿に、感動のみならずサポートする側のこちらが勇気づけられる思いでした。
“頑張れ!”、“自分に負けるな”、“絶対、歩ききれますよ”、どれだけの声援がサポーターからチャレンジャーに贈られたことでしょう。昨年の自分を顧みても、そして今年の肉体的精神的極限に追い込まれながら後楽園に帰ってきたチャレンジャー達も、何にも代えがたい後押しを感じながら100km完歩という偉業達成に結び付いたことを実感していることでしょう。今年、一言をかけていく自分自身を含めたサポーターに感じたことは、チャレンジャー達を気遣い、元気づけられればと声援を送っていたはずが、仲間であるチャレンジャーとともに自分達も共に闘い、応援することで自分達自身の活力の源になっているということでした。チャレンジャーとサポーターが一体となって共通の目標に向かう時、懸命に取り組んでいく時、その声援はチャレンジャーのみならず自分自身をも鼓舞させる原動力になり得るのだと思います。
自身の日常にあてはめてみても、同様のことを感じます。医師は多くの患者を救う、これは事実です。しかし一方で、患者を救っているつもりが、実は患者に自分自身が救われているのではないかと思うことがあります。医師対患者の繋がりを通して、普段当たり前と感じている健康への感謝は勿論、そして自分自身の存在意義の確認と、明日の目標への原動力へとつながっているのです。組織・社会という枠組みを考えた時、個人というのは公共の中にあってこそ、成長し活きてくるものです。人間は自分自身の成長と発展を渇望して生きていますが、そこに必要なものは、個人の研鑽は勿論、共同体なり仲間なり、お互いを尊重し高めあう関係を構築し、努力していくことなのではないかと感じています。
同期生全員完歩という偉業を成し遂げた10期生、そして昨年の100km歩行リタイヤという苦渋の思いを胸にこの日を迎え、不退転の決意で見事に完歩した同期の難波・清水両氏、そして無事にこの100km歩行を完遂し得た関係された全ての皆様に感謝と敬意を表するとともに、岡山政経塾の100km歩行の更なる発展に向けて一層の尽力を誓うところです。
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