2013年 100km Walk

 
◆仲達 大樹(岡山政経塾 6期生・ゼッケン:265)

晴れの国 おかやま 24時間・100キロ歩行レポート             2013年5月20日
「2度目の挑戦で学んだこと。」



◆はじめに

 6年前、ゴール直後に、『もう二度と24時間100キロ歩行に、挑戦しない!!』と誓った。
 あんなに、辛い思いをしたのは、人生で初めてだったからだ。
 しかしながら、24時間100キロ歩行を通じて、私の人生に一番必要だった、【目的と手段】を学ぶことができた。
 24時間以内に100キロを歩く。そのために、何が必要で何を準備するのか・・。
 未知の領域に、自ら挑戦したことで、色んな自分に出会うことができた。
 この経験が、今の私の大きな支えになっている。
 そして、6年の歳月経て、再び24時間100キロ歩行挑戦の決意をした。新たな自分に出会う為に・・。
 また、今回は、会社の社長も24時間100キロ歩行に挑戦されることになった。
 6年前よりも、24時間100キロ歩行を楽しむことを目的とし、目標は朝の5時にゴールを設定し、来年、還暦を迎えられる社長の体力を心配し、社長よりも早くゴールし、その足で、社長を迎えに行くことも目標にした。
 趣味登山、車通勤から自転車通勤にシフトし、週に2回から3回はジムに通い、その結果、自衛隊体験入隊では、体力測定の部で3位入賞した実績があり、6年前と比べて体力には自信があった。



◆いざ、24時間100キロ歩行へ


 当日は天気にも恵まれ、絶好の24時間100キロ歩行日和となった。
 前回、挑戦した時と比べチャレンジャーの人数も大会規模も想像を超えていたことに、岡山政経塾生の私はとても誇らしく感じていた。
 40キロ地点までは、順調に歩くことが出来た。このあたりから、足に違和感があった。もしかしたらマメができているような・・。
 確認するほどでもないと自分に言い聞かせ、先を急いだ。
 50キロ地点までは、当初の予定通りで歩行ペース6キロをキープし順調だったが、次第に両足の人差し指が、とても痛くなり、このころから、痛みを堪え、両足の人差し指を庇う歩行になっていった。
 強気の自分と弱気の自分が混在する中、チェックポイントでいただいた、卵入りうどんとサポーターのあたたかさに触れ、目標達成の為のスタートを切ることが出来た。
 60キロ地点に差し掛かった時には、両足の人差し指、足首、足の付け根に相当な痛みがあった。
 このチェックポイントでも、地元の方達のとてもあたたかい手料理を御馳走になりました。着替えを済ませ、地元の方たちに声援を送っていただき出発した。(こんなに声援をいただいたのは、はじめてでした。)
 すでにこの頃には、歩行ペースが3〜4キロになっていた。満身創痍の中、70キロ地点では、家内や会社の仲間が応援に駆けつけてくれたお陰で、勇気と感謝で何とかスタートを切ることができた。
 『あと、30キロ・・・。』『はぁ・・。』と項垂れながら歩いた。
 それまで、ほぼ一人で歩いていたが、道中ペースの合うチャレンジャーと一緒に歩くことがあり、お互いを励まし合いながら歩くことができた。何とか10キロ、前に進むことが出来た。(もし、この区間を一人で歩いていたら心が折れていたかもしれません。道中一緒にさせていだいたチャレンジャーの方、ありがとうございました。)
 80キロ地点に差し掛かった時には、時速3キロをキープするのがやっとでした。
 『あと、20キロ・・。』『5時到着は無理かも知れない・・。』足を上げて歩くたびに、激痛がはしり、すり足で歩くことがやっとになっていた。
 90キロ地点に到着するころには、朝の4時を迎えようとしていた。前回、挑戦した時に最も辛かったラスト10キロ。(今回はその3倍辛かった・・)朝5時ゴールの目標から、24時間100キロ完歩を目標に変え、半歩ずつ前に進んだ。このころ、時速2キロペース。
少し歩いたら休憩の繰り返しと睡魔との闘い、意識朦朧とする中、後楽園というパワースポットに引き寄せられる、ゾンビの様な状態だった。
 50キロ地点までの軽快な歩行とは想像できないぐらい一歩が20pほどしか前に進めない状態で、10時のゴールに間に合うのかと、自問自答の繰り返しだった。
 『一歩でも、半歩でもとにかく前へ進もう。』確実にゴールには近づいている。
 見なれた、街の景色が目に映り、ベネッセの前を通過し(何故か、ベネッセに手を合わせている自分)番町の交差点を通過し、いよいよ後楽園に差し掛かった時に、先にゴールされた平田社長が、迎えに来てくれていた。あの、安心感と目標を達成出来なかった自分の不甲斐なさが入り混じった、複雑な感情だった。
 


◆24時間100キロ歩行を完歩して

 この挑戦で、私が学んだこと。やっぱり『感謝』でした。
 チャレンジャーが道に迷うことがないように、分かれ道、曲がり角に必ずいてくれたサポーターの皆様。チェックポイントでの、手料理や心使い・声援。そして、70キロ付近でみた、路上メッセージ。私を応援してくれた、家内・会社のスタッフ・川崎医療福祉大学の長尾先生や赤星コーチ、岡山政経塾の皆さん、ボランティア参加のサポーターの方たち。
 そして、小山事務局長、お陰様で私は前回よりも、今の自分にとって、とても必要な経験を改めて体験することができました。本当にありがとうございました。
 出来ているようで出来ていなっかった準備・対策。本当に勉強になりました。
 どんなに辛くても、一歩でも半歩でも前に進む勇気。とにかく前進すること。
 そして、24時間100キロ歩行で失ったもの。両足人差し指の爪二枚。
 それでもまだ、自分自身の限界に挑戦したいと思う、24時間100キロ歩行でした。
 私は、この経験を自分自身の成長に変え、人のお役に立てる人間になりたいと思います。