2011年 100km Walk
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◆高原 弘雅(岡山政経塾 9期生)
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岡山政経塾 100km歩行レポート 2011年5月17日
「サポートとは」
ついこの前100km歩行した感じがするほど一年はあっという間であった。去年は自分自身が100kmに挑戦する立場から今年は100kmに必死に挑戦するチャレンジャーをサポートする立場に変わった。
100km歩行が近づくにつれて「サポートとは何か」を考えることが多くなった。100kmを完歩することが目標ではあるが、完歩できない人の方が学びが多いことも事実。人生失敗からしか学べないことも多い。なので、自分自身無理やり100kmをなにがなんでも完歩させるというのはいかがなものかという考えも少しばかりあった。
実際100km歩行がスタートし去年はチャレンジャーであり見ること、感じることのできなかった100kmの裏舞台がよく見えた。先頭集団の位置から最後尾まで事細かな把握が必要で絶対事故がないように細心の注意を24時間払わなければならない。ゴールデンウィーク家族サービスの絶好のチャンスであるのにもかかわらず、多くのOBOGが集まる。去年、ここまでのことは全く想像できていなかった未熟な自分に気づいた。
自分の出番は50km地点の伊里漁港。ちょうど100kmの折り返しで100km完歩できるか判断しやすい地点である。100km完歩できる人はまだ余裕があると思っていたので自分にできるアドバイスを伝えるのにちょうどいい地点だと思った。
まめができている人、ひざや足の付け根に痛みを感じる人がいたが、50km地点までたどりついたチャレンジャーは全員100km歩けそうな雰囲気を感じた。
全員が50km地点を通過してからは後半の伴歩要員として待機。出番は未明の二時過ぎ。
上道駅周辺で仮眠をとっていた時連絡が入った。そして、リバーサイドを越えたあたりから読売新聞の西蔭さんの伴歩についた。100kmで自分は何か役に立ちたいと思っていた。自分が一番役に立つのは伴歩だと思っていた。伴歩で心がけたことは、時間から逆算して完歩できるペースで歩けているかを確認すること、少しでも肉体的にも精神的にも楽に歩ける方法のアドバイスをすることの二点だ。伴歩は常に会話が大切である。何でも話ができる雰囲気が大切。会話をしなければついつい体の痛むところを探してしまうからだ。また、そういう雰囲気が作れていれば厳しいことも言えるし、チャレンジャーががんばることができる。そう思っていた。西蔭さんに90キロ地点まで伴歩し、その後、同期の清水さんの伴歩に参加。清水さんには9期の多くが伴歩についており、制限時間は近づいていたが気力が充実していた。途中何度か立ち止まったが、力強い歩き。清水さんの中で完歩すると腹をくくっているのがわかった。
10時前。10期全員完歩。去年悔しい結果になった9期2人も完歩。非常にすばらしい100km歩行であった。
学んだこと・感じたこと
チャレンジャーの物事への取り組み方。心の持ち方。
サポート隊の思いやり、いたわり。一体感。全員完歩に向けての努力。
これまで、正直、「そこまでサポートせんでえかろー」と思うこともあった。今回わかったことは、人間誰しも強くない。こころが折れそうになってやめたくなって。そこでやめてしまえば、次の世界は見えてこない。次の世界をみせて頑張らせる。その新たな世界でチャレンジャーは新たな大きな学びを得る。そのためのサポート隊なのかなと感じた。
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