2011年 100km Walk

 
◆井上 和宣(岡山政経塾 9期生)

岡山政経塾 100km歩行レポート             2011年5月7日
「100km歩行 恩返しのチャレンジャー伴歩」



 昨年、多くのサポーターの皆様に支えられて完歩出来たとき、後楽園の売店の軒下で寒さに震えながら固く決心をしました。「もう二度と自分のために100キロ歩行はしない。しかし、誰かの力になれるのなら歩こう。伴歩であれば100キロ歩こう。来年は、この感謝の気持ちを忘れず、伴歩者として恩返しをしよう」と。

 昨年と同様とはいきませんでしたが、可能な限り練習会、下見会などに参加して、伴歩者として役割が果たせるよう準備を重ねました。事前のサポート会議で、5期石川氏と組んで、外部からの参加者であるNHKの高田さんの伴歩を行うよう命ぜられました。当日スタート前にご本人と挨拶を交わしました。「40キロ地点である備前体育館から伴歩についてもらう予定です」と言われていたので、スタート直後から歩きの様子を観察していました。大学の同窓生である7期高梨氏と最後尾をゆっくり歩いていました。その後、金岡交差点での誘導に付き、観察を続けました。テーピングが合わず10キロ地点で取り除いたこと、20キロ地点で両足のくるぶしに痛みがきていることなどの情報もいただきました。ご本人には申し訳ないのですが、直感的には完歩は困難だと感じていました。

 備前体育館で待機していましたが、このままのペースだと同歩されている高梨氏が完歩出来ないとの波多サポート隊長の判断により、30キロ地点飯井交差点からペアを組む石川氏が伴歩につくことになりました。備前体育館で9期山下君の友人である池上トレーナーに両くるぶしの痛みを和らげるテーピングを施していただこうと待機していましたが、設営を撤去することとなり、35キロ地点に戻りテーピングを行いました。ここから、私が伴歩につきました。

 高田さんと様々な会話をしながら歩きました。彼女から、新たな自分探しのために挑戦を決意したこと、自分が満足をするまで歩きたいとのお話しを伺いました。伴歩を終えた石川氏より、「50キロまで歩こうかな。40キロまでかな」とご本人が話されたと聞いていましたので、完歩を目指すのではなく、彼女自信が満足するまで伴歩しようと決心し、終わりの地点は自分で判断するようにお願いしました。

 伴歩を始めて約2時間、9時40分頃、彼女はリタイヤを決意されたようですが、スタートから12時間経過の22時までは歩くと気持を入れ替えました。さらに近くに備前市のセンターがあることを悟られ、そこまでは歩くと決心されました。22時20分、センターに到着後、リタイヤを告げる電話を小山事務局長に掛けられました。体力の限界を超えながら、何度も自らを鼓舞し続け、たえず伴歩者に気遣いを忘れない、素晴らしい挑戦だったと思います。

 その後、隊長からの指示によりリバーサイドで待機しました。4日1時前、同歩されていた10期の佐藤修氏と藤井さんの距離が開きだしたので、藤井さんを伴歩するように命じられました。藤井さんの歩きと心は快調そのものでした。かなり早い時間に完歩されると確信しました。2、3キロ歩くと、佐藤氏が追いついてこられ、その様子から二人揃ってゴールされると確証を得たので、その旨隊長に報告をして、リバーサイドをスタートされた同期の難波君の伴歩をはじめました。体の状況はきつそうでしたが、一年間を共にした彼は必ず歩ききると信じていました。伴歩というより、私自身が彼と一緒に歩きたかったということです。

 80キロ地点であるJA瀬戸の手前で、外部参加者である4期生金関さんのご子息拓海君が路上に座り込み、お母さんが寄り添っている場面に出くわしました。波多隊長に報告した後JA瀬戸で休息していると、間もなく彼も到着しました。再出発後、難波君が「井上さん、私は大丈夫だから、彼を伴歩してあげてください」と申し出ました。難波君と相談の上、3人で歩き、拓海君がついてこられなくなったら、彼の伴歩をすることに決めました。

 それからの10キロは、前に私、拓海君、後に難波君の隊列で歩き続けました。拓海君の参加の動機を問うと、「いつもお母さんに迷惑ばかり掛けて困らせている。そんな自分を変えるために挑戦した」と強い意志で答えました。17才の少年の崇高な意思に感銘を受け、何としても完歩させてあげたいと思いました。歩く意味を見失いそうになり、投げやりな言葉を発しだした彼を、難波君と共に懸命に励まし続けた10キロでした。何度も休もうとする彼に、90キロのとれたて市まで頑張ろうと鼓舞し続けました。しかし、到着直前には、真っ直ぐに歩くことが不可能な状況になり意識も朦朧としていました。とれたて市で休息の間、難波君に先に行くようにお願いしました。8期吉田氏に体の様子も診ていただきました。考えた末、ここからは、拓海君の意思を尊重し、彼の歩きたい気持を引き出すように努めることに決めました。

 意を決し歩き始めた彼に、「ここからは、どう歩くかは、自分で決めなさい。貴方がここまで一生懸命早く歩いてきたから、あと10キロを歩くのに4時間も残されている。それは、拓海君の努力の成果だ。ゴールしたい気持さえあれば、必ず完歩できる。だから、好きなように休み、好きな時に歩き始めればいいよ。私は、ただ寄り添っているだけだ」と伝えました。まさに、それからの10キロは、彼の自分自身に対する壮絶な闘いでした。500メートル歩いて倒れ、また自らで立ち上がり歩き始める。その連続でした。一度も歩きを促したり、手を貸したことはありません。しかし、明らかに90キロまでの彼とは異なっていました。それまで何度も口走っていた「歩いてなんの意味があるん?もう止める。限界だ」という言葉は消え失せていました。

 旭川の堤下に達しゴールに繋がる橋が見えても、彼は「まだゴールできる自信はない」そう言いながら、最後の力を振り絞っていました。足の痛みは限界を遙かに超えていたと思います。

 後楽園の入り口からは、伴歩を止め、拓海君は一人でお母さんの待つゴールに向かいました。未来あふれる17才少年の素晴らしい歩きでした。彼が人生で初めて自分自身に打ち勝った瞬間でした。この貴重な体験は、今後の人生の宝物となることでしょう。立派だったよ、拓海君。

 あと残された私の望みは、同期清水さんの完歩でした。時間との闘いとなり、9期生大半が伴歩しているとのことでした。隊長にお願いして、私もその一員に加えさせていただきました。9期生全員で歩いた最後の4キロは、涙と笑いと感動の連続でした。彼女は、時間内に歩くことはもちろん、自らの限界に挑み続けていました。最後の難所、橋に繋がる階段も手助けを断り、一段一段、一年間を噛みしめるように登り切りました。ご主人、途中から伴歩されたお母様、そして昨年同時のゴールを誓い合った同期宮原さんと並んで、9期生全員を従えての感動のゴールでした。

 私自身も持てる力を出し切り、5名のチャレンジャーの伴歩を行い、役目が果たせて安堵した瞬間でもありました。

 多くの学びもいただきました。難波君、清水さんと一年間ご一緒し、昨年との心の様相の違いを肌で感じていました。それが努力に結びつき、そして、その努力は大きな力となることを。年齢、性別、性格、体調、参加の動機、体の痛み具合、心理状態により、伴歩の仕方は異なるものだということを。困難に立ち向かい、それを克服するのに必要な一番大きな力は「感謝」の気持であることを。

 一つ、嬉しいことがありました。10期中川氏が完歩され、塾生最年長記録が更新されたことです。中川さん、おめでとうございます。そして、ありがとうございました。

 この岡山政経塾を代表する、価値あるプログラム100キロ歩行が、今後も塾生如何を問わず、一人でも多くの参加者に貴重な体験と大きな気づきを提供し続けることを願って止みません。

 もちろん、体力の続く限り、サポート隊に加わります。